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流行語から漱石を読む

花月巻

 花月巻

  突然ですが、

 向うの方で漢学のお爺さんが歯のない口を歪めて、そりゃ聞えません伝兵衛さん、お前とわたしのその中は……とまでは無事に済すましたが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕まえて近頃こないなのが、でけましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半可の英語でぺらぺらと、I am glad to see you と唄うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 この花月巻はどれか解りますか? 左下の奴ですよ。トップの絵は西郷星です。写真は別ですが、これも槌田満文の『明治大正風俗語典』(角川選書 1979年)のネタで、花月巻は明治三十七年ごろ大いに流行し、日露戦争後に次第に廂髪に移っていったそうです。漱石はこんな形で時代の風俗を取り入れて小説を書いていたんだということがよく解りますね。今、女性の髪形を必要以上に知っているのは髪結いぐらいでしょうが、漱石はそれだけ女性に関心を持っていたわけです。

束 髮 の 變 遷   束髪といふものが我國に結はれましてから、彼是四十年、その間に多少の變遷はありましたものゝ、それは三つ組、S卷、花月卷、夜會、庇髪といふやうなもので、何れも同じやうな形を追ふて變化して來たばかりで、日本髪に恐ろしい變化を與へたといふやうな譯ではなかつたのであります。最も其うち割合最近に起りまして今尙流行してゐる庇髪の東髪は、在來の日本髪といふものに對立して束髪といふ一つの結髮振りになつでは居りますが、その髪扱ひ方、形などから考へて見ると、矢張り在來の日本髪と大した變つたものではありませんが、大正九年頃から東髪といふものが著しく歐風化して、そこに全く新しい束髪といふものを日本に起したのであります。(『お化粧と髪の結ひ方』三須裕 著アルス 1923年)

二百三高地

  好くってよ

縫という娘は、何か云うと、好くってよ、知らないわと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛け易かえる。近頃はヴァイオリンの稽古に行ゆく。帰って来ると、鋸の目立ての様な声を出して御浚いをする。ただし人が見ていると決して遣らない。室を締め切って、きいきい云わせるのだから、親は可なり上手だと思っている。代助だけが時々そっと戸を明けるので、好くってよ、知らないわと叱られる。(夏目漱石『それから』)

 この「好くってよ」も明治三十八年ごろの流行語だそうです。この台詞の挿入も作中ではバイオリンの流行と共に、明治時代の風俗を拾っている感じですよね。こうした小説の中の女言葉の語尾というものは表現上の男女の書き分けの工夫であって、実際に「わ」だの「だわ」だのという女言葉は発声されていないというような説もありますが、これは一時確かにあり、次第に消えて行ったということなんでしょうね。漱石はそうした若い女性の言葉にテレビもインターネットもない時代に敏感に反応していたことになりますね。テレビやインターネットがあれば、引きこもりでもさまざまな時代の風俗と接することが出来ますが、そうでなければ、これはよほど耳が良く、ちょっとした会話を聞き漏らさないように捉えていないと難しいと思います。

 私も実際に良家の御嬢さんらしき人が新宿の伊勢丹で「もう一時間も歩いてるんですけど」という言葉を聞いて「けど」の厭味用法を始めて確認しました。「けど~」の先は何とは質問しませんでした。しかしこういう作業にはかなりの集中力が必要でしょうね。あるいは興味が。

高等出歯龜

小說はまだかゝない。いづれ新聞に間に合ふ樣にかく。中々あつい。田舍も東京も同じくわるい人が居るのだらう。此分では極樂でも人殺しが流行るだらう。僕高等出歯龜となつて例の御孃さんのあとをつけた。歸つたら話す。小供が丸裸でゐる。どうも天眞爛熳として出來ものだらけだ。驚ろいた。(夏目漱石「書簡」・小宮豊隆あて)

 槌田満文はこの漱石の手紙を紹介して「出歯龜」という流行語に漱石が二文字加えて「高等出歯龜」なる言葉を創作したかのように書いていますがが、実は、この「高等出歯龜」自体に他に用例があります。

番紳 番紳頭「お宅は二條やおまへんかいなア」            紳士「其場合そんな事を考へて居るかえ、何處の孃樣かお宅を突き留めて置いて人を以て結婚でも申込めるなら嬉しいと、吹雪に吹かれて附いて歩いたのぢや」                              番頭「まるで高等出齒龜ぢゃがな。そうしてお宅が判りましたのかいな」(『曽我の家五郎喜劇全集 第15編』大鐙閣 1923年)
處で最初の問題だが、浅山が件の如き高等出齒龜とした處で、是も我々に取つて別に痛痒を感ずる事ぢや無いんだから(『跫音』柳川春葉 著春陽堂 1909年)

 漱石の書簡集が出るのが1919年なので、高等出齒龜という言葉が漱石発信のものとはどうも考えにくいわけです。高等出齒龜という言葉は出齒龜、出齒るという言葉の流行に併せて、漱石以前にどこかで使われていた言葉なのではないでしょうか。而してその意は、

 現今文壇の大勢は即ち自然主義全盛といふも過言にあらず、而して人は自然主義を稱して肉慾主義といひ、甚だしきは出齒龜主義などの綽名を以てす。(『文学科講義録研究の栞』早稲田大学出版部編輯員 述早稲田大学出版部 1909年)
 されば古今獨步、東西無比の天才と、お國自慢のヤンキーから銘をうたれたワシントン、アービングはそのスケツチブツクに、寡婦を手に入れんとする者は躊躇ふべからず。萬づ日の暮れぬ間に仕事を片付けんと覺ぎ悟せよ。ゆめ遠慮がちに先の機嫌を問ふことなく思ひ切つて言へ。寡婦殿御身は吾が物なりと。と盛に出齒龜主義を皷吹して居る。物騒な事である。かく唯一の天才先生から皷舞せられ奬勵せられて、何條助不根性たつぷりのヤンキーが默止すべき。(『海のロマンス』米窪太刀雄 著中興館書店 1915年)

 程度に薄められたもので、殺しはせぬが観察はするという程度のものではないでしょうか。

 俳句の初心者向けの教本みたいなもので「孫の俳句は駄目」「テレビウオッチャーになるな」とかいう注意事項と並んで「出齒龜主義」も禁止されていたような気がします。「わざわざ見に行く姿勢」が批判されていたような気がします。小説でいえば、わざと事件を起こすようなものでしょうか。そうなると全然自然ではないなあ。

でばがめ

催促髷

催促髷(さいそくまげ) 島田髷のことで、娘が妙齢になり、美しい島田髷を結ふのは十分に婚期に滿ちたるを暗示し、配偶者を得んとさも催促するやうな観があるから、この名がある。(『日本性的風俗辞典』佐藤紅霞 著文芸資料研究会 1929年)

 この催促髷に関して槌田満文は夏目漱石作品には言及していませんが、この言葉を目にして、ああ、なるほどという箇所があります。

「何に結おうかしら」
 髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然市っさんと呼んだ。
「あなた何が好き」
「旦那様も島田が好きだときっとおっしゃいますよ」
 僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにも鈍に聞こえた。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 漱石はここで催促髷とは書いていません。いませんが、やらしていることはまさに催促髷ですね。「旦那様も」と言われてぎくりとした須永が気の毒になります。島田は催促髷なんだという意識があつてこそ、ここには意味が生まれるわけですね。

 こうした言葉一つ一つの意味から作品を丁寧に解釈していくことはやはり大切な事なんじゃないかと、今日は初心に帰ってみました。


[余談]

反歯かくし

 コロナかと思ったら違った。この時代の風俗写真を未来人はどう見るだろうか。最近はアイメイクばかりのマスク美人にも食傷気味で、唇を露出する下品な人にも目が行くようになった。

[余談②]

あごはでていない。無題

 顎は出ていない。比べてみてください。他の写真はみな顎が出ているんです。目的は不明ですが。明治天皇の写真も変でしたし。え? 誰この人ってて? 知りません?

 ならそのこと自体が問題ですよ。

 グーグル・レンズって知ってます?

[余談③]

高利貸し

 大正六年の「東京語辞典」より

 この時代から、高利貸しか。

午後五時半

 午後五時半は知らなかった。まだ明るいよ。

しめこなべ

 しめこなべも知らなかったな。いつから食べなくなったんだろう。

セブン

 セブン……大正六年に……。

しわのばし

 しわのばし……。

みちくさ

 『道草』! 今では男女差別の用語だけど、確かに娘三人なんとか……という言い回しもあったし。

おやじ

 おやじ。

でか

 でか。

なりきん

 なりきん。

にぎり

 にぎるな。


 他人って、たぶんあなたの事をどーうとも思っていませんよね。他人だから。

 なんやかやといっても、あなたの事を考えてくれているのは母親だけではないですかね。母親が赤ちゃんに物を食わせている場面は神聖なものです。何の作為もなく、そこはまさに母性があるだけです。

 それ以外の人間関係ってすべて他者とのどーでもいい関係なんですよね。だから自分が好きなようにやればいいと思います。犯罪さえ冒さなければ。














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