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『彼岸過迄』を読む 4342 漱石にもミスはあるのでは?

  数日前、こんな記事を書きました。

 田口要作のプロフィールにしては曖昧なところがあり、官職というのが軍隊、須永の父親から受けた世話というのが闇というか裏というかは別として何か狡いものではなかったのかなと、そうでなければ四十五歳くらいでいろんな会社と関係を持つなんてことはできなかったののではないかと。まあこれは推測です。

 ただし、

 敬太郎は今まで下町出したまちでの旦那を眼の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友達に対してなら云い得る「君のためだから」という言葉も挨拶も有もっていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この「軍人」が比喩でなく、漱石がつい隠していた設定を漏らしたのだと考えると推測を少し超えてきます。

 ただし田川敬太郎はそもそも田口要作のプロフィールを詳しく知っているわけではないので、やはり比喩のように思えます。読者にはちょっと「軍人」が意識づけられますね。ここは矢張りよく分からないところです。漱石のミスなんじゃないかという気もします。「それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時」……うーん、これは確かにミスでないとすれば比喩は比喩なんでしょうが、どうでしょう。

 ここは随分悩みました。もしかしたらですけど漱石の中では「須永市蔵が軍人ぎらいになるロジックが固まっていなかった可能性もあるぞ」とも思いましたし、「いや、隠していた設定がつい出てしまったと見るのが自然ではないか、ここは規律ずくめの軍人でなくても例えば規律ずくめの教師でも成立しそうだし」とも思いました。

 実際家の田口要作というキャラクターには他にもよく分からないことがあって、もうずいぶん長い期間考えているのですが、まだこれという答えが見つからないところがあります。もしかしたらですがキャラクターが曖昧でぶれてしまったところもあるのかと疑います。

 その一つが性格ですね。

 剽軽者という言葉は田口の風采なり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬太郎の腑に落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 として二つばかり剽軽な話を須永の母から聞かされます。それなら根は剽軽かというとやはりそういうところはどうも見えません。

 やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨拶やら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶した。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手持無沙汰と知りながら黙らなければならなかった。主人は巻莨入れから敷島を一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 以前にも書きましたが、これは相手をコントロールする交渉術です。パワープレイです。田川敬太郎に対して優位に立とうとしています。商売柄そうなのかとも思えますが、そもそも頼みごとに来た書生をここまでぞんざいに扱う田口要作が剽軽とは思えません。揶揄うとしてもそれは打ち解けてからやることで、この態度には攻撃的な性格が表れているように見えます。

「それじゃ大抵間違はないでしょう。四時と五時の間に小川町で降りたんですね」
「時間は少し後れたようです」
「何分ぐらい」
「何分か知りませんが、何でも五時よっぽど過ぎのようでした」
「よっぽど過ぎ。よっぽど過ならそんな人を待っていなくても好いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもうあなたの義務はすんだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです」
 今まで穏やかに機嫌よく話していた長者から突然こう手厳しくやりつけられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 田口要作が田川敬太郎にやらせたことは実はさして意味のない遊びなのに、この言い分はちょっとやり過ぎなんではないかという気がします。まさに軍人的な規律が求められているようでもあります。この態度はずっと変わらず、作品中、剽軽な田口要作というのは、

「今日はこれでも若いものの部だよ」
 叔父はこの言葉を証拠立てるためだか何だか、さっそく立って浴衣の尻を端折って下へ降りた。姉弟三人もそのままの姿で縁から降りた。
「御前達も尻を捲るが好い」
「厭な事」
 僕は山賊のような毛脛を露出しにした叔父と、静御前の笠に似た恰好の麦藁帽を被った女二人と、黒い兵児帯をこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺めた。
「市さんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。
「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。
「市さんに悪い下駄を貸して上げるが好い」と叔父が注意した。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 ……という二か所だけにしか現れていないように思えます。そして悪い下駄は剽軽ですが「御前達も尻を捲るが好い」は下品でセクハラ的です。

 それからここも一度触れましたが、

「例えば夫婦だとか、兄弟だとか、またはただの友達だとか、情婦だとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」
「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」
「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この質問はいささか度が過ぎています。ただ「摧けた調子」ではかたづけられないところです。剽軽と言えば剽軽、ただ少々質の悪い剽軽さです。ここは田川敬太郎が信用できないから態度が堅いというだけでは解決しない問題です。

 確かに田川敬太郎という男にはちょっと信用ならないところがあります。女好きで、千代子に見とれて、それで約束の時間を過ぎても探偵を続けていたわけですから。ですから田口要作が田川敬太郎を警戒するのは解るとして、「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」とはいくら何でも下品ではないでしょうか。千代子に訊かれたらちょっとまずいんじゃないかと思いませんか。このどぎつさもいかようにも回収されません。ただ松本恒三に「高等淫売」というどぎつい言葉を投げ返されるだけです。是もあえて回収されたとみるならば、千代子の純潔に対する「ふり」と捉えられなくもありませんが、「肉体上の関係があるものと思いますか」は、やはり嫁入り前の娘に対して少しどぎつ過ぎる言葉なんじゃないでしょうか。

 出入りの度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接近する機会も自然多くなって来たが、一種間の延びた彼の調子と、比較的引き締しまった田口の家風と、差向いで坐る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、無論形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、大抵は五分とかからない当用に過ぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 ここなんですが「比較的引き締しまった田口の家風」というのが剽軽な田口要作と会いませんね。最初は兎も角、だんだん田川敬太郎の性質も呑み込めたでしょうから、少しは打ち解けても良さそうなものを「比較的引き締しまった田口の家風」と云われてしまうとちぐはぐに思えます。

 仮に「実は剽軽な田口要作」というものを造形しようと意図していたとしたら残念ながら『彼岸過迄』では成功したとは言えないと思います。まあ、そんなことをミスとまで言うつもりはありませんが。


[余談]

 自分が理解できないこと知らないことを読むと、それが正しいか正しくないかに関わらず腹を立てる人が存在する。例えば、ゼロは偶数ですと書いてあっても腹を立てる人がいるということだ。そう云う人は特殊ではなく恐らく層として一定の割合で存在する。そういう層の特徴は何かを悪者だと決めつけていることだ。マイナンバーに関するツイートを眺めていると切実にそう思う。




 知らんかった。

完全にコスプレやん?

















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