『三四郎』の謎について48 広田は野々宮も牽制していたのか?
前回、つまり数分前、広田は三四郎を牽制していたようなことを書きました。書き終わってみると、なんだか広田は野々宮も牽制しているように思えてきました。
「先生、せっかく大久保へ越したが、またこっちの方へ出なければならないようになりそうです」
「なぜ」
「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。それにぼくが夜実験をやるものですから、おそくまで待っているのがさむしくっていけないんだそうです。もっとも今のうちは母がいるからかまいませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女だけになるものですからね。臆病者の二人ではとうていしんぼうしきれないのでしょう。――じつにやっかいだな」と冗談半分の嘆声をもらしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いてくれませんか」と美禰子の顔を見た。
「いつでも置いてあげますわ」
「どっちです。宗八さんのほうをですか、よし子さんのほうをですか」と与次郎が口を出した。
「どちらでも」
三四郎だけ黙っていた。広田先生は少しまじめになって、
「そうして君はどうする気なんだ」
「妹の始末さえつけば、当分下宿してもいいです。それでなければ、またどこかへ引っ越さなければならない。いっそ学校の寄宿舎へでも入れようかと思うんですがね。なにしろ子供だから、ぼくがしじゅう行けるか、向こうがしじゅう来られる所でないと困るんです」
「それじゃ里見さんの所に限る」と与次郎がまた注意を与えた。広田さんは与次郎を相手にしない様子で、
「ぼくの所の二階へ置いてやってもいいが、なにしろ佐々木のような者がいるから」と言う。
「先生、二階へはぜひ佐々木を置いてやってください」と与次郎自身が依頼した。(夏目漱石『三四郎』)
さてこの場面何ですが与次郎が野々宮宗八と里見美禰子をくっつけようとしているのを、広田が妨害しているようにさえ見えます。三四郎を前にしての「どちらでも」は愚弄ではないですね。ここはまだ四章で「迷える子」の前ですから。ただこの前に三四郎は野々宮宗八が里見美禰子に贈った蝉の羽根のようなリボンによって魂がふらつきはじめていましたので、佐々木与次郎の発言はいちいち気に障るものでしたでしょう。
ただここはまだ四章です。里見美禰子が野々宮宗八を断念した可能性があるのが五章なので、広田が野々宮を牽制するのは早すぎるような気がします。しかし佐々木与次郎の茶化しているのを広田が真面目に持って行っているのは確かで、やはり牽制しているように見えます。では広田がこの時点で野々宮宗八を牽制する理由があるのでしょうか。
ひとつは「どちらでも」と言った里見美禰子の隙の見せ方が気にいらなかったんじゃないかというあたりですかね。ただ、そこだけでは弱いように思えます。私はやはり四章の、
「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。
「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」
「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」
「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、
「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。
広田先生は例によって煙草をのみ出した。与次郎はこれを評して鼻から哲学の煙の吐くと言った。(夏目漱石『三四郎』)
ここで広田は何も言ってませんね。反応も書かれていません。ここはむしろ気の利いたことが言えるはずの場面です。美禰子の「その目」は広田も見ている訳です。それがどんな目かと言うと、けさの美禰子の目は、「顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている」という目ですから、まあ、肉食獣の目ですね。そんな女の人を見たことがありますか。私はあります。信じられないかもしれませんが両目を見開いたままベロチューする女。美禰子にはそういうところがあったのではないでしょうか。
広田は「その目」を見て煙草を吹かし、Pity's akin to loveを持ち出したのではないでしょうか。野々宮がやってきたのはその後です。野々宮宗八は「その目」を見ていません。いや実は野々宮宗八は既に何度も「その目」に見つめられていた筈なのですが、「その目」が三四郎を酔わせた場面は見ていないのです。
ここに広田が野々宮宗八を牽制する理由が生じます。それで里見の家に野々宮宗八が住むことを断固として認めないのですね。
[余談]

これは謎という訳ではありませんが、「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。」というところは案外曖昧ではないでしょうか。上の写真は「歴史写真 大正3年 第7月號」のものですが、この戸山の原には明治時代から陸軍の射撃練習場が置かれていました。ただ広い原っぱで、今ネットで検索して出て來るような東京の忌み地というようなニュアンスはないようです。
ただ暗くて薄気味が悪いというだけではなく、当時は追いはぎも出たことでしょう。今でも外山公園あたりは何か出そうですが。
マッマが福島のお土産買ってきてくれた
— 秋宮 (@taiyaki_is_good) September 3, 2022
レッドべこ pic.twitter.com/qGK8djaVAC
また、「英語のsoy sauce(醤油)はsoybean(大豆)から作られるからsoy sauceと呼ばれる」のではなく、「soy(醤油)の原料だから大豆がsoybeanと呼ばれる」のです。そして英語"soy"の語源は日本語の「しょうゆ」です。 https://t.co/xoyobRTdu2
— ラテン語さん (@latina_sama) September 2, 2022
今まで食してきたランチパックの中でも群を抜いて意味がわからない pic.twitter.com/RWaTGRL6UF
— niradama/Kantetsu (@niradama) September 1, 2022
