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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか⑥ アリバイ工作

アリバイ工作


 そこへ誰か梯子段を慌だしく昇って来たかと思うと、すぐに又ばたばた駈け下りて行った。僕はその誰かの妻だったことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突っ伏したまま、息切れをこらえていると見え、絶えず肩を震わしていた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
 妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。……」
 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか? (芥川龍之介『歯車』)

 こんなことは私が書くまでもないが、と思っていたが、今の読者というのは恐ろしくものを知らないので、念のために書いておく。三島由紀夫も芥川龍之介も帝国ホテルで自殺未遂をしており、二人とも違う死に方をしている可能性が全くないわけではなかった。いや最近の私は非決定論から寧ろ決定論の方に少し靡いているので、可能性云々には実はさして心がこもっていない。それでも『歯車』の結びは作者の心の声などではなく、小説としての結びである。

 自殺したい、ではなく、殺してくれないか、になっているけれど実際には芥川は二年前から死に場所や方法について考えてきており、『或る阿呆の一生』を書いた時点で「薬品」は既に手に入れてあったと考えられる。

 山崎光夫は『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』において残された資料を綿密に調べ上げ、芥川の死が睡眠薬の過剰摂取によるものではなく、青酸カリが用いられたものだと突き止めた。またその薬品は隣家の鋳金家・香取秀真から手に入れたものではないかと推察している。

 従って『歯車』の結びは十分考えられ選び取られた言葉であり、現実的には事実から目を背けさせるミスディレクションの役割を負っている。『歯車』という小説は狂人を母に持つ主人公が死の暗示に怯えながら次第に頭がおかしくなるというストーリーをもっている。しかし本当に頭がおかしい人の文章とはこんなものではありえない。

 これは自分の漢字の多い擬古文の小説の一部をDeepLで英訳して、日本語に訳し返したただの悪戯である。要するにDeepLの精度をためした遊びなのだが、みなさんこれを「本当に頭の可笑しい人間が書いている」と勘違いして読んでくれているようだ。いや、確かに、そんな感じがしなくもないが、本物とは、

 こんなのや、

 こんなのだ。

 芥川は『歯車』で精神の異常を告白したわけではない。『歯車』はいわば『金閣寺』における菓子パンである。『歯車』を読んで恐ろしくなったという人は素直な「良い読者」ではあるものの、例えば人に物を教える立場に立つ資格のない人だ。ずばり国語教師の資格はない。いや、なんであれ人に教えを説く立場には相応しくない。管理職にも向いていない。

 妻は息切れを起こしているのに、今にも死にそうなはずの夫は何ともない。今にも死にそうなのに『或る阿呆の一生』や『続西方の人』などを書いている。いや、そんな作者のプロフィールは別として、小説としての『歯車』が読めていてれば、これは徹頭徹尾理智的な細かい作為が施された作品だと認めざるを得ない筈なのだ。

 三十分ばかりたった後、僕は僕の二階に仰向けになり、じっと目をつぶったまま、烈しい頭痛をこらえていた。 (芥川龍之介『歯車』)

 この「僕の二階」がミスでないことは、

 やっと僕の家へ帰った後のち、僕は妻子や催眠薬の力により、二三日は可也かなり平和に暮らした。僕の二階は松林の上にかすかに海を覗かせていた。僕はこの二階の机に向かい、鳩の声を聞きながら、午前だけ仕事をすることにした。鳥は鳩や鴉の外に雀も縁側へ舞いこんだりした。それもまた僕には愉快だった。「喜雀堂に入る」――僕はペンを持ったまま、その度にこんな言葉を思い出した。(芥川龍之介『歯車』)

 ……この下りが証明している。「僕の二階」は国木田独歩、佐藤紅緑、岩野泡鳴が使用している。この「僕の二階」は「堂」である。

真夜中の廊下には誰も通らない。が、時々戸の外にの音の聞えることもある。どこかに鳥でも飼ってあるのかも知れない。(芥川龍之介『歯車』)

僕は目を醒さますが早いか、思わずベッドを飛び下りていた。僕の部屋は不相変電燈の光に明るかった。が、どこかにの音や鼠のきしる音も聞えていた。僕は戸をあけて廊下へ出、前の炉の前へ急いで行った。それから椅子に腰をおろしたまま、覚束ない炎を眺め出した。そこへ白い服を着た給仕が一人焚き木を加えに歩み寄った。(芥川龍之介『歯車』)

 そのうちに或店の軒に吊った、白い小型の看板は突然僕を不安にした。それは自動車のタイアアに翼のある商標を描いたものだった。僕はこの商標に人工のを手よりにした古代の希臘人を思い出した。彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光にを焼かれ、とうとう海中に溺死していた。(芥川龍之介『歯車』)

若し偶然でないとすれば、――僕は頭だけ歩いているように感じ、ちょっと往来に立ち止まった。道ばたには針金の柵の中にかすかに虹の色を帯びた硝子の鉢が一つ捨ててあった。この鉢は又底のまわりにらしい模様を浮き上らせていた。そこへ松の梢から雀が何羽も舞い下って来た。が、この鉢のあたりへ来ると、どの雀も皆言い合わせたように一度に空中へ逃げのぼって行った。……(芥川龍之介『歯車』)

 そこへ僕等を驚かしたのは烈しい飛行機の響きだった。僕は思わず空を見上げ、松の梢に触れないばかりに舞い上った飛行機を発見した。それは翼を黄いろに塗った。珍らしい単葉の飛行機だった。鶏や犬はこの響きに驚き、それぞれ八方へ逃げまわった。殊に犬は吠え立てながら、尾を捲いて縁の下へはいってしまった。(芥川龍之介『歯車』)

 三十分ばかりたった後、僕は僕の二階に仰向けになり、じっと目をつぶったまま、烈しい頭痛をこらえていた。すると僕のまぶたの裏に銀色の羽根を鱗のように畳んだが一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはっきりと映っているものだった。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色のはちゃんと暗い中に映っていた。僕はふとこの間乗った自動車のラディエエタア・キャップにものついていたことを思い出した。……

 繰り返された翼のイメージは「僕の二階」つまり「堂」で眼中に宿る。瞠目せよ。

 芥川のアリバイ工作はものの見事に成功した。まさに喜雀堂に入る芥川のほくそえみが見えるかのようである。

 誰も芥川龍之介の嘘に気が付かない。

 でもあっさりばらす奴もいる。

 芥川の話は七年前(數へ年二十八歳)の□夫人とのただ一度の情交に關し、「事露顯はれて後、事を決するよりも、未然に自決してしまひたい、」と言ふのであつた。
 僕は芥川の話を聞いてゐる間にすこし妙な氣がしてゐた。妙な氣がしてゐたといふのは、そのとき數日前、六日の晩に僕ら二人のときに□夫人がきてゐたからだ。六日であることは錯覺とは思へない。□夫人は自笑軒の歸りであると言つて妹を連れてゐた。僕よりはあとにきて、さきに歸つて行つたが、彼女は自笑軒の茶室の間どりを語り、普請にとりかかる彼女の茶室の圖面を芥川にみせてゐた、ただそれだけのことで歸つて行つた。(彼女はその場の僕に茶掛けを畫いてくれと言つてゐたし、彼女が歸つていつたあとで芥川は、君、頼むから畫いてやつてくれるなと言つてゐた。)
 自決することを僕に言つてからの芥川は、□夫人の代名詞に、河童といふ言葉を使つてゐたが、後には□夫人以外の女人の話にも、雌河童といふ言葉を使つてゐるやうになつてゐた。□夫人は昔、芥川が彼女に一座の人達(日曜日で彼の家に集つてゐた人達)を紹介してゐたときに、ほかの人には順々にお時儀をしてゐながら、どういふ次第か、「わたし小穴さんには態とお時儀をしないの、」と、人に氣づかれないほどの小聲で、微笑をみせながら僕の顏いろをみてゐたので、大正十二年以前のことであるが、その一言で僕に「芥川となにかあるな、」と思はせてしまつてゐた人だ。(小穴隆一『二つの繪 芥川龍之介の囘想』)

 悪い奴だ。




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