岩波書店・漱石全集注釈を校正する39 旅順陷落祝捷會は一月
二十三日に静岡で祝捷会があるから
「此年の春突然手紙を寄こして山高帽子とフロックコートを至急送れと云うんです。ちょっと驚ろいたから、郵便で問い返したところが老人自身が着ると云う返事が来ました。二十三日に静岡で祝捷会があるからそれまでに間に合うように、至急調達しろと云う命令なんです。ところがおかしいのは命令中にこうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買ってくれ、洋服も寸法を見計らって大丸へ注文してくれ……」
この祝捷会に関して岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解には、
祝捷会 祝勝会。ここは日露戦争の旅順陥落の祝勝会であろう。旅順陥落、奉天の大勝、日本海海戦などそのつど祝勝会が全国各地で開かれた。
……とある。
旅順陥落の報は明治三十八年一月二日に齎された。従って旅順陷落祝捷會が開かれたのは一月の初旬(四日から九日)である。

奉天占領が明治三十八年三月十日なので、二十三日の祝捷会は奉天占領祝捷会であると考えた方が自然ではなかろうか。

帰天斎正一
『定本 漱石全集第一巻』注解には、
帰天斎正一 生歿年不詳。前名を林屋正楽といい、明治十年頃、この芸名で西洋奇術をはじめた。松旭斎天一に対して天下一を標榜、奇行が多かった。
……とある。

本名は「波滄久米太郎」のようである。

この資料では帰天斎正一は奇術師ではあるが、西洋奇術を日本で披露したのは明治三十八年の松旭斎天一が最初と読める。

この資料によれば、マギー史郎的芸風か。

この資料では明治二十七年時点で西洋手品師として認知されている。しかし、

弟子の方が名前が立派だ。二人の関係性、手品の開始時期にも諸説あり。

「師匠が、鬼女で火を吹きたいと仰やいましたが、歸天齋正一が數寄屋町で藝者屋をして居て、それが鶴仙へ掛かつて、火を食ふ奇術をして居ました。
検証が必要だ。

なお、松旭斎天一は「せっきょくさい」と読むようである。
亡国の音
「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国の音(いん)だそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんなつまらない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室で珠を磨いてる方がいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音じゃ駄目だ」寒月君は少々憤っとして、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。
もともとは白拍子が亡国の音と呼ばれていた。

それが和歌、俳句批判に繋がっていったものと考えられる。

つまりここには上田敏の意見をさも真面目に受け取りながら、いつの時代にも新しいものを軽薄に見做す石頭がいることを揶揄ってはいまいか。
ごねる
第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何疋おるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかった試しがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだが利かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去を、落ちると唱え、人間の寂滅をごねると号している。洋行をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だ。
『定本 漱石全集第一巻』注解には、
ごねる 「御涅槃」を活用した語か。死ぬの俗語。『英文学形式論』に形式が異なっていて、思想は同じである日本語の例として、「亡くなる」と「ごねる」が挙げられている。
……とある。何だか奥歯にものが挟まったような書き方だ。ここは鳥に「薨去」を用い、人間に「ごねる」を用いたことを示唆すべきか。「薨去」は皇族・三位(さんみ)以上の人が死亡することなので、鳥の死に「薨去」を用いることは不敬である。
確かに「ごねる」は俗語でもある。


また方言として残ったとも考えられる。

ただし方言が持ち込まれたというわけではなさそうで、

明和三年というから1766年、十代将軍徳川家治の治世に既に江戸で使用されていた言葉のようだ。


御涅槃が語源かどうかは定かではない。確かに仏教用語として御涅槃は「死」の意味で使われていたようだ。しかし御涅るの用例が見つからず、御涅た、の用例が、
これを見ると小僧は、「いよう、こいつア= (屹度二三日前に御涅たばかりの從弟だぞ』と言つて、指で合圖をして、『來いやい、來いやい!』と呼立てました。大男達は棺桶を下へ据ゑました。
比較的新しいこの一例しか確認できない爲、当て字の可能性が否定できない。ただ江戸以前から用いられた「死ぬる」ことを意味する言葉であると断ずるよりない。
セクスピア
『定本 漱石全集第一巻』注解は「セクスピア」に関して、
ただし、本文にある「セクスピア」という表記を他に用いた例はない。
……としている。これは飽くまで漱石に関してはという意味であろう。この表記は坪内逍遥が『小説神髄』で用いたほか、大町桂月、生田長江、河東碧梧桐、徳田秋声、萩原朔太郎、内村鑑三、柳田国男、賀川豊彦が用いたほか、漱石自身にも、
日本の文學界にも製作物として立派なものがある、近松はセクスピアと比較し得る、といつたやうな昔の國粹保存主義時代の考へではなく、今日から自覺自信の位地に起つた國民は、吾々は國民として全世界……

と「ほかに用いた例もある」ありふれた表記である。
何かがないことを確認するのは極めて難しい。
黒甜郷裡に遊んだ
吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉になっているから、ここで一休息みして葉裏から蝉の所在地を探偵する。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない。真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す。漸々二叉に到着する時分には満樹寂として片声をとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気がないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、叉またの上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつの間にか眠くなって、つい黒甜郷裡に遊んだ。おやと思って眼が醒めたら、二叉の黒甜郷裡から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。
黑甜郷トハ何如(答)蘇軾詩ニ三杯軟飽後。一枕黑甜餘。註ニ黑甜謂臥睡也。又靑箱記ニ晝寢爲黑甜。

『定本 漱石全集第一巻』注解は「黒甜郷裡」に関して、「北人は昼寝を以って黑甜と為す」と引き、「黑甜」を「昼寝」と注解する。

しかし「黒甜郷」に昼寝と注が付けられることもあり、臥睡とされることもある。
臥睡は横になって眠ることで「昼」の意味がない。

坪内逍遥に既に「黒甜郷裡」の用例あり。

[余談]
ベランメーはギリシャ語?
飛ぶ間際に溺を仕るのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊の墨を吐き、ベランメーの刺物を見せ、主人が羅甸語を弄する類いと同じ綱目に入るべき事項となる。これも蝉学上忽せにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。

よくよく考えてみると「ベランメー」も正体の解らない言葉だ。箆棒め、かと思うが、そうなると例の乾屎橛が連想される。ギリシャ語説もまんざら否定できない。
警察「この中にエセ関西人がおるらしい。全員、関西弁で『来ない』って言ってみろ」
— みえっぱりな京都人bot (@kyoutojin_bot) December 17, 2022
容疑者A「こおへん」
容疑者B「きいひん」
容疑者C「きやん」
容疑者D「きはらへん」
容疑者E「こやん」
容疑者F「きゃーへん」
容疑者G「こん」
容疑者H「きよらへん」
警察「全員関西人っぽいな、知らんけど」
個人的に「めんどくささの取捨選択」と呼んでる概念なんですけど、今後の人生で100回以上遭遇しそうなめんどくささはさっさと腰据えて対処できるようにした方がいいし、2、3度しかないめんどくささは避けたり人を頼ったりした方がよくて、その判断誤ると人生がどんどん面倒なことになっていきそう。
— 西内啓 Hiromu Nishiuchi (@philomyu) December 17, 2022
— 会話 (@bad_texter) December 17, 2022
〜谷崎と女性たち〜
— 芦屋市谷崎潤一郎記念館 (@AshiyaTanizaki) December 12, 2022
小林せい子は最初の妻千代の妹で、「痴人の愛」のヒロイン「ナオミ」のモデル。千代と相性が合わない谷崎は、せい子にのめり込み、脚本を書いた映画に女優デビューさせたりもした。彼女の面立ちや肢体からは、ハリウッド女優のようだとも描かれたナオミの容姿が透けて見える。 pic.twitter.com/zlXJUZPhHM
論点のこの違いが独我論と独在論の違いである。多くの哲学者が私が死んだって世界は無くならない云々といったつまらぬ話をし始めて(カントなども結局はその仲間だが)それとは別の問題が存在することをまさにその時に見失うようだ。哲学者たちがなぜか哲学的繊細さを失うポイントがあるように思える。
— 永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中 (@hitoshinagai1) December 17, 2022
