谷崎潤一郎の『刺青』『麒麟』を読む 社会風刺作家・谷崎潤一郎
生きている間、魚はいつも全裸である。死して経帷子の代わりに衣を纏わされてさえ、もっとも恥ずかしい尾鰭だけは裸で晒されている。スカートを巾着にされたようなものだ。しかしすくなくとも私は鯵のなめろうにも、エビの天麩羅にもエロティシズムを感じたことは一度もない。それは何故か?私が谷崎潤一郎の小説を読み返すたびに考えるのはそのことである。今日地面と平行に三本の長ネギを素手で持って歩く老人を見た。そしてふと、お前はこれまで今から人間に切り刻まれて喰われる長ネギの気持ちを考えたことがあるかと部下に説教する架空の上司のことを考えた。少なくとも私はこれまで今から人間に切り刻まれて喰われる長ネギの気持ちを考えたことがない。
其れはまだ人々が「愚か」と云ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分であつた。(谷崎潤一郎『刺青』)
こうしてあたかも激しく軋み合う徳のない時代を批判するような文言で始められる『刺青』は明治四十三年に発表された。『刺青』は茶坊主や幇間が立派に存在していけた、世間がのんびりしていた時代の話である。そして刺青が流行った時代でもあった。話はやはり一幕の芝居のように複雑な構造を持たない。彫り物師の清吉が見初めた娘の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫る。娘は「紂王の寵妃、末喜」のごとき美しく残酷な女となり、清吉を最初の肥料、生贄とする。
谷崎がいよいよ「ドミナ」を描きはじめた、そう思わせかねない作品である。
いやおかしい。
おかしいのだ。「紂王の寵妃、末喜」ではおかしいのだ。末喜は「夏」の最後の帝・桀(けつ)の妃の一人である。紂王は殷(いん)王朝末代(第30代)の王である。時代が違う。「夏桀殷紂」と呼ばれる暴君の代名詞であることだけ共通している。「紂王の寵妃」は妲己、酒池肉林の語源となる悪女である。
以酒為池、懸肉為林、使三男女倮、相逐其間、為長夜之飲
酒を以って池と為し、肉を縣けて林と為し、男女をして倮にして、其の間に相い逐しめ、長夜の飲を為す。(「史記」殷本紀)
作中、清吉がセクシャルハラスメント的に娘に見せつけた巻物には「紂王の寵妃、末喜」が描かれていたことになっている。
瑠璃珊瑚を鏤めた金冠の重さに得堪へぬなよやかな體を、ぐったり勾欄に靠れて、羅綾の裳裾を階の中段にひるがえし、右手に大杯を傾けながら、今しも庭前に刑せられんとする犠牲の男を眺めて居る妃の風情と云ひ、鐵の鎖で四肢を銅柱へ縛ひつけられ、最後の運命を待ち構へつヽ、妃の前に頭をうなだれ、目を閉ぢた男の顔色と云ひ、物凄い迄に巧に描かれて居た。(谷崎潤一郎『刺青』)
確かに末喜にも妲己と同じようなエピソードが伝えられている。
しかしこれは単に谷崎潤一郎が紂王と桀、末喜と妲己を取り違えただけの話なのだろうか。『誕生』に「億兆の國民」の文字を見つけてしまうと、そうやすやすと騙されまいと、つい身構えてしまうものである。
「此處に斃れて居る人達は、皆これからお前の為に命を捨てるのだ」と清吉は娘に言う。そんな人を私は一人知っている。
「昭憲皇太后が来た、昭憲皇太后が来た」
とまわりの人が騒ぎたてるので見ると、65歳ぐらいの立派な婆さんである。広い額、大きい顔、毅然とした高い鼻、少ししかないが山脈の様な太い皴に練白粉をぬって、パーマの髪も綺麗に手入れがしてあるし、大蛇の様な黒い太い長い首には燦然と輝く真珠の首飾りで、ツーピースのスカートのハジにはやっぱり英国製という商標マークがはっきり見えているのだ。私が変だと思うのは、この昭憲皇太后は明治天皇の妃か大正天皇の妃かも私は考えないし、そのどちらも死んでいる人なのに、そんなことを変だとも思わないでとにかく昭憲皇太后だと思ってしまったのはどうしたことだろう。
昭憲皇太后が目の前に現れると私はその前へ飛んで行って、いきなり、
「この糞ッタレ婆ァ」
と怒鳴った。(深沢七郎『風流夢譚』)
昭憲皇太后、一条美子(いちじょう はるこ)の夢枕に坂本龍馬が現れ、海軍の大勝利を占わせたことにより、日露戦争が始まったという話がある。
皇太后は天皇の母であり、本来追号は「昭憲皇后」であるべきところ昭憲皇太后と追号を贈られたことから、むしろ皇后であったことがないような勘違いなら解るが、昭憲皇太后は明治天皇の妃か大正天皇の妃かも私は考えないというのはいったいどういうことだろうか。このことは夏目漱石の、
推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。(夏目漱石『三四郎』)
という冷やかし程度にいかにもわざとらしく不敬なふるまいだ。この『風流夢譚』において、このあと主人公と昭憲皇太后は取っ組み合いの喧嘩をする。そして終戦の手柄をヒロヒトのものとする昭憲皇太后に対して、主人公は「米内、岡田、鈴木貫太郎」らのおかげだと反論する。昭憲皇太后は明治天皇の妃か大正天皇の妃かも私は考えないといいながら、「米内、岡田、鈴木貫太郎」とはいかにも正気の正論である。
深沢七郎の八つ当たりはやり過ぎとして、谷崎潤一郎にはどこか国母を恨むところがなかっただろうか。こんなことを書いても誰も喜ばないとは思うが、どうも『麒麟』には毒婦に傅きたいといったドミナ願望、マゾヒスト的変態性などが微塵も感じられない。『刺青』にはそうしたものが微かにあったが麻酔薬で薄められた。『麒麟』には妙に真面な政治的なものがある。末喜も妲己も言ってみれば国母である。世間がのんびりしていた時代の話などという小説家のふりをそのまま信じていいわけがない。末喜と妲己が交換可能だとしたら、昭憲皇太后と貞明皇后(ていめいこうごう)も交換可能という理屈になる。あるいは…
それに何しろ、私は娘が裸に剥かれて刺青を彫られる場面で麻酔剤が使われることに興ざめするのだ。そんなものは全裸の魚であり、長ネギに過ぎない。そのことを谷崎潤一郎は知死期のように歯を食いしばり、ひいひい悲鳴を上げる男を前振りに明確に示している。映画『蛇にピアス』では吉高由里子が刺青を彫られひいひい悲鳴を上げるから好かった。『刺青』にはそれがない。ない代わりに妙なパズルがある。
何故私が紂王と桀、末喜と妲己を取り違えを認められないかというと『麒麟』が「西暦紀元前四百九十三年。左丘明、孟軻、司馬遷等の記録によれば…と始まるからだ。
紫の貂の裘や箕水の流れなどところどころおかしな言葉がないではないが、仮にも孔子について書いている設定なので、孔子は確かに緇布(くろぬの、しえ)の冠を被っている。林鐘は萬物死氣に就き林林然たるを言ふ。
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/958959?keyword=%E6%9E%97%E9%90%98&page=47
しかし
「また暴政に苛まれた人々の呪と涙とが封じられて居て、あのような怖ろしい音を出す。」
と孔子が教えた。(谷崎潤一郎『麒麟』)
…と孔子は余計なことを言う。あくまで西暦紀元前四百九十三年、衛の國の話である。孔子は霊公は無道な君であるけども、その臣下に叔圉などできるやつをおいており、人を用いるのがうまいから持っている、と述べている。少し話が違う。
「それは此の國の人民が、わが公の仁徳と、わが夫人の美容とを讃へるあまり、美しい花とあれば、悉く獻上して宮殿の園生の牆に移し植ゑ、國中の小鳥までが、一羽も殘らず花の香を慕うて、園生のめぐりに集る爲でございます。」(谷崎潤一郎『麒麟』)
また霊公に招かれた孔子は言う。「公がまことに王者の徳を慕ふならば、何よりも先づ私の慾に打ち克ち給へ。」あくまで西暦紀元前四百九十三年、衛の國の話である。天子様の方は肴代一日分百円以上なりと文句を言っている訳ではけしてない。
霊公は孔子に学び、野山には小鳥がさえずり、民家には麗しい花が咲き、百姓は耕作にいそしむようになった。夫人は孔子に夫を奪われたと怒る。霊公はこれからは夫が妻を愛するように愛す、これまでのように奴隷が主に使えるように、人間が神を崇めるようには愛さない。これまでは私の國、富、民、命をささげてお前の歓びを贖ってきた。今まではお前の肉体の美しさが私にとっては最上の力であったが、聖人の心の響きは更に強い力を私に与えた…と告げる。
夫人は孔子を自分の虜にしてみせよう、と宣言。孔子に拝謁をせよと伝える。孔子は逆らえない。はい、そして拝謁した孔子に、夫人は言う。
「この衛の國を訪れて、妾の顔を見た人は、誰も彼も『夫人の顙は妲己に似て居る。夫人の目は褒娰に似て居る。』と云って驚かぬ者はない。先生が眞の聖人であるならば、三王五帝の古から、妾より美しい女が地上に居たかどうかを、妾に教えては呉れまいか。」(谷崎潤一郎『麒麟』)
妲己、でてきましたねえ。褒娰はまた西周を破滅に導いた、亡国の美女である。つまり谷崎潤一郎は妲己を確かに知っていた。夫人は香炉を焚き、酒や料理を勧める。そして部屋を帳で仕切り、庭に通じる階に誘う。そこには『刺青』の巻物にあらわれたもの、そのままの光景があったのだ。酷刑を待つ罪人の群れ。一人として衣を整えた者ははなく、完き膚の者もなかった。夫人の悪徳を口にしたばかりに炮烙に顏を毀たれ、頸に長枷を嵌めて、耳を貫かれた音子達もあった。霊公の心を惹いたばかりに夫人の怒りを買って、鼻を劓がれ、兩足は切られ、鉄の鎖につながれた美女もいた。つまり『刺青』ではわざと取り違えたように書いたことは間違いなかろう。
某日、夫人と孔子は車で街を流す。その夕、夫人の閨を霊公が訪れる。南子夫人が自分を滅ぼす怖ろしい女と知りつつ離れられないのだと。翌日孔子たちは曹の國へ旅立つ。吾未見好徳如好色者也、という言葉を残して。
また徳が問われる。
これでは全然「悪魔的」ですらない。そういう世界があることを認めつつ、そういう世界を悲しいものとして眺めているかのようである。鯵のなめろうやエビの天麩羅に欲情する人を私は何ら批判しない。しかしやはり今から人間に切り刻まれて喰われる長ネギの気持ちを考えたことがあるかと問われれば、やはりないのだ。『麒麟』はやはり何かが丁寧に隠され、今が問われている。
『麒麟』にはエピグラフとして『論語』の微子篇が引かれている。わざと読み下し文なしで。付け足してみるといかにも剣呑である。
鳳兮鳳兮、何徳之衰也、往者不可諌也、来者猶可追也、已而已而、今之従政者殆而
(鳳よ、鳳よ、お前の徳はどうして衰えてしまったのか。過ぎ去ったことは諌めても仕方がない、これからのことを考えよう。やめておけ、やめておけ、今の政治に携わるのは危険なことだよ)
この言葉は楚の狂人・接輿のものである。微子篇ではこの後、孔子は車から降りて接輿と語ろうとしたが、小走りに逃げていったので、彼と語り合うことは出来なかった。……このいかにもこざかしい社会風刺作家は何者なのか?
そんなことを問う者はこれまでこの世にもあの世にも誰もいなかった筈だが、では今之従政者殆而をどのように読み下していたのか? 殆とは、あやうい/あぶない/危険な/ほとんどなどの意味をもつ漢字である。ここはあやうい/あぶない/危険なとよむべきではないのか。それにそもそもどこの変態作家がわざわざ春秋、国語、孟子、史記を読むのか。と書いてみる。
無論、ここまではまだ谷崎潤一郎2.0の入り口に過ぎない。
この話、意外だったな、と思う人、手を挙げて。
forgot to go before class pic.twitter.com/djApm6NpLV
— Dont Show Your Cat (@DontShowYourCat) January 15, 2023
はい。なるほどね。君偉いね。
※ 本買ってね。↓
【余談①】『刺青』の言葉たち
女自雷也 江戸時代後期の読本に登場する架空の盗賊・忍者。自来也、児雷也
刺青 ほりもの 作品の読みは しせい 市井? 思斉
絖地 ぬめじ
畫工 えかき
知死期 ちしご ① 陰陽道で、人の死期を知ること。 また、その時刻。 ② 近世の俗信で、人が死ぬとされる時刻。
怺へていると こらえる 音読みなし
啻 ただ 音読み シ
房楊枝 かわ柳などの小枝の先端を煮て鉄鎚で叩き、木綿針の櫛ですいて木の繊維を柔らかい房状にしたもの
錆竹 銹竹 立枯れして表皮に錆のような斑点の生じた竹。
萬年青 おもと
訪ふ おとなふ
藝妓 はおり
岩井杜若 いわいとじゃく
たたう たとう紙、「畳紙」や「帖紙」と表記され、折りたたんで包む紙のこと
備後表 広島県の尾道,福山付近で生産される畳表
紂王 ちゅうおう 殷の最後 (第 30代) の王。
末喜 (ばっき、まっき)は、夏の最後の帝・桀(けつ)の妃の一人。
羅綾 らりょう うすぎぬとあやおり
凱歌 かちどき 勝鬨
箱屋 座敷に向かう芸妓に同行する付き人
魘される うなされる 音読み エン
燦爛 さんらん
『麒麟』は多すぎるからやらないよ。
【余談②】顙 ひたい の字を打つのに十分以上かかった。
顙ってなかなか出てこない。おうがいで探しても、ぱっとは出てこないよ。そりゃ漢字は六万字以上あるんだからとはいえ、文字情報基盤検索システムって使いづらいんだよね。
もっとシンプルな漢字辞典で広告なしのものが出てこないかな。
【余談③】自衛隊は露西亜から日本を守ることができるのか?
ちょっときついな。
