見出し画像

江藤淳の漱石論について⑱ あたまの悪い漱石Ⅱ

 江藤淳は『行人』の主人公を長井一郎と見做し、なお彼を「気狂い」と断じる。「神経の疲れた人だ、というのは上品な言い方で、実は気狂いです」(「漱石 ━━ 『心』以後」『漱石論集』所収)と断じる。この「気狂い」という表現は単に精神病全般を指すのではなく、長井一郎をあちら側に行ってしまった人と見做すものだ。『行人』の主人公を長井一郎と見做し、なお彼を「気狂い」と断じること、これはともに明らかな間違いである。『行人』の主人公は長井二郎であり、長井一郎は「気狂い」「あちら側に行ってしまった人」ではない。

 『心』の主人公が先生ではなく「私」であり、『行人』の主人公が二郎であることは、同じく手紙を読む者、田川敬太郎を主人公とする『彼岸過迄』が保証していると言ってよいだろう。むしろ『彼岸過迄』こそ須永を主人公かと思わせるが、漱石は「敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った」と半ば強引に探偵・田川敬太郎を主人公に据える。このことで同型の物語構造を持つ『行人』『心』はそれぞれ手紙を読む二郎と「私」を主人公と見做さざるを得ない。『吾輩は猫である』の主人公は吾輩であり、『坊っちゃん』の主人公は「おれ」、『虞美人草』の主人公は物語の真ん中にふんぞり返る藤尾であり、『二百十日』の主人公は碌さんであろう。圭さんの姿が消えても物語の中にいる。

「神は自己だ」と兄さんが云います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭で聞いていると、少し変だと思うかも知れません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。
「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。
「僕は絶対だ」と云います。
 こういう問答を重ねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常を外れて来ます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。しかし私はそう容易く彼を見棄てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。
 兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空しい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地に入って親しく経験する事のできる判切りした心理的のものだったのです。(夏目漱石『行人』)

 江藤淳はこのHさんの解釈を詭弁とでも受け止めたのだろうか。Hさんの解釈に対して異論反論は自由だが、作品としての『行人』における長井一郎は「気狂い」でないことは認めざるを得ないだろう。

 私は兄さんの頭が、私より判然りと整っている事について、今でも少しの疑いを挟しはさむ余地はないと思います。しかし人間としての今の兄さんは、故に較くらべると、どこか乱れているようです。そうしてその乱れる原因を考えて見ると、判然りと整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。私から云えば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いをおきたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。私はそれで迷います。頭は確かである、しかし気はことによると少し変かも知れない。信用はできる、しかし信用はできない。こう云ったらあなたはそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。それよりほかに云いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。(夏目漱石『行人』)

 このHさんの手紙は、二郎に改心をもたらした。今の二郎は兄に相応の尊敬を払う見地を具えている。つまり一郎が精神病であるかもしれないという疑いは晴れたのだ。

 漱石の『行人』の一郎が言うように、宗教か自殺か狂気しかない。これが明治のインテリの問題だった。(『近代日本の批評・明治大正篇』P.85)

 そう柄谷行人は決めつけるが、これも間違いだ。確かに北村透谷は自殺したが、西田幾多郎は昭和二十年まで生きたし、狂ってもいない。漱石も狂ってはいない。ただ頭の働きが人並み外れて優れていることから、言っていることが解り難いだけだ。


「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」(夏目漱石『道草』)

 こんな短いフレーズでさえ、繰り返し考えてなお掴み切れない深遠な哲学ではなかろうか。しかもどうもはったりではない。例えば一郎の奇行は見事にロジカルなのだ。

「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」
私「まあそうだ」
 私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうする訳にも行きません。すると兄さんが突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。
 私は御承知の通りよほど神経の鈍くできた性質です。御蔭で今日まで余り人と争った事もなく、また人を怒らした試しも知らずに過ぎました。私の鈍いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人しては無論の事です。生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。
「何をするんだ」
「それ見ろ」
 私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。
「乱暴じゃないか」と私が云いました。
「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆するじゃないか」(夏目漱石『行人』)

 突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。は奇行、少しも神に信頼していないじゃないか。は見事なロジック。つまりこれを書いている漱石が極めてロジカルなのである。苦沙弥は細君に吾輩を叩かせる。吾輩が仕方なくにゃーと鳴いたところで、「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞く。

「おい」と呼びかけた。
 細君は吃驚りして「はい」と答えた。
「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」
「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯を出す。(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 作中では「君不相変らずやってるな」と「ふーん」が感投詞に括られる。『行人』では「あら姐はん」『道草』では「また悪いの。驚ろいた。ちっとも知らなかった。何時から」『明暗』では「まあ」(疑問とも感投詞とも片付かないものとして「大丈夫!?」がある。)が感投詞に括られる。おそらく「ふん」も感投詞である。漱石はこうしたことを一々考えながら小説を書いていたのだ。

 医学博士・平井富雄は『神経症 夏目漱石』(福武書店、1990年)において、漱石の症状を「うつ親和性素質者のうつ的反応」とする見解を示す。「うつ親和性素質」とは「固執性、執着性、生真面目さといった性格」とされる。そして吉本隆明の指摘する同性愛的傾向とパラノイアの指摘を一蹴し、一郎の内面の心的現象の推移を詳細に辿った創作者・夏目漱石を見つける。そして多くの精神科医によって書かれた漱石をパラノイアと見做す論文を「発生の心理過程を無視した表層的なもの」として批判する。『行人』を漱石が自身の中に潜む病的なものに立ち向かってはじめてその解釈に取りかかろうとした作品として捉え、生涯宗教にも神にも頼らなかったことを確認する。最終的な病名は「状況因性うつ病」「時代性うつ病」⇒「神経症的な軽症うつ病」と診断される。

 一郎をそのまま漱石にしてしまわないこと、それが創作物であることを指摘している点が当たり前ながら見事である。夏目漱石は坊っちゃんのようなことはやらなかった。当たり前だがしばしば忘れられる点である。






いいなと思ったら応援しよう!