小谷野敦の『リアリズムの擁護』をどう読むか① 「私小説=自己小説=我小説」ではないのか
小谷野敦は『リアリズムの擁護 近現代文学論集』(新曜社 2008年)の「リアリズムの擁護——私小説、モデル小説」において「私小説」という概念を日本固有的なものとして見なそうとしているように見える。あるいは日本固有的な「私小説というもの」を論じようとしているように見える。そして、
①自然主義と白樺派の自己表出の流れが融合して、大正二年(一九一三)の秋江「疑惑」と木村壮太「索引」によって確立した
②「心境小説」は志賀直哉の「城の崎にて」を代表とし尾崎一雄らが引き継いだ
という説を紹介して「心境小説」を「私小説」と重ねようとする。また柄谷以降「蒲団」が自然主義かつ私小説とする偏った見方が広がったと指摘する。
ここまでの確認の中でもう少し慎重な説明が必要なところがある。例えば「本格小説」(三人称小説)「心境小説」(一人称小説)といった整理をした中村武羅夫の定義や、

あるいは田山花袋の中村説に関する誤解である。
中村氏の所謂本格小說、心境小說などといふことも、或はさういふことを言つてゐるのではあるまいかとも私は思つて見た。もし、さうだとすると、私は反對である。
田山花袋 著金星堂 1925年
この本で田山はむしろイッヒ・ロマンと本格小説の区別を言い、純然たる心境小説は「新生」だと述べてもいる。

それならばまた私小説と心境小説を区別しようとする言説を見なくてはならない。
いやその前に「自己小説とは何なのか」と考えなくてはならず、極めて困難な「我小説」の概念を確認しなくてはなるまい。




やることが多くて剣呑だ。
一応谷崎潤一郎の『刺青』などが「我小説界の平板平調を打破し」たことにされているので「私小説=自己小説=我小説」が困難さゆえ平板平調に陥っていた時代に谷崎が穴をあけたと見做すこともできる。

村井弦斎は早くに英才教育を受け「発明小説」で売り出したがのちに道楽小説に転じた。それが我小説とも呼ばれ「通俗家庭学講義」と呼ばれてもいる。
見ると一人称で書かれているわけでもなく、いわゆる私小説としてイメージされるものとも違う。やはり何か一つのジャンルではある。これを「我小説」と見なすことは難しかろう。ここではおそらく実地の話が盛り込まれているという意味で仮に我小説という言葉が用いられたと思われる。

そして「我小説」の意味は混乱している。おそらく坪内逍遥—高山樗牛ラインでは意識は共通していた。しかしここでは「列伝体小説」と同一視されている。





しかし案外田山花袋のところで「我小説」の意味は「私小説」に戻っている。やはり坪内逍遥以来の「我小説」が「私小説」の起源なのである。
この「我小説」は「社会小説」に対する「個人小説」の意味にも近い。「個人小説」「私小説」すなわち「心理小説」「心境小説」なのではあるまいか。

菊池寛はこの「個人小説」を「冒険小説」の正反対の位置に置く。

活動的で精力的で抽象的にならぬ程度の理智を備へた小說が冒險小說の本領である。冒險小說は大衆の理解から離れて、自分だけの藝術を守つて行く個人小說とは全く正反對の小說である。
こう定義されると個人小説のハードルが上がる。科学、探偵、サスペンス、冒険と面白要素が禁じられ、心だけが問われれば、畢竟個人小説は『こゝろ』のように不思議要素を厳重に隠蔽して、歴史的な意味合いさえも物語の外に配置せざるを得ない。それでは相当に腐心しないと平板平調に陥るわけである。

しかし高山樗陰は早くにこの「社会小説」と「個人小説」の概念の非論理性を指摘している。
社會的事想を畫くにも、個人を主人公となすの要あり、個人的事想を寫すにも、境遇社會を示すの要あるべけれど、社會小說は個人描寫を客となし、社會描寫を主となし、個人小說は社會描寫を客となし、個人描寫を主となすの差あり。
次に社會小說は、社會組織より生ずる重要事想を中心となすべしとせば、個人に關する事想を中心とする通常の小說とも異なれり。一は社會的事想を中心觀念となし、一は個人的事想を中心觀念とすればなり。
金子馬治 著理想社 1938年
ここらあたりの概念に関しては既に一応の議論がある。しかし実際のところ専業小説家ともなれば家庭や近所という小さな社会性の中に閉じ込められることになり、消費やメディアを通じてしか社会と接触を持てなくなる。

逆に「ウェルテル」風の小說が個人小説としてはスタイルとしてマッチしているということになる。ビルドゥングスロマンは「教養小説」「成長小説」「自己形成小説」「立志小説」とも呼びうる。
この「ウェルテル」風の小說においては当然自己の成長が主題となり、困難がアポリアとなり、進行する時間が物語となる。
この方法・形式を中年にそのまま移すと見事な堕落になり得る理屈である。しかしそのことは硯友社を離れて外国文学に触れながら、敢えて中年男性の堕落を描いて見せた田山花袋の「蒲団」が自然主義かつ私小説と見なされているという問題として捉えなおした時、どこまでが自然でどこからが不自然なのか怪しくもなる。
実際田山花袋は「少女病」を書いてさえピンピン生きていたのだから、私小説という言葉をもう一度整理した方がいいかもしれない。
まずは「我小説」と捉えなおして、一人称の語りの「私小説=自己小説=我小説」が「心境小説」であり、それは比類なき〈私〉という意識が大前提となるから自己小説なのであると言うところから考え直してもいいかもしれない。
花田清輝に共同制作というアイデアがあったもののそれは「辻仁成と江國香織」「阿部和重と伊坂幸太郎」といった非常に限られた形でしか実現しなかったという歴史にはやはり小説というものに関わる根本的なものが潜んでいるのではなかろうか。
結局は世界と対峙しているのは私なのである。
はてさて坪内逍遥が「我小説」の困難さについて、どこまで問い詰めていたのかは定かではない。小谷野敦がどこまで問い詰めるのかも定かではない。まだ三頁しか読んでいないからだ。
