大人の教科書編纂委員会はどの程度教科書を読めているのか③ 森鴎外
校正畏るべし
例によって大人の教科書編纂委員会の『大人の教科書 国語の時間』を読んでいます。校正畏るべしと云う指摘を一つ、
真相を聞いた喜助は複雑な心境に陥る。
「これが果して弟殺しと云うものだろうか、人殺しと云うものだろうかという疑いが……」(『大人の教科書 国語の時間』)
この「喜助」は「庄兵衛」の誤りです。これは誤読と云うより凡ミスですが、それがそのまま印刷されてしまったという事実はあまり軽々しく考えてはいけないでしょう。何故凡ミスが起きたのかと云えば、実は圧倒的に多くの人が、プロでさえ、何らかのバイアスの下で文章を読んでいるという危なっかさを持っていると思ってみてもいいでしょう。別に『高瀬舟』を読まなくても、ここに書かれている範囲でのロジックのやり取りで、ここはミスだと解るはずです。しかしこんなことになってしまっています。つまりロジックをやり取りしないで読んでいるという状況があったりしないでしょうか。つまり文字は読んでいるけど、意味は捉えていない。何も考えないで読んでいる。話が頭に入って来ない。
自分は違うと思った人、本当にそうですか?
高瀬舟縁起の役割
小説『高瀬舟』は『高瀬舟縁起』によって、「こういう話だ」と規定されています。この規定をそのまま受け取り、大人の教科書編纂委員会は『高瀬舟』には安楽死問題という重いテーマが隠されている、とします。
しかし果たしてそうでしょうか。森鴎外の作家生活が、乃木希典とその婦人静子の死以降、繰り返し「静子が殺された是非」「自死の困難さ」を巡って書かれてきたことを無視してよいものでしょうか。
静子が一人で死に切ることはほぼ奇跡ではないかと思います。あるいは不可能でしょう。乃木希典も途中で気絶しないでよく死ねたものです。一般に介錯なく死ぬことはかなり難しいようです。
小説『高瀬舟』は医師でもある森鴎外が「刃物による自死の困難さ」を描いた小説だと云ってよいでしょう。
夏目漱石も『こころ』で小刀細工によるKの自死を描きました。どうも漱石は静子が殺されたことにはいがわしさを感じていたようですが、「刃物による自死の困難さ」には考えが及んでいなかったようです。
医師でもある森鴎外はその点慎重で『堺事件』では、自分で腸を摑みだして投げつけても死ねないという事実を示しました。
しかし『高瀬舟』はそんなに剣呑な話ではないよと、鴎外は『高瀬舟縁起』によって誤魔化しているわけです。大人の教科書編纂委員会も完全にだまされています。乃木静子はおそらく誰かによって殺されたのでしょう。しかしそこに罪はなかろうと鴎外は書いているのです。私はそこに大いに罪があろうと考えているのですが。
高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、思わぬ科を犯した人であった。有りふれた例をあげてみれば、当時相対死と言った情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類いである。(森鷗外『高瀬舟』)
弟を殺す話なのに何故わざわざ情死の例を持ち出さねばならなかったかと云えば、乃木大将と静子の「殉死」が成功するには、乃木大将が先に静子を殺さなければ難しいと考えられるからではないでしょうか。
『雁』というタイトルに込めた深い意味は……
……と件の本は語ります。しかしその意味に辿り着けません。お玉を雁に準えて悦に入るだけです。そして「見かけ倒しで中身が伴わないような人には、違う意味でおすすめの作品かもしれない」と何ともいいかげんな毒を吐きます。
いや、それはあんただろ、と云いたくなります。
大人の教科書編纂委員会があてこする「見かけ倒しで中身が伴わないような人」が具体的に誰を指しているのかは知りませんが、言葉のブーメランには気を付けたいものです。「『雁』というタイトルに込めた深い意味は……」と「深い」と決めつけているからには、深い意味を見つけなくてはならないでしょう。お玉を雁に準えて、それが深いんでしょうか。「僕の写象には、何の論理的連繋もなく、無縁坂の女が浮ぶ」と書いてあることそのままじゃないですか。そのままが「深い」んでしょうか。
『雁』とはどういう話かといえば、鯖の煮物に閉口して、雁を食べる話ですね。石つぶてが直撃して雁はやられます。それから蛇がチョンギラレル話です。どうもこの「女のために蛇を殺すと云うのは、神話めいていて面白いが、どうもその話はそれぎりでは済みそうにないね」から「がその行方をじっと見ていると、一羽の雁が擡げていた頸をぐたりと垂れた」という流れは、どうにもエロチックですね。
『雁』は「がん」と読みますが、別に「かり」とも読みますね。
『雁』は「岡田とお玉がどうにもならない話」です。そりゃ、ちょん切られて、頸をぐたりと垂れていてはどうにもなりません。この雁をお玉にして悦に入っているだけでは、「岡田とお玉がどうにもならない話」が見えてきませんね。
岡田は虞初新誌が好きで、中にも大鉄椎伝は全文を諳誦することが出来る程であった。(森鴎外『雁』)
こんなところにも鴎外の悪戯が隠されています。「大鉄椎伝」は『本朝文粋町』の「鉄槌伝」を意識したチョイスでしょう。「鉄槌伝」を知らないで、「大鉄椎伝」を知っている人はそう多くないんじゃないでしょうか。逆にそうじゃないという人には『金瓶梅』などの「ふり」をどう捉えているものか訊いて見たいものです。『雁』は「鉄槌伝」や『金瓶梅』にはならないという賺しの落ちを持っています。ふりが解らなければ落ちも見えないでしょうね。
[付記] 鉄槌傳
いい現代語訳が見つからないので、平田篤胤がちょこっと言及しているところをリンクしておきます。「銕槌者、簡笠袴下毛中人也、一名磨裸、其先出自銕脛」……もう十分でしょう。
