谷崎潤一郎の『痴人の愛』をどう読むか③ こういうのが好きなんだろう

こういうのが好きなんだろう

 沼正三の『家畜人ヤプー』は三島由紀夫に絶賛されて大評判となった。三島由紀夫は「奇譚クラブ」に連載されていた『家畜人ヤプー』をスクラップブックにして、出版社に売り込みに行ったことがあるそうだ。そんな経過から沼正三=三島由紀夫まで出たこともあるが、沼正三は三島由紀夫ではない。これは確かだ。

 沼正三の『家畜人ヤプー』について三島由紀夫は、この一二年の間に出版された小説の中で比類がない、つまり『春の雪』よりすぐれた作品だと認めていなかっただろうか。つまり一番の作品だと褒めている。正確な文言は三島由紀夫全集で確認してもらいたい。『家畜人ヤプー』は民族としての日本人男性の本質的な劣等性を科学的に論じつつ、去勢から原爆までも快楽に変えてしまう恐るべき究極のマゾヒズムを描いた。こういっては何だが、マゾヒズムの語源ともなったマゾッホの作品など、『家畜人ヤプー』の足元にも及ばない。そしてここでねじれが出来上がる。その沼正三がやはりマゾッホと谷崎を比較して、谷崎作品の方がより優れた、高級なマゾヒズム文学だと断じているのだ。

 私は谷崎の初期作品を読んでいく中で、そのねじれを繰り返し指摘してきた。沼正三が語るマゾヒズムの理想と比較してしまうと、どうしても谷崎作品は不徹底でぶれが見えるのだ。ずばり「本物のマゾヒスト」ではなく、マゾヒストのふりをしているのではないかと私は谷崎を疑ってきた。それは谷崎が「ドミナ捏造論」を繰り返し論じ、自分の中の根源的な偏りとしてコプロラグニーや女装趣味をちらつかせながら、時に性欲と食欲を交換可能なものと見立てるなどといった実に置きつき払った振舞を見せるからだ。書かれていることは異常でも、どこかに本物ではない感じがする。それが谷崎の初期作品だった。

 無論私は谷崎作品がマゾヒズム文学としては不徹底で、だからマゾヒズム文学としては優れていないといっているのではない。谷崎作品はむしろその信用ならないところをしっかり認めながら、信用ならないものとして楽しむべきであろうと考えている。この『痴人の愛』のように沼正三的マゾヒズムが順に並べたてられる様子を楽しむべきなのだ。

 白皙人種に対する絶対的な劣等意識。

 私はシュレムスカヤ夫人がその「白い手」を私の方へさし出したとき、覚えず胸をどきッとさせてそれを握っていいものかどうか、ちょっと躊躇したくらいでした。
ナオミの手だって、しなやかで艶があって、指が長々とほっそりしていて、勿論優雅でないことはない。が、その「白い手」はナオミのそれのようにきゃしゃ過ぎないで、掌が厚くたっぷりと肉を持ち、指もなよなよと伸びていながら、弱々しい薄ッぺらな感じがなく、「太い」と同時に「美しい」手だ。―――と、私はそんな印象をうけました。そこに篏めている眼玉のようにギラギラした大きな指環も、日本人ならきっと厭味になるでしょうに、却って指を繊麗に見せ、気品の高い、豪奢な趣を添えています。そして何よりもナオミと違っていたところは、その皮膚の色の異常な白さです。白い下にうすい紫の血管が、大理石の斑紋を想わせるように、ほんのり透いて見える凄艶さです。私は今までナオミの手をおもちゃにしながら、
「お前の手は実にきれいだ、まるで西洋人の手のように白いね」
と、よくそう云って褒めたものですが、こうして見ると、残念ながらやっぱり違います。(谷崎潤一郎『痴人の愛』)

 体格差による圧倒。

 ナオミは私と並んで立つと一寸ぐらい低かったことは、前に記した通りですが、夫人は西洋人としては小柄のように見えながら、それでも私よりは上背があり、踵の高い靴を穿いているせいか、一緒に踊るとちょうど私の頭とすれすれに、彼女の露あらわな胸がありました。夫人が始めて、
“Walk with me!”
と云いつつ、私の背中へ腕を廻してワン・ステップの歩み方を教えたとき、私はどんなにこの真っ黒な私の顔が彼女の肌に触れないように、遠慮したことでしょう。その滑かな清楚な皮膚は、私に取ってはただ遠くから眺めるだけで十分でした。握手してさえ済まないように思われたのに、その柔かな羅衣を隔てて彼女の胸に抱きかかえられてしまっては、私は全くしてはならないことをしたようで、自分の息が臭くはなかろうか、このにちゃにちゃした脂ッ手が不快を与えはしなかろうかと、そんな事ばかり気にかかって、たまたま彼女の髪の毛一と筋が落ちて来ても、ヒヤリとしないではいられませんでした。(谷崎潤一郎『痴人の愛』)

 こうなるともう体臭までが蠱惑的になってしまう。

それのみならず夫人の体には一種の甘い匂いがありました。
「あの女アひでえ腋臭だ、とてもくせえや!」
と、例のマンドリン倶楽部の学生たちがそんな悪口を云いっているのを、私は後で聞いたことがありますし、西洋人には腋臭が多いそうですから、夫人も多分そうだったに違いなく、それを消すために始終注意して香水をつけていたのでしょうが、しかし私にはその香水と腋臭との交った、甘酸ッぱいようなほのかな匂が、決して厭でなかったばかりか、常に云い知れぬ蠱惑でした。それは私に、まだ見たこともない海の彼方の国々や、世にも妙なる異国の花園を想い出させました。
「ああ、これが夫人の白い体から放たれる香気か」
と、私は恍惚となりながら、いつもその匂を貪るように嗅いだものです。(谷崎潤一郎『痴人の愛』)

 犬を早く飼いならすためにはビスケットを与える際には唾液をつけると良いとか。河合はもうご主人のサンダルの匂いがたまらない犬になっている。しかしこれは谷崎が読者に自分の唾液をつけたビスケットを与えているに過ぎない。

 躾けられようとしているのは読者だ。





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