見出し画像

春樹君と由紀夫君52 駄目な文章の読解法について語る


芥川の最大の魅力は文体だと思うんですね。疲れたときに読むと頭がすっきりする。脳のなかにこびりついた澱が剥がれ落ちていくような爽快感があるんです。反対に駄目な文章というのは本当に精神的によくないですよ。いらいらします。そういうものは徹底的に排除していいと思います。

 三島は例えば、『太陽と鉄』の英訳者ジョン・べスターによるインタヴュー*34(一九七〇年)の中で、平和憲法を「偽善の元」と語っているが、それはまさしくこの意味であり、彼が市ヶ谷に於いて「憲法改正」を訴えたのも、現に存在している「軍隊」としての自衛隊(=現実)を、憲法の条文(=言葉)が否定しているからである。つまり、改憲によって、自衛隊を合憲と認めることで、言葉と現実とは合致せねばならないと彼は主張するのである。後に触れるが、軍隊を、体制のイデオロギーを絶対視する「男性的世界」と見る三島にとって、自衛隊がまさにその憲法により否定されている、という事態は、許し難いことであった。*35

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)


この文章なんか酷いですね。これを読んで「何か難しいことが書いてあるけど理解できない自分が悪いのか」と反省した人がどれだけいるものかと腹立たしくなりますよ。これが「究極の三島論」なんですから呆れます。何も究めていないじゃないですか。極めたらこんなことにはなりません。


あら、私が「究極の三島論」って言ったのがいけなかった? あれ帯に書いてあるのよ。


三島さんを馬鹿にしてるわ。


 この部分だけからは「この意味」が何なのか解らない。


それはそうなんだけど、その前になんか変な書き方よね。


それ以前の問題として少し整理しておこう。「三島は例えば」は「例えば三島は」ではいけなかったのだろうか。君たちは主語と述語はできるだけ離さないようにしなさいと習わなかったのかな。


綴り方みたいなものはもうないかもしれませんが英会話なんかで基本構文を習う筈です。


であれば「三島は例えば」とは書かない筈だが。Zum Beispiel Mishima For example, Mishimaだろうよ。この一言で「究極」は嘘だとわかる。「三島は例えば」とはどういう意味なんだ。口語で言い淀んでいる感じを表す以外に一体どんな目的があって「三島は例えば」と使いたいのだ?


そういうことすら指摘されなくなっていて、そういうことすら気が付けなくなっていて、まだ物書きというのが不思議ですね。だからこそ書けると言えるのかもしれませんが。


「三島は例えば」で本当にいいのかという感覚なしに「究極」は駄目よね。


オカマの社会進出が女性の活躍の場を奪っているという感覚も必要ですよ。


なに。私が怒られてんの。ごめんなさいね。


「ジョン・べスター」の説明に「『太陽と鉄』の英訳者」と念押ししなくてはならなかった理由はなんなんでしょう。「『太陽と鉄』の英訳者」であることが何かキーポイントなんですか。


キーポイントではない。それにしてもごちゃごちゃさせすぎだな。


キーポイントではありませんね。仮にどうしてもそこに意味を持たせたかったとして、むしろ明記すべきはこのインタヴューが一九七〇年に行われたものであるという以上に、『暁の寺』脱稿直後に行われたというタイミングのことなのではないでしょうか。



結局文章というのはサンプリングとリミックスのですから「『太陽と鉄』の英訳者」と拾うのか「死の九か月前の」と拾うのかで差が出ます。「『太陽と鉄』の英訳者」は脚注でいいでしょう。


ここでは誰を相手に語ったかということよりも何時語ったかということにフォーカスすべきということですよね。最後の対談も図書新聞の古川さん相手であることはさして意味がない?


それはね、少しはありますよ。古川さんは私の本をよく読んでいてどう見ても「ファン」だからね。上手く話を引き出してもくれている。ただ対談とインタビューは違うからね。


その点僕はプロとしてインタビュアーもインタビュイーもたくさんやりましたから技術的な観点で精査して、あの「告白」は「ジョン・べスター」がうまく引き出したというより三島さんが丁寧に語っている感じがします。つまり「『太陽と鉄』の英訳者」はいらないですよ。


途中に余計な言葉を挟み過ぎて論旨がつかみにくい文章になっていても指摘されないんですか。


人によるんじゃない。でも指摘云々じゃなくて物書きなんだから自分でやらなきゃだめよ。


そういうことだな。これは誰かの所為にはできない。


どうも平野君には変な癖があって「未整理なものをそのまま出すと正直だと勘違いされるんじゃないかと期待してわざとごちゃごちゃ書く」というレトリックを使うんです。「『英霊の声』論」の長い前置きには本当にいらいらしました。勝手にピザ百枚注文してやろうかと思いましたよ。

 前置きが少し長くなったが、これから先は、『英霊の声』という作品を、その筋を追いながら見ていくことにしたい。
 三島が天皇制についての理論化を試みるようになったのは、『英霊の声』執筆後であり、『文化防衛論』に到達するまでには、更に時間を要することとなる。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)
確かにこれは異常ですよね。嘘ついてますからね。


これから先は、『英霊の声』という作品を、その筋を追いながら見ていくことにしたい。って言ってなんで前置きを続けるんですか?


しかもこれ「9 二・二六事件の将校たちの霊」ですよ「9」って何なんですか?


んー解らんな。


物凄く熱がこもった感じの演出ですよ。書きたいことが溢れて「ついつい」前置きが長くなったと見せかけたいんですね。しかもその後も前置きを続けますよね。笑いを取りに来ているのでなければこれはもう病気ですよ。


それでいて参考文献として明示されているネタ本は読んでいないんでしょ?


参考文献を確認しないのは人間性の問題だと思いますよ。ここも僕は少し疑いを持ち始めていて、最初に「『英霊の声』論」を書いた後ネタ本は読んだかもしれないと考えています。その上で惚けている可能性はないですか。


そこまで疑います?


作家が何か調べ物をしていると編集者が資料を貸してくれたりします。浅田次郎さんの『壬生義志伝』なんか最初の構想とは全然違う史実の資料を編集者が持ってきて、全部やり直したものらしいです。そういうことは割とよくあるので誰かが提供するということはむしろ自然なことです。


出版直前にはなりますが、ここ数年ではネット環境さえあればネタ本が読めますしね。


それでも読まなかったのか?


別に気にならないんですかね?


意識して読まないようにしなければ読みますよね?


そこが謎なんですよね。発売直前だから敢えて読まなかったなんて可能性もあります。読んだら書き直しになりますから。読んで書き直さなかったらもっとすごいですけど。


私たちも話が流れていますから戻しましょう。ここの話でしたよね。

三島は例えば、『太陽と鉄』の英訳者ジョン・べスターによるインタヴュー*34(一九七〇年)の中で、平和憲法を「偽善の元」と語っているが、それはまさしくこの意味であり、彼が市ヶ谷に於いて「憲法改正」を訴えたのも、現に存在している「軍隊」としての自衛隊(=現実)を、憲法の条文(=言葉)が否定しているからである。つまり、改憲によって、自衛隊を合憲と認めることで、言葉と現実とは合致せねばならないと彼は主張するのである。後に触れるが、軍隊を、体制のイデオロギーを絶対視する「男性的世界」と見る三島にとって、自衛隊がまさにその憲法により否定されている、という事態は、許し難いことであった。*35

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)
ここもそうです。例えば「後に触れるが、軍隊を、体制のイデオロギーを絶対視する「男性的世界」と見る三島にとって」という前置きは必要なものでしょうか。「後に触れる」って前置きすることが必要ですか。しかも文の頭に? 全然意味無く文章を読みにくくしているだけじゃないですか。この「後に触れる」とされたところは恐らく「Ⅳ 『豊饒の海』論 16〈20.10.67〉のメモ」の、ここなんですがよく見てくださいね。

 これに対して、軍隊は、この相対的イデオロギーを絶対視する「男性的世界」である。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)


解ります?


ン―ちょっと解らんな。これは一般論なのか、平野君固有の考えなのか。


三島さんの考えを云っているとしたら明らかに一言足りませんよね。


そもそも「男性的世界」の鍵括弧の意味が解りません。


「相対的イデオロギーを絶対視」が意味不明です。


そこは「本来相対的であるべき一イデオロギーを絶対視し」という意味でしょうね。


でも言い方が変。「相対的イデオロギーを絶対視」?


中身の話になりましたが、一番の問題は三島さんが指摘した通り、形式的に誰の意見なのか解らないということです。ここだけ読むと平野君の意見に読めます。これはあくまでも形式的な話で、この引用部分が三島さんの言葉らしく書けていない以上、「軍隊を、体制のイデオロギーを絶対視する「男性的世界」と見る三島にとって」という前提は一旦ないものとして取り扱ってみるべきではないでしょうか。


それにしても中身が稚拙過ぎんか? 体制のイデオロギーを絶対視するのが軍隊なら、軍事クーデターなど起きないだろう。私はそういうものが排除されたお花畑の世界を描いてきたかね?


縦社会みたいなことを云いたいのかしら?


ホモ・ソーシャルとか言い出すのよ、馬鹿は。


まあよく分かりません。

A案 三島は例えば、『太陽と鉄』の英訳者ジョン・べスターによるインタヴュー*34(一九七〇年)の中で、平和憲法を「偽善の元」と語っている。が、それはまさしくこの意味であり、彼が市ヶ谷に於いて「憲法改正」を訴えたのも、現に存在している「軍隊」としての自衛隊(=現実)を、憲法の条文(=言葉)が否定しているからである。つまり、改憲によって、自衛隊を合憲と認めることで、言葉と現実とは合致せねばならないと彼は主張するのである。後に触れるが、軍隊を、体制のイデオロギーを絶対視する「男性的世界」と見る三島にとって、自衛隊がまさにその憲法により否定されている、という事態は、許し難いことであった。*35

A案 三島は平和憲法を「偽善の元」と語っている。憲法改正を訴えたのも、現に存在している「軍隊」としての自衛隊(=現実)を、憲法の条文(=言葉)が否定しているからである。つまり、改憲によって、自衛隊を合憲と認めることで、言葉と現実とは合致せねばならないと彼は主張するのである。三島にとって、自衛隊がまさにその憲法により否定されている、という事態は、許し難いことであった。*35


あ、解った。


すっきりしましたね。
これなら解ります。


解るというのはどういうことかと云うと、問題を小分けにしたり単純化したりして、整理することです。省いたのは曖昧な部分や認識誤りです。たとえば三島さんは市ヶ谷では憲法改正は訴えていないんですよ。「誰かオレと一緒に腹を切る奴はいないか」と言っただけで、憲法改正草案は撒いていません。


確かにおっしゃる通り、激も檄文も自衛隊の立ち位置の問題を指摘なさっていますが、国会に乗り込んで制圧して憲法を変えようという案は既にボツになっていましたから憲法改正は訴えていないですね。


それでは消えてしまった「この意味」はどの意味なのか? 解る人いますか?


note民の皆さんどうですか?「この意味」はどの意味なのか?


え? その前の文章にあるだろって?

少なくとも、語ることが可能であって、その意味での三島の批判は、論理性、実証性といった基礎とは別に、それが意図的な虚偽であるならば、欺瞞や偽善といった「モラル」の視点に立つものだった。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)


「この意味」の前にはこの文があります。では「この意味」とはどの意味?


上手くつながらない感じがします。

 少なくとも、語ることが可能であって、その意味での三島の批判は、論理性、実証性といった基礎とは別に、それが意図的な虚偽であるならば、欺瞞や偽善といった「モラル」の視点に立つものだった。


これがまた意味不明な文章じゃない? 変な薬とかやっているんじゃないの?


ちょっと先に進めてくれ。こちらの頭が悪くなりそうだ。


解りました。まず形式の問題を説明します。このように平野くんの文章は前の文章に寄りかかり過ぎて意味が解らなくなるように書かれているんです。半分は癖、しかし残りの半分は怠慢ですよ。


例えば「Ⅱ『金閣寺』論 14〈金閣〉の虚無性」「Ⅳ 『豊饒の海』論 21 コピーの過激化」「Ⅳ 『豊饒の海』論 28 自刃」は「しかし」という逆説の接続語で始めます。「Ⅲ『英霊の声』論 12 「人として」の天皇」は「ところが」で始めます。普通はそんな書き方はしません。「ところで」で始まる事四度。あまりにも前の章に寄りかかり過ぎてお行儀の悪い書き方です。この書き方の癖が話を分かりにくく見せているんですね。そこは出来るだけ整理し要点をすっきり見せることが肝要だと思います。冒頭の「しかし」や「ところが」なんて全部消していいです。

少なくとも、語ることが可能であって、その意味での三島の批判は、論理性、実証性といった基礎とは別に、それが意図的な虚偽であるならば、欺瞞や偽善といった「モラル」の視点に立つものだった。

A案 三島の批判は、「モラル」の視点に立つものだった。

この意味では~


すごーい
さ・す・が


春樹さん素敵


全然ですよ。


これ全部こいつがやってるの!


だからこれ買えって言ってるの!


買わないと文章を読む実力が身につかないの!


春樹君はそんなにすごくないの!


まあまあおぢいちゃん落ち着いて。
誰がおぢいちゃんだ、この野郎。


とにかくこれで少しだけすっきりしましたね。


それに少しだけコツが解りました。


引っかかるところを一旦取り消し線で消してみて言葉の「核」みたいなものに絞り込むんですね。


そうしたら左手が六本指の左足に見えることもなくなると。


何か言い淀んでいるなと感じたら一旦消してみてください。こう考えるとひとつ前の、

B案 三島は「モラル」の視点に立ち、平和憲法を「偽善の元」と語っている。彼が憲法改正を訴えたのも、現に存在している「軍隊」としての自衛隊(=現実)を、憲法の条文(=言葉)が否定しているからである。つまり、改憲によって、自衛隊を合憲と認めることで、言葉と現実とは合致せねばならないと彼は主張するのである。三島にとって、自衛隊がまさにその憲法により否定されている、という事態は、許し難いことであった。


こう整理し得えます。「少なくとも、語ることが可能であって、その意味での」では何が語られているのかさっぱりわからないですよね。ただしそれは読み手の責任では無いんですよ。


これからも皆さんの前にこう整理し得る。「少なくとも、語ることが可能であって、その意味での」が何時現れるか解りません。


次に訳の分からない文章が現れるのは君の町かも知れない。

絶賛発売中!
買わないと読めない!

いいなと思ったら応援しよう!