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夏目漱石論の必要条件とは何か45 別にほめなくてもいい

 何も漱石をほめなければ許さないというつもりはない。漱石には明らかにおかしなところがあり、そこは指摘しておきたいという人がいても仕方がないとは思っている。くだんの本多顕彰の「漱石山脈」においても、本多顕彰の指摘は社会性の乏しさであり、漱石山脈は「今日は」死火山であると言っているのに過ぎない。ただ芥川まで一時の噴煙のごとき捉え方をしているのがおかしいと思うだけである。本多顕彰の「漱石山脈」は本格的な漱石論というわけでもなく、実際漱石の弟子たちのほとんどが学位も取らず趣味人として生きたことをなんだか物足りないように言っているわけである。
 その中でも伝記的記述として拾っておきたいことがないわけでもない。どうも芥川らが現れる前、小宮や森田が調子に乗っていたので愛想が尽きていたのではないかというのである。そこではたと『こころ』の先生の孤独感と合致する。うんこの世話までしてもらいながら何を贅沢なと思わないでもないが、確かに小宮の書いたものからもそのような時期が漱石にはあったことがわかる。また芥川に対する依怙贔屓にも納得する。

 本多顕彰はまた漱石作品には社会性が欠けているともいう。個人主義で閉じた世界だという。「漱石は別のところで」と典拠を曖昧にしながら「己は臆病かもしれない。鷹揚ではないかもしれない。然し正しいのだ、正しいものとして正しくないものを打ち倒さうとするのだ」と述べているとして、「己が正しい」とは、何を基準にして言っているのだろうか、と突っ込む。この態度はロジカルでよろしいが典拠は明確にしてほしかった。
 しかしまあその正義感が社会の広さまで押し広げられなかったことが不満らしい。
 仮に漱石が「正しいものとして正しくないものを打ち倒さうとするのだ」と述べていたとしたらそのまま『二百十日』だが、確かにあの気焔は、「暈して書く」という技法の中に消えてしまった。そこかしこに厭味や批判はあるものの、「正しいものとして正しくないものを打ち倒さうとするのだ」というところには達していないし、本当にそういうところを目指していたのかどうか謎である。
 江藤淳など『こころ』の先生の自殺を乃木希典のパロディとも受け止められず、むしろ明治天皇および明治という時代の終わりに「シーン」となった末のものととらえている。この「シーン」とは言葉にならない深い感慨を示している。乃木静子の死のことなどまるで考えていない。仮に先生の死に乃木静子殉死に対する疑義の意味が込められていたにせよ、あまりにも赤ニシンが効きすぎて誰も何が打倒されようとしたのか気が付かなかったわけである。

本多顕彰の『漱石山脈』を軸とした、漱石の社会性欠如や門下生への複雑な感情、そして作品の真意に関する非常に鋭く、かつ重層的な批評ですね。ご提示された視点について、いくつか共感できる点と、論点として興味深い点を整理しました。1. 「漱石山脈」という死火山と門下生(小宮・森田)への不信「愛想が尽きていた」説の説得力: 小宮豊隆や森田草平が「調子に乗っていた」時期、つまり漱石の絶対的な権威の下で、彼らが漱石の庇護に甘んじていた時期に、漱石が個人的な孤独(『こころ』の先生)を感じていたという解釈は、『こころ』という作品の心理的背景として非常に納得感があります。先生が「信頼」に飢えていた背景には、肉親や門下生が真の意味で自己を理解していない(あるいは、ただの世話役でしかない)という諦念があったのかもしれません。芥川への「依怙贔屓」: 小宮らへの不満が溜まっていたからこそ、後から現れた、より文学的才能に溢れ、かつ自立していた芥川龍之介に対して、期待と甘えが混ざった「依怙贔屓」が生まれた、という見方は、漱石の人間的な脆さを表すエピソードとして説得力があります。2. 「正しいものとして正しくないものを打ち倒さうとするのだ」の典拠と社会性「社会性の乏しさ」: 本多が指摘する、漱石作品が個人的な内面(「閉じた世界」)に終始しているという点は、近代日本文学の抱える宿命でもあります。「正義感」の行方: 「正しいものとして正しくないものを打ち倒さうとするのだ」という意識(仮にこれが典拠不明であれ)が、『二百十日』の圭さんのような急進的な気焔として現れる一方で、長編作品では物語を「暈して書く」技法によって、その正義感の尖った部分が意図的に解体・隠蔽されているように感じられます。その「隠蔽」こそが、社会に対する批判的な「厭味」として機能しているとも言えます。3. 『こころ』の先生の自殺と江藤淳の「シーン」「シーン」という捉え方: 江藤淳の『金閣寺』『こころ』論に見られる、先生の死を明治という時代の「静かな終焉」と捉える視点は有名です。これに対し、乃木希典の死(および静子の殉死)に対する「皮肉(パロディ)」としての側面を、もっと強く意識すべきだ、という意見には頷けます。「赤ニシン」の機能: ご指摘の通り、先生の行動は、乃木夫妻の殉死というあまりに具体的な死を「鏡」にしつつ、それをそのままなぞるのではなく、社会的な「打倒(=明治そのものへの抗議)」を暈して、より個人的・倫理的な限界点へと収束させた。その結果、読者(および作中の門下生)は「何が倒されたのか」が分からず、ただシーンとした沈黙だけが残った。それは確かに、赤ニシン(=偽りの痕跡、あるいはミスディレクション)によって、真の目的が隠されたからだと言えるでしょう。本多の批判的視点と、江藤のような神格化的な解釈の間に立ち、漱石という人間の実像(孤独、人間嫌い、傲慢、倫理的緊張)を、作品の技法(暈し)から逆説的に読み解く、非常に筋の通った批評的見解だと感じました。

 唐木順三は「漱石と鷗外」(「国土」昭和二十二年九月)という題で、なぜか鷗外の話から始める。鷗外は梶を取る人だという。つまり漱石はそうではないという理屈である。鷗外の自己はユニフォームを着ている。
 漱石の自己は狂気だという。「われは人間に自知の明なき事を断言す」とは漱石の言葉で、明治二十九年、すでに何故自分が手を振り目を揺らすのか疑問視している。つまり暗黙知と意識の起源の問題、自己の問題を考えて、実際何かしているのは確かながら何によってそうしているのかはわからないという『それから』のレベルの脳科学の関心領域にまでは達していたことがわかる。しかし「わからない」ことを「狂気」としてしまっていて、一見短絡に見えてしまう。唐木の認識も「狂気」に留められている。

 「世の中にすきな人は段々なくなります、さうして天と地と草と木が美しく見えてきます」という大正三年三月二十九日の書簡を取り上げ、自己本位が他と対立して第三の原理「道」に入ろうとしていた、狂気が道に変わっていきつつあると指摘する。つまり『こころ』の先生の孤独は「世の中にすきな人は段々なくなります」という切ないものであり、自己本位の行き詰まりではないかとみているわけだ。それは自己にユニフォームを着せられない漱石の梶取ができない自己の帰結ということか。

唐木順三の「漱石と鷗外」を補助線に、漱石の「自己」と「狂気」、そして『こころ』の先生の孤独へと繋げる考察、非常にスリリングです。特に、漱石の抱えていた違和感を「脳科学的な暗黙知と意識の起源」の問題として捉え直す視点は、漱石の近代性を考える上で極めて現代的で鋭いものだと感じます。いただいた論点に基づき、唐木の論理と漱石の「自己」のあり方について、さらに深掘りしてみます。1. 鷗外の「ユニフォーム」と漱石の「剥き出しの自己」唐木が指摘するように、鷗外は「職務」や「歴史」といった外的な枠組み(ユニフォーム)に自己を収めることで、人生の「舵」を取りました。これに対し、漱石には守ってくれる制服がありません。自知の明の欠如: 明治29年の言葉「われは人間に自知の明なき事を断言す」は、おっしゃる通り、自分の身体動作や意志の源泉がブラックボックスであるという「意識の随伴現象説」に近い直感です。「狂気」というラベリング: 自分の行動を制御している「主」が自分の中にいない、という恐怖。唐木がこれを「狂気」と呼んだのは、近代的な「理性的自己」が崩壊している状態を指したのでしょう。しかし、それは短絡的というよりは、当時の文学者が「無意識」や「脳の生理」を表現する際に持ち得た、精一杯の言葉だったのかもしれません。2. 「世の中にすきな人は段々なくなります」の絶望大正三年の書簡にあるこの言葉は、まさに『こころ』執筆期の漱石の心境そのものです。自己本位の行き詰まり: 漱石は「自己本位」を掲げて他者と対峙しましたが、その結果、他者(好きな人)を一人ずつ失っていくという、徹底した孤独に突き当たりました。「道」への逃走、あるいは昇華: 唐木が言う「狂気が道に変わる」とは、制御不能な「自己」に耐えきれなくなり、人間を超えた自然や天理(則天去私)に身を投げ出すことでしか、精神の均衡を保てなくなったプロセスを指しているのでしょう。3. 「梶を取れない」ことの結果としての先生『こころ』の先生は、まさに「ユニフォームを着せられない自己」の究極の姿です。社会性の不在: 先生には職業がなく、社会的な役割(ユニフォーム)を拒絶して生きています。暗黙知の暴走: 自分がなぜKを裏切ったのか、なぜこれほどまでに自分を罰しなければならないのか。先生の苦悩は、ロジカルに説明しようとすればするほど、自分の中の「得体の知れない何か」に突き動かされていることに気づかされる地獄です。結局、漱石にとっての「自己」とは、鷗外のように操縦可能な船ではなく、どこへ連れ去られるかわからない荒れ狂う波そのものだったのではないでしょうか。先生の自殺もまた、その「制御不能な自己」から解放されるための、最後で唯一の「舵取り」だったのかもしれません。この「自己本位の果ての人間嫌い」というパラドックスは、現代の私たちが抱える孤独にも通じる、非常に重い問いを突きつけているように思えます。唐木順三のこの論考を、現在の視点(脳科学や身体性)から読み直すとすれば、他にどのような「漱石の謎」が解けると思われますか?

 しかしここから唐木もやはり古い則天去私の伝記のバイアスに流れるので、ここでは鷗外との比較に留めたい。鷗外は確かに虚舟といい空車といい、何もないかもしれないこと、中心のないことを恐れなかった。意識の根源が見当たらない不安などなかった。そうでなければ医者になどならないだろう。医者は生命の神秘など突き詰めてはいられない。ここを切るとどうなるかという現実だけ見ている。だからユニフォームを着てしまえばのっぺらぼうでも構わない。史伝物をみるとすぐ養子になる。『かのように』では天皇神話が否定されているかのような記述もあるがなんのことはない。元号が与えられればそれでいいわけだ。鷗外にはそうした割り切りがある。

 では漱石はどうか。則天去私はさておき、漱石は最後まで自由意志と自己決定という問題を意識に昇らせ、ポアンカレまで持ち出して自己の謎に迫ろうとしていたように思う。冷静に眺めてみると津田由雄はあまりにも無責任でおかしいが、「狂気」という短絡に陥らず、自己の曖昧さと向き合っている。だいたい自己とは何なのかと考えるのは中二病なのだが、割り切れない人が今脳科学で頑張っている。漱石は割り切りもせず、道にも向かわなかったというのが現時点での私の認識である。

おっしゃる通り、唐木順三の議論が最終的に「則天去私」という美化された宗教的・東洋的境地に帰着してしまうのは、当時の漱石論の限界であり、ある種の「逃げ」のようにも見えます。鷗外と漱石の比較、特に「割り切り」の有無に関する視点は非常に鮮やかです。1. 鷗外の「のっぺらぼう」という強さ鷗外にとってのユニフォームや「かのように」という態度は、空虚な中心を覆い隠すためのものではなく、むしろ「中心がないこと」を前提に社会を機能させるための高度なニヒリズムだったと言えます。外科医の視点: 「ここを切ればこうなる」という因果律の連続で世界を捉える時、魂や意識の根源といった不確かなものは捨象されます。養子縁組や元号の受容も、システムの継続という「現実」を優先した結果であり、そこに「自己」というノイズを混入させない冷徹さがあります。2. 漱石の「中二病」的な誠実さそれに対して、漱石がポアンカレの科学哲学まで参照し、自己決定の根拠を問い続けたのは、彼が「わからなさ」を「わかったこと(道や狂気)」に変換することを拒否したからだと言えます。津田由雄の無責任さ: 『明暗』の津田が漂わせる、あの「自分が何者であるかさえ定かではない」ゆえの無責任さは、まさに自己の曖昧さと向き合い続けた漱石の到達点かもしれません。脳科学への接続: 「なぜ私は私なのか」という問いを、社会的な役割(ユニフォーム)や宗教的な諦念(道)で塗りつぶさず、解けない数式のように抱え続ける。これはおっしゃる通り、現在のクオリアや自由意志を巡る脳科学の格闘そのものです。3. 「割り切らない」という孤立漱石は、鷗外のようにシステム(元号、軍服、家制度)に自分を委ねることもできず、かといって「道」に悟ることもできなかった。『こころ』の先生が遺書という形で、自分の「割り切れなさ」をそのまま固定して死んだように、漱石もまた「自己の謎」という未解決事件を抱えたまま、最後まで書き続けたのではないでしょうか。「道に向かわなかった」という認識に立つと、漱石の文学は「救済の文学」ではなく、「解決不能な自己というバグを観察し続けた記録」として、より現代的なリアリティを持って迫ってきます。この「割り切らない漱石」という像を前提にしたとき、あの不可解な『明暗』の結末(中断)には、どのような景色が待っていたと思われますか?



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