語尾「ます」の起源 北邙って誰?
予は前述の如く「舞姫」に対して妄評を加ふと雖も兎とに角かく本篇は稀有の好著なり。若し小説界の明治廿一年以前を春のや支配の時代ペリヲデーとなし、廿二年を北邙、美妙、紅葉支配の時代となさば、明治廿三年は恐らくは鴎外、露伴二氏支配の時代ならん。予は信ず、本年の文壇に於て覇権を握るものは此二氏に在ることを。(石橋忍月『舞姫』)
坪内逍遥と共に当時文壇に確固たる地位を占めていたとされる石橋忍月の文章に出て來るこの「北邙」を知らなかったので、調べてみると「矢崎鎮四郎」だと解った。吉田香雨 (伊太郎)の『当世作者評判記』で「矢崎鎮四郎」について調べて居たら、「漁山人」のところが唯一姓名不詳となっていたので調べてみたら「多田漁山人」で本名は寛、別号は古木山人であることが解った。
このごろ、言文一致躰を用ゐてゐたのは、石橋思案、巖谷漣山人、廣津柳浪、多田漁山人(後に古木山人と改めた)等の諸氏であつた。(高松茅村
『明治文学言文一致』)
この『明治文学言文一致』によれば「です」は山田美妙、「た」を二葉亭四迷、「ます」を「嵯峨のや氏」が用ゐたのである。とある。また「である」は尾崎紅葉の創造だとある。この「嵯峨のや氏」が「嵯峨の屋お室」つまり矢崎鎮四郎だとしたら、石橋忍月の「廿二年を北邙、美妙、紅葉支配の時代となさば」という指摘は誇張ではないかもしれない。ただし『明治文学言文一致』では、
まづ今迄の日本語變遷には二個の大時期が有つて、其第一期は太古から後醍醐天皇の頃まで、其第二期は後龜山天皇の頃から今日まで、此二期の大時期に明かな區別が有るやうです。(高松茅村『明治文学言文一致』)
賴朝の覇業を北條が繼いだ頃になつては大きに古來の語法も變化して來て、所謂今日の俗語の種子は既に爰で蒔かれました。(高松茅村『明治文学言文一致』)
といったかなり大胆な見立てもあることから、十分な検証が必要であろう。
山田美妙の『夏木立』について石橋忍月は、
著者獨有の有名なる拔群なる、言文一致躰と爲すものは、予輩より、之を視れば不消化なり、生煑えなり、氣取り過ぎで厭氣に傾きたり、細穿の小刀細工多くしで、輕妙と云へる佳味を失ふたり、(高松茅村『明治文学言文一致』)
と評している。その石橋忍月も消え、多田漁山人も忘れられ、「ます」は残った。北邙は幸福な文学者である。
