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岩波書店・漱石全集注釈を校正する53 ビステキの立て引きは木強漢、暗い所でくさくさする

ビステキの生焼は消化がいいって云うぜ


「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束いから厭になってしまうのさ」
「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大いにやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼は消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀を揮って厚切の一片を中央から切断した。
「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」
 高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。

(夏目漱石『野分』)

 岩波はこの「ビステキ」に注を付け、「ぜいたくな食べ物であることを示す例」として国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯』を引き合いに出す。これが明治三十四年の作なので、『野分』の時点では少し感覚が異なるように思われる。

 その後『三四郎』では佐々木与次郎に三四郎が淀見軒でライスカレーをおごられる。ライスカレーは十銭、ビステキが十二銭だったと思われる。これが芋と比べて贅沢でないとは言わないものの、高級品とまでは言えないのではなかろうか。『彼岸過迄』において田川敬太郎が食べていたのもビステキではなかろうか。

 それは宝亭と云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入をする家であった。近頃普請をしてから新らしいペンキの色を半分電車通りに曝して、斜かけに立ち切られたような棟を南向に見せているのを、彼は通り掛りに時々注意した事がある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦酒の広告写真を仰ぎながら、肉刀と肉叉を凄じく闘わした数度の記憶さえ有っていた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 明確には書かれていないものの「肉刀と肉叉を凄じく闘わした」とは肉の塊を相手にしての事であろう。そしてビステキにもピンキリがあろう。『野分』においても贅沢な食事、というよりは時代の風俗として書かれてはいまいか。


虚子小品 高浜虚子 著隆文館 1909年


虚子小品 高浜虚子 著隆文館 1909年



虚子小品 高浜虚子 著隆文館 1909年

明治四十一年修善寺の新井旅館では昼飯にもビステキが出たようだ。


断片四

「君などは悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。

(夏目漱石『野分』)

 漱石はビステキを例に言葉にそのもの以外の意味が付着することを説明している。『野分』においても高柳君はビステキを半分で断念しており、けして「ぜいたく」という一つの意味に縛られないことを示している。中野君はお金持ちだが高柳君は金持ちではない。貧乏人は「ぜいたく」な料理を残すことができない。絶対に。
 なお、これが文豪飯の話ではなく、作品読解の根幹の部分に関わるところだということが、一秒後に理解できるだろう。

御雛様に芸者の立て引きがない


 しかしこう思うのは高柳君の無理である。御雛様に芸者の立て引きがないと云って攻撃するのは御雛様の恋を解せぬものの言草である。中野君は富裕な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵へあたって、椽側の硝子戸越しに眺めたばかりである。友禅の模様はわかる、金屏の冴えも解せる、銀燭の耀きもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢では無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。

(夏目漱石『野分』)

 人間にはその生まれ育った環境において知識や感覚に違いがある、というあたりを中野君と高柳君の対比で示している。もしビステキが一意に「ぜいたく」であれば、貧乏な高柳君はそれを食い残すことができないというのはそういう理窟だ。つまりビステキは「ぜいたく」の役割を担って登場していない。

 そして岩波はこの「芸者の立て引き」の注釈として「芸者には意気と張りが求められたが、そのような意地の張り合い」と書いてしまう。

 前半部「芸者には意気と張りが求められたが」は注釈者の「あなたの感想」になってはいまいか。それは「意気張り」つまり「遊女が意気地を張り通すこと」である。

 一方「立て引き」は芸者のみでなく男女ともに使われる意地の張り合いのことで、大辞林、新辞林、学研国語大辞典、明鏡、新明解はそのような解釈を示す。広辞苑に「立て引き」の説明はなく、大辞泉に「特に、遊女が客の遊興費を出すこと」という独自解釈が見られる。


あらひ髪 登張竹風 (信一郎) 著文友館 1902年


 漱石の用法としてはこのニュアンスで、金勘定の駆け引きの事であろう。


木強漢


 岩波はこの「木強漢」に「一本気で飾り気のない男のこと」と注を付ける。これでは意味が通じない。「親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの一本気で飾り気のない男ではない」? これは「一本気で飾り気のない男のこと」ではなく、素直に無骨ものという意味であろう。

 

俗語辞海


大増訂 日本大辞典 ことはのいつみ 落合直文 著

予は此の故に云はんとす阿佛尼が此の文を讀みて一掬の淚を灑がざるものあらば其は情を解せず義を知らざる木强漢の徒のみと。さりとて文屋康秀がさそふにもあらず、住むべき國もとむるにもあらず。

和文評釈 池谷一孝 述東京専門学校


文章軌範字引 正 永田方正 編前川善兵衛[ほか] 1877年

 岩波の注、そして広辞苑のみにある「飾り気がない」というニュアンスがいくら探しても見つからない。ここからは推測だが、「飾り気がない」というニュアンスが含まれる文字に「木疆」があり、「木訥」と同義とされている。この「木疆」「木訥」の意味が「木強漢」にまぎれこんではいないだろうか。


袖珍和漢雅俗いろは辞典 明治26年11月刊


雛暦 小杉天外 著民友社 1920年

 小杉天外は「木疆漢」にわざわざ「ぼくねんじん」と当て字する。


和漢故事成語辞典 国漢学院 編大洋社出版部 1939年


俗語辞海



実用辞彙 : 読書作文 久保天随 編育成会 1905年

 このように「木疆」があるも「木強」の説明のない辞書も多い。何か途中で「木強」が廃れ、「木疆」の方が頻出する中で、同じ音の言葉の意味が自然に重なり合った……というよりは、個人の勘違いのにおいがぷんぷんする。これはなかなか簡単に片づけてはいけないことだが、岩波の注と広辞苑は、「木強漢」に「木疆」の意味をかさねてはいないだろうか。

 漱石が『野分』で用いた「木強漢」のニュアンスは「情を解せず義を知らざる木强漢の徒」という『和文評釈』のものと近かろう。

暗い所に淋しく住んでいる人間である


 しかしさぞ暗い事だろうと身に沁みてぞっとする事はあるまい。高柳君はこの暗い所に淋しく住んでいる人間である。中野君とはただ大地を踏まえる足の裏が向き合っているというほかに何らの交渉もない。縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束き針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。この細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河が横たわっている。歯を病んだ事のないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者に馳かけつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさと云われる病人は、けっして慰藉を受けたとは思うまい。

(夏目漱石『野分』)

 岩波はこの「暗い所に淋しく住んでいる人間である」に北村透谷、「マタイによる福音書」の説明をつける。そして『虞美人草』に「小野さんは暗い所に生まれた」とあることを示す。『虞美人草』は兎も角、「暗い所」と言えばまず『吾輩は猫である』の「薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた」を示すべきだろう。
 この「暗い所に淋しく住んでいる人間である」は、後に、

 七つの時おやじは、どこかへ行ったなり帰って来ない。友達はそれから自分と遊ばなくなった。母に聞くと、おとっさんは今に帰る今に帰ると云った。母は帰らぬ父を、帰ると云ってだましたのである。その母は今でもいる。住み古ふるした家を引き払って、生れた町から三里の山奥に一人佗しく暮らしている。

(夏目漱石『野分』)

 ……として具体的な境遇として現れる。それを北村透谷や「マタイによる福音書」を持ち出して抽象的なものにしてしまう必要は全くない。

「遺伝です。おやじは肺病で死にました」
「それは……」と云ったが先生返答に窮した。
 膀胱にはち切れるばかり水を詰めたのを針ほどの穴に洩もらせば、針ほどの穴はすぐ白銅ほどになる。高柳君は道也の返答をきかぬがごとくに、しゃべってしまう。
「先生、私の歴史を聞いて下さいますか」
「ええ、聞きますとも」
「おやじは町で郵便局の役人でした。私が七つの年に拘引されてしまいました」
 道也先生は、だまったまま、話し手といっしょにゆるく歩を運ばして行く。
「あとで聞くと官金を消費したんだそうで――その時はなんにも知りませんでした。母にきくと、おとっさんは今に帰る、今に帰ると云ってました。――しかしとうとう帰って来ません。帰らないはずです。肺病になって、牢屋のなかで死んでしまったんです。それもずっとあとで聞きました。母は家を畳んで村へ引き込みました。……」
 向うから威勢のいい車が二梃束髪の女を乗せてくる。二人はちょっとよける。話はとぎれる。
「先生」
「何ですか」
「だから私には肺病の遺伝があるんです。駄目です」

(夏目漱石『野分』)

 さらにその「暗い所」には肺病になって、牢屋のなかで死んでしまった父親から遺伝によって引き受けた肺病も含まれることが分かる。それは単なる社会的地位や考え方ではなく、より具体的なものなのだということが分かる。その具体的なものを一旦隠し、後にだんだん解るように、まずは抽象的表現を用いるのは漱石の常套手段である。

 小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖を着て学校へ通う時から友達に苛められていた。行く所で犬に吠えられた。父は死んだ。外で辛い目に遇あった小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。
 水底の藻は、暗い所に漂うて、白帆行く岸辺に日のあたる事を知らぬ。右に揺こうが、左に靡こうが嬲るは波である。ただその時々に逆わなければ済む。馴なれては波も気にならぬ。波は何物ぞと考える暇もない。なぜ波がつらく己にあたるかは無論問題には上らぬ。上ったところで改良は出来ぬ。ただ運命が暗い所に生えていろと云う。そこで生えている。ただ運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。――小野さんは水底の藻であった。

(夏目漱石『虞美人草』)

 この『虞美人草』の小野さんや吾輩と高柳君が似たような境遇であったと示すだけで十分であり、北村透谷や「マタイによる福音書」は矢張り余計である。

くさくさする


「そうかなあ」と相手は、なかなか信じない。
「そう君まで茶かしちゃ、いよいよつまらなくなる。実は今日あたり、君の所へでも出掛けて、大おおいに同情してもらおうかと思っていたところさ」
「訳をきかせなくっちゃ同情も出来ないね」
「訳はだんだん話すよ。あんまり、くさくさするから、こうやって散歩に来たくらいなものさ。ちっとは察しるがいい」
 高柳君は今度は公然とにやにやと笑った。ちっとは察しるつもりでも、察しようがないのである。

(夏目漱石『野分』)

 この「くさくさする」に関して、岩波は「女性の心情に使われる例が多い」と注釈をつける。国立国会図書館次世代デジタルライブラリーで検索したところ、むしろ男性に用いられている割合が高い。流石に全件は確認しないが、一致順で四十件調べると「くさくさ」の男女比は八対一くらいの割合だった。これはそもそも「男を書いた資料が多いという」ことであろう。青空文庫内の文字検索ではもう少し女性に関する用例の割合が増えるが、少なくとも明確に「女性の心情に使われる例が多い」とまでは言えない。
 どういうサンプルを選ぶか、によって「くさくさ」の男女比は変化する。「女性の心情に使われる例が多い」というためにはサンプルに偏りを持たせなくてはならない。
 また岩波は「漱石の場合は、むしろ男性に使われる傾向にある」とする。夏目漱石の「くさくさ」の男女比は以下の通り。


『一夜』なし。
『永日小品』なし。
『思い出すことなど』なし。
『カーライル博物館』なし。
『薤露行』なし。
『硝子戸の中』なし。
『虞美人草』なし。
『草枕』なし。
『行人』男1
『坑夫』男1
『こころ』なし。
『琴のそら音』なし。
『三四郎』なし。
『趣味の遺伝』なし。
『初秋の一日』なし。
『それから』なし。
『二百十日』なし。
『野分』男2
『彼岸過迄』なし。
『変な音』なし。
『坊っちゃん』男1
『幻影の盾』なし。
『明暗』なし。
『門』男1
『倫敦消息』なし。
『倫敦塔』なし。
『吾輩は猫である』男1 猫1

 つまり「漱石の場合は、むしろ男性に使われる傾向にある」ではなく「漱石の場合は、主要な作品では男性と猫にのみ用いた」と改めるべきではなかろうか。


[余談]

 流石に広辞苑にまで文句をつけるのはどうかと思うが、どうも「木強漢」は怪しい。
 これを権威に負けて無視するのはまさに現実逃避の反知性主義だからここまで書いてみる。
 無論私に完全な正解はない。ただここは十分に検証の余地があるところだ。



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