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石原千秋の『漱石入門』をどう読むか18 確実にとはどういうことか

  この百年間の間で間違いなく漱石作品の読みは精緻なものになっている。例えば野中宗助が学生時代、日本郵船に会社訪問していたらしいことなど、おそらく誰も気が付いていなかったわけだ。石原千秋も汽車の女の座席や何かで、漱石作品の読みを精緻なものにしてきた一人だ。

 ここで精緻というのは「はっきりとは書かれていないもののの書かれている範囲ではまずこう解釈できる」という掘り下げのことで、殆ど根拠のない直感や深読みとは異なる。しかし「はっきりとは書かれていないもののの書かれている範囲ではまずこう解釈できる」とやってみたところで、必ずそうかと疑ってみることは必要だ。漱石はそこまで考える人間を待ち受けしてさらに賺す作家なのである。

 もちろん、三千代が上京してからも、確実に三度は待合に通っている代助は、性的障害を抱えているわけではない。

(石原千秋『漱石入門』河出書房新社 2016年)

 ここには注が付けられていて、自著『反転する漱石』が挙げられている。

 一度目は、上京した平岡と三千代の夫婦が東京で新居を構えたその晩。二度目は、佐川の娘と見合いをしたその晩、三度目は、三千代に「紙の指輪」だと言って平岡に秘密のお金を渡したその晩。

(石原千秋『漱石入門』河出書房新社 2016年)

 なるほどと感心させられる指摘である。何年間かは私もそんな風に信じていたかもしれない。しかしある時ふと、「あれ? その割には代助はすっきりしていないな」と気がついた。


 代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓(げいしゃ)を選んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。

(夏目漱石『それから』)

 はっきりこうあるので「美」「引力」「不義」などすれすれの言葉で、「代助はプロを相手にしていた」と表現されていたと考えてよいだろう。

尤も学校を出た時少々芸者買をし過ぎて、その尻を兄になすり付けた覚えはある。

(夏目漱石『それから』)

 こうも書かれているので「性的障害を抱えているわけではない」と見做せない訳でもない。

「御前だって満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今まで折角金を使った甲斐がないじゃないか」
 代助は今更兄に向って、自分の立場を説明する勇気もなかった。彼はついこの間まで全く兄と同意見であったのである。

(夏目漱石『それから』)

 こうして代助はそれなりの遊び人として読めてしまう。待合に行ったのも確からしい。

 彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美くしい女が、さる男と関係して、その種を宿した所が、愈子を生む段になって、涙を零して悲しがった。後からその訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情ないからだと答えた。この女は愛を専らにする時機が余り短か過ぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲って来たのに、一種の無定を感じたのであった。それは無論堅気の女ではなかった。代助は肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧げて、その他を顧みぬ女の心理状態として、この話を甚だ興味あるものと思った。

(夏目漱石『それから』)

 しかし「待合」とは必ずしも芸妓と遊ぶ場所ではなく、待合に行ったから必ずセックスをするというものでもなさそうだ。素人と待合で会うこともある。

彼は三千代を普通の待合などへ呼んで、話をするのが不愉快であった。

(夏目漱石『それから』)

 誠吾が待合へ這入ったり、料理茶屋へ上ったり、晩餐に出たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行ったり、新橋に人を送ったり、横浜に人を迎えたり、大磯へ御機嫌伺いに行ったり、朝から晩まで多勢の集まる所へ顔を出して、得意にも見えなければ、失意にも思われない様子は、こう云う生活に慣れ抜いて、海月が海に漂いながら、塩水を辛く感じ得ない様なものだろうと代助は考えている。

(夏目漱石『それから』)

 基本は貸間業なので、風俗的なものとは限らないのだ。つまり三度待合に行ったから「性的障害を抱えているわけではない」とは限らないとも言えるのだ。

 そして実際三度待合に行ったかどうかだが、

 翌日、代助が朝食の膳に向って、例の如く紅茶を呑んでいると、門野が、洗い立ての顔を光らして茶の間へ這入はいって来た。
「昨夕は何時いつ御帰りでした。つい疲れちまって、仮寐をしていたものだから、些も気が付きませんでした。――寐ている所を御覧になったんですか、先生も随分人が悪いな。全体何時頃なんです、御帰りになったのは。それまで何所へ行っていらしった」と平生いつもの調子で苦もなく饒舌り立てた。代助は真面目で、
「君、すっかり片付かたづくまで居てくれたんでしょうね」と聞いた。

(夏目漱石『それから』)

 これが「一度目は、上京した平岡と三千代の夫婦が東京で新居を構えたその晩」の翌日である。帰りが遅かっただけで待合に行ったと疑われている。これを確実に、という勇気は私にはない。この後、こう明かされる。

実を云うと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。

(夏目漱石『それから』)

 全然すっきりしていないし、酔っぱらった様子もない。

 では「二度目は、佐川の娘と見合いをしたその晩」はどうか。

「御神さん、電車へ乗るなら、此所じゃ不可いけない。向側だ」と教えながら歩き出した。神さんは礼を云って跟ついて来た。代助は手探りでもする様に、暗い所を好加減に歩いた。十四五間左の方へ濠際を目標に出たら、漸く停留所の柱が見付った。神さんは其所そこで、神田橋の方へ向いて乗った。代助はたった一人反対の赤坂行へ這入った。
 車の中では、眠くて寐られない様な気がした。揺られながらも今夜の睡眠が苦になった。彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催おすにも拘かかわらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜を恣にする事が出来ない事がよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、交わる交わる痕を残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついていた。そうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるか慥たしかに解わからなかった。彼は眼を眠って、家へ帰ったら、又ウイスキーの力を借りようと覚悟した。

(夏目漱石『それから』)

 赤坂行の電車に乗ることで「赤坂の待合に行った」と解釈されてしまっているようだが、書かれている内容は帰宅である。行きは青山の本家から俥で歌舞伎座に向かった。

 帰りは数寄屋橋、神田橋、駿河台で赤坂見附行になりお茶の水、水道橋、飯田橋の外濠線の経路として不自然なものではないのではなかろうか。

 さてでは「三度目は、三千代に「紙の指輪」だと言って平岡に秘密のお金を渡したその晩」はどうか。

「又来る。平岡君によろしく」と云って、代助は表へ出た。町を横断して小路へ下ると、あたりは暗くなった。代助は美くしい夢を見た様に、暗い夜を切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家の門前に来た。けれども門を潜る気がしなかった。彼は高い星を戴いて、静かな屋敷町をぐるぐる徘徊した。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れる事はなかろうと思った。とかくするうち、又自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。
「大変遅うがしたな。明日は何時の汽車で御立ちですか」と玄関へ上るや否いなや問を掛けた。代助は、微笑しながら、
「明日も御已めだ」と答えて、自分の室へ這入った。

(夏目漱石『それから』)

 石原千秋は「大変遅うがしたな」という門野の言葉に過敏に反応しているようだが、書いてあること自体は徘徊である。

 確実に、とはどういうことか。

AI による概要
「確実に」とは、物事が間違いや失敗なく、確かな根拠に基づいて実行される様子を示す表現です。ビジネスでは結果の保証や信頼性を強調する際に用いられ、「しっかり」「間違いなく」「徹底的に」などと類義の言葉として機能します。
具体的には以下の要素を含みます。
誤りのないこと: 手続きや結果が正確で、失敗がない状態。
疑う余地のないこと: 信頼性があり、確実にそうなる(なる)と確信が持てる状態。
結果の保証: 100%に近い確率で目的を達成するアクション。
例文としては、「このタスクを確実に完了させてください」「最終確認を確実に行う」など、行動の正確性を担保する場面で使用されます。

 しかし少なくとも最初の夜は待合に行った可能性もあるのではないか、とは言えなくもない。つまり代助は待合に行ってもすっきりしない男であると考えるならそういうことになる。ここに私はロマンチックな空想を重ねていて、このスッキリしない男は引っ越しの夜、夜中の二時過ぎの花見の反復をしたのではなかろうかとも書いている。

 つまり今の三千代ではなく、思い出の中の三千代に会いに菅沼の家があった谷中あたりを徘徊した可能性もあるのではないかと考えているのだ。

 精緻に読んだつもりでも必ず正解が現れるとは限らない。むしろ解っていたつもりのことが曖昧になる場合もある。代助が待合に行ってもすっきりしない男であるとしたら性的障害がある可能性があるのである。ぐずぐず縁談を拒んでいるのも怪しいところである。

 精神的不能性は、漱石文学の男たちが共有している性格である。

(石原千秋『漱石入門』河出書房新社 2016年)

 いずれにせよこう言えるわけだから、石原千秋に足りないのはもう少しの丁寧さである。こう書いた時「本当に精神的なのか?」と疑う慎重さである。人間偉くなってしまったら終わりだ。


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