『彼岸過迄』を読む 4332 「蛸の単調」
吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹の先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜えて、片手に棹を使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるや否や、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。
蛸は船頭一人の手で、何疋も船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそ皆珍らしがって、捕れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽あきて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草を吹かしながら、舟底にかたまった獲物を眺め始めた。
「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」
高木はこう云って千代子を招いたが、傍に坐っている僕の顔を見た時、「須永さんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなり直すぐ席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕は故の所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。
「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」
蛸は八本の足を真直に揃えて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊のように黒い墨を吐くのも交まじっていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。
叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃のようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋しいと思った叔父は、船をその一つの側へ漕ぎ寄せさした。申し合せたように、舟中立ち上って籃の内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中を馳け廻っていた。その或ものは水の色を離れない蒼い光を鱗に帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏に透すように輝やいた。
「一つ掬って御覧なさい」
高木は大きな掬網の柄を千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木は己の手を添えて二人いっしょに籃の中を覚束なく攪き廻した。しかし魚は掬えるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網たまで叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択より出した。僕らは危怪な蛸の単調を破るべく、鶏魚、鱸、黒鯛の変化を喜こんでまた岸に上った。(夏目漱石『彼岸過迄』)
👆こんな記事を書いたのがもう何年も前のことのように思えます。思い返せば田川敬太郎は「どうだね蛸狩は成功したかい」と友人らに揶揄われていました。これは蛸狩を諦め、平凡なサラリーマンとして、あるいは灰色の化け物として生きなければならない朝日新聞の読者に向けられたメッセージであり、
残りの時間を計算して、できることは何だろうと考えて、結局何もできなかったのかと悔やまないためには、兎に角日々できる限りのことをしていくしかありません。他人を恨んでいる暇はありません。それでも大抵の人は何もできずに終わってしまうのでしょう。何もできなかった人にも新聞小説を読むことくらいできるよ、というのが漱石の救済でしょう。きつい言い方かもしれませんが、誰もが蛸狩に成功するわけではありません。まるで『三四郎』のもう一つの「それから」のような田川敬太郎の冒険は、青春の挫折を切なくも温かく包んでくれていないでしょうか。
……なんて書いていましたが「ふり」と「落ち」の関係で見て行くと、このように漱石はきちんと蛸狩を描き、「蛸の単調」という現実を捉え、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と田川敬太郎の浪漫趣味を揶揄っています。「いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった」とあるとおり、そもそも蛸には親分も子分もなく、ピストルの弾が滑る筈もありません。当たり前のことながら、そんな当たり前のことをなかなか念入りにやってくる辺りは、単に漱石のメモリーの大きさを思わせるだけではなく、どうしても執念深さみたいなものを感じてしまいますね。
第一私は初見では「田川の蛸狩」という言葉さえ忘れていて、この蛸狩の場面でも高木に対する須永の思いと千代子の態度にばかり意識を向けていました。蛸には意識が向きません。三角関係の方にフォーカスしてしまったのです。この蛸の下りが「田川の蛸狩」と対になっているとは気が付かなかったくらいです。
しかしよくよく考えてみるとこれはよくできた話で、今近所のスーパーマーケットで売られている蛸はモロッコやモーリタニアなどが多いようですが、実は明石でなくても蛸は獲れて、鎌倉の蛸も美味しいそうです。
まずこの鎌倉名物の蛸のことが念頭にあって、それから「南洋の蛸狩」の話を敢て持ち出したとしたら、漱石はやはりかなり意地が悪いと思います。蛸なら南洋に行かなくても鎌倉でいくらでも獲れるじゃないかと冷やかしています。太宰治が「日本が南進するなら自分は北進する」といって『津軽』を書いたくらいの大きな皮肉ですね。
この元ネタとなる児玉音松の『南洋』は確かに浪漫趣味の冒険譚ではありますが、やはり大学生が読むにしてはいかにも幼い感じがします。

(『南洋』児玉音松 著光華堂 1910年)
ただそうしたものが「こども新聞」ではなく朝日新聞に連載されていたわけです。漱石にしてみると、一応田川敬太郎に面白がらせてはいますが、心の底では「日本は大丈夫かいな」という意識も少しはあったと思います。その危機意識あってこその「ふり」と「落ち」なんでしょうが、ピストルのポンポンばかり記憶に残って、「蛸の単調」を忘れてしまうような読者にはなにをかいわんや、というところでしょうか。
しかしこの須永の話を聞いている田川敬太郎には、やはり意味がある話だったんではないかと思います。いや、むしろ意味がなくなっていてもいいのかな。「結末」で漱石は敢えて蛸の始末については触れません。それは蛸が戦うべき相手ではなく、食べるものだからでしょう。蛸も鶏魚も鱸も黒鯛もどう料理して食われたと一切かかれません。
文豪飯ではないものを書いているからです。
[余談]

(『五洲怪奇譚 : 冒険壮遊』河岡潮風 著博文館 1910年)
児玉音松の冒険譚は「実話」として広められていた気配がある。
多年南洋の天地に孤嘯し、近頃歸り來りて大に南洋快談を叫號人しつゝゝるるポルネオ島の探檢者兒玉音松は遠賀河畔に初めて石炭物を製鹽燃料に使用して我國の石炭史に一頁を占むる大社某の末裔たり。(『人物分布観 上篇』大庭柯公 著梁江堂 1910年)
そりゃ、大きなタコはいたんだろうけど……。
「「深い精神性」などという言葉が、アイヌ文化の枕詞としてよく使われるが、言葉の具体的な中身に踏み込んで語られることはなく、とにかく精神性が高いのだ、と繰り返される。これは「聖化」と呼ばれる差別の一類型であり、野蛮・未開視の裏返し」(『記号化される先住民/女性/子ども』P32~33) pic.twitter.com/ukqBgkXgRO
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) October 6, 2022
〈である〉と〈です・ます〉の違いが、客観性や丁寧さではなく、二人称=読者の設定の仕方にあるというのは、〈です・ます〉ユーザーとしてよく分かるなあ…「〈である原理〉は二人称のあなたを取り除く働きをし、逆に〈です・ます原理〉はあなたを前提とする。」(平尾昌宏『日本語からの哲学』)
— 伊藤亜紗 (@gubibibi) October 6, 2022
Noted. pic.twitter.com/PCGvPUJo5B
— ♪ Raraらららら ♪ (残念ながら)田舎の老人バンギャ🙃 (@RaraSensei) October 6, 2022
o rato era DESSE tamanho pic.twitter.com/nO4emhDjZ7
— gatos fazendo gatices 😼 (@gatinarios) October 4, 2022
これ凄く便利。
