夏目漱石『道草』、十二支と九星のロジックが示すもの
知らない健三
夏目漱石の『道草』の作中で、健三と姉との間で交わされる会話の最初のくだりは奇妙に投げやりなニュアンスに満ちている。それは『硝子戸の中』や『思い出す事など』とはまた異質な、「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」という結びに向けて、作品全体を包む基調でもある。
「時に姉さんはいくつでしたかね」
「もう御婆さんさ。取って一だもの御前さん」
姉は黄色い疎らな歯を出して笑って見せた。実際五十一とは健三にも意外であった。
「すると私とは一廻以上違うんだね。私ゃまた精々違って十か十一だと思っていた」
「どうして一廻どころか。健ちゃんとは十六違うんだよ、姉さんは。良人が羊の三碧で姉さんが四緑なんだから。健ちゃんは慥か七赤だったね」
「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」
「繰って見て御覧、きっと七赤だから」
健三はどうして自分の星を繰るのか、それさえ知らなかった。年齢の話はそれぎりやめてしまった。(『道草』夏目漱石)
その「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」という投げやりな言葉は、この十二支と九星を利用した奇妙なパズルから導かれるべきロジックをわざとらしく拒んでいる。健三は九星の繰り方を知らず、姉の言葉から奇妙なパズルが出来上がったことにすら気が付かない。その気が付かなさは又、
彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭いがまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。(『道草』夏目漱石)
……こう投げやりに語る謎の話者にも捨て置かれる。この話者は本来健三が気が付かないところ、しかし健三以上に健三を知るものでなくてはけして知り得ない筈であるところのもの、健三の誇りと満足を知り得る特権的立場にある。ところが話者はここでは「健三は姉の言葉の中のある矛盾に気が付かなかった」とは言わない。
しかし無論この矛盾のようなロジックは夏目漱石という作家が『道草』という作品にふさわしい仕掛けとしてわざわざここに拵えたものであり、健三の投げやりな言葉のうちに潜む倦んだものを明確に表していると見てよいだろう。
そもそも『道草』という小説は、
健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。(『道草』夏目漱石)
……という話者のいい加減な疑問文で始まる。
健三が駒込の奥に世帯を持つ前に住んでいたのどこだろう。とは書かれていない。
『道草』は「年」が問われる小説だ。話者にとっても「年」が曖昧な小説だと言ってよい。そうでなければ、健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから七年目になる、あるいは、健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから八年目になる、とどちらか一方に振り切ってきっちり書いてしまえば済む話だ。健三が忘れている事、明確に記憶していないところのものを話者が正確に把握していてもなんら不都合はないのだ。
しかし話者は敢てその「年」の曖昧さというものに拘ることにする。実際に『道草』では諄いほど過去が問われる。書き付けや証文、卒業証書の年が勘定される。それらは微妙に漱石の生い立ちと重なり、微妙に食い違う。ただ私はその時代考証をしようとは思わない。飽くまでも「小説」としての『道草』の範囲内で、最初に問われた「年」がどのように組み合わされ、そこからどのようなロジックが顕れるのかを確認したいだけだ。
『道草』という小説が私小説的であるとか自伝的であるという判断そのものはさておき、ここで健三を夏目漱石と同じ慶応三年、七赤の生まれだという仮定を置き、そこから健三と姉とその良人の関係を考えて見ると、どうもこのパズルには明確におかしなところがある。
そしておかしなところから『道草』を注意深く読めば、読者の中には明確なロジックが生まれることになる。
まず、姉の話が「おかしい」ということだけは、たいていの人が直感で解る筈だ。何かおかしい。引っかかる。そして健三と十六歳差だとした場合、姉の九星は四緑ではなく五黄になってしまうというところまでは暗算で解ける筈だ。一から九の数字の組み合わせが順繰りに巡る計算の中で、七と四の間には十五しか差は生まれない。
ただしそこはわずか一歳の食い違いであることから、やや強引に姉は四緑、姉の良人は三碧の「間違いに過ぎない」……と簡単に片付けようとすれば、たちまち「良人が羊の三碧」という明確な齟齬が見つかってしまう。どういう了見か漱石はわざわざそういう齟齬を拵えた。
十二支と九星の計算はさほど複雑なものではない。足し算と引き算で計算可能である。
また十二支だけであれば、明治から昭和にかけての日本人にとってはかなり身近なものであり、年が近い人同士であれば自分が辰年で相手が巳年なら一つ違いかと解り、年が離れて同じ十二支なら一回り違うといった感覚で理解できる程度のものだ。
だから『道草』が発表された当時なら、読者の中にはたちまち矛盾を見つけた人もいるかもしれない。ただ私自身は九星にあまりなじみがないので、十二支と九星を組み合わせた年の表現を理解するために、簡単な計算を挟まなくてはならなかった。
そして計算してみたところで、やはりここには明確な矛盾が現れた。
このことは今更ながら『道草』という小説を理解する上で、けして無視できない事柄であろう。
本稿は、この矛盾、あるいは矛盾から生じたロジックを手がかりとして、もう一度虚心に『道草』という小説を読み直そうという試みである。それは『硝子戸の中』や『思い出す事など』に書かれた夏目漱石自身の生い立ちや記憶そのものとは異なる、創作世界の成り立ちに関する分析である。
まずは江戸末期まで時代をさかのぼり、そこから慶応三年へ向って年の十二支と九星の並び、その組み合わせを一覧の形にして今一度眺めてみよう。
[江戸・明治の十二支と九星] (計算による自作)
一八三二年 天保三年 壬辰 六白
一八三三年 天保四年 癸巳 五黄
一八三四年 天保五年 甲午 四緑
一八三五年 天保六年 乙未 三碧
一八三六年 天保七年 丙申 二黒
一八三七年 天保八年 丁酉 一白
一八三八年 天保九年 戊戌 九紫
一八三九年 天保一〇年 己亥 八白
一八四〇年 天保一一年 庚子 七赤
一八四一年 天保一二年 辛丑 六白
一八四二年 天保一三年 壬寅 五黄
一八四三年 天保一四年 癸卯 四緑
一八四四年 弘化一年 甲辰 三碧
一八四五年 弘化二年 乙巳 二黒
一八四六年 弘化三年 丙午 一白
一八四七年 弘化四年 丁未 九紫
一八四八年 嘉永一年 戊申 八白
一八四九年 嘉永二年 己酉 七赤
一八五〇年 嘉永三年 庚戌 六白
一八五一年 嘉永四年 辛亥 五黄 一六歳差
一八五二年 嘉永五年 壬子 四緑 一五歳差
一八五三年 嘉永六年 癸丑 三碧 一四歳差
一八五四年 安政一年 甲寅 二黒 一三歳差
一八五五年 安政二年 乙卯 一白 一二歳差
一八五六年 安政三年 丙辰 九紫 一一歳差
一八五七年 安政四年 丁巳 八白 一〇歳差
一八五八年 安政五年 戊午 七赤 九歳差
一八五九年 安政六年 己未 六白 八歳差
一八六〇年 万延一年 庚申 五黄 七歳差
一八六一年 文久一年 辛酉 四緑 六歳差
一八六二年 文久二年 壬戌 三碧 五歳差
一八六三年 文久三年 癸亥 二黒 四歳差
一八六四年 元治一年 甲子 一白 三歳差
一八六五年 慶応一年 乙丑 九紫 二歳差
一八六六年 慶応二年 丙寅 八白 一歳差
一八六七年 慶応三年 丁卯 七赤
一八六八年 明治元年 戊辰 六白
十二支と九星を組み合わせた年の表現がここに示した暦の通りであれば、姉の良人の「未年の三碧」は驚くべきことに、一八三五年、天保六年まで遡らなくては現れないことになってしまう。またこの表に当てはめてみると「姉と良人が同い年か一切違い」というざっくりした前提と、「良人が羊の三碧」という台詞があっさりと明確な齟齬をきたしてしまう。
一八三五年 天保六年 乙未 三碧
一八五一年 嘉永四年 辛亥 五黄 一六歳差
一八五二年 嘉永五年 壬子 四緑 一五歳差
一八六七年 慶応三年 丁卯 七赤
姉が一八五二年生まれだとすると、一八三五年生まれの夫とは十七歳差ということになり、健三とは三十二歳差ということになる。このいかにも大きな年齢差を付き合いのある従姉・従弟の関係においてごまかし続けることは殆ど不可能であろう。
しかも作中には「親類取扱人比田寅八」という謎の文言も現れる。「寅八」が名であれば大抵は寅年である。近い年で寅年を探せば一八五四年、安政一年、甲寅が見つかるが、これでは二黒であり、健三とは一三歳差という勘定になる。
一八五四年 安政一年 甲寅 二黒 一三歳差
ここは寅の刻に生まれたから寅八だろうと考えられなくはないが、八の字が余計である。八白の寅年では比田は健三と一歳差ということになってしまう。
一八六六年 慶応二年 丙寅 八白 一歳差
さて、これらの矛盾が意味するところ、話者も沈黙し、健三が拒み、夏目漱石が仕掛けたものは一体何なのだろうか。
この点について私は以下のように考える。
まず姉の発言はそもそも全てを信頼してよいものかと疑わざるを得ない。どれかは正しく、どれかは間違いであろう。姉の言葉全てをそのまま真実としてしまえば、十二支と九星の暦に対してはいかにも矛盾しているからだ。『道草』の作中で、健三の姉は「小さい時分いくら手習をさせても記憶が悪くって、どんなに平易しい字も、とうとう頭へ這入らずじまいに、五十の今日まで生きて来た女」だと前置きされる。また良人が「この頃変な女に関係をつけて、それを自分の勤め先のつい近くに囲っているという評番」であることにも気が付かない女である。
ここに与えられた諸々の条件を整理すると、つまり健三が敢えて知らないふりをしたところを敢て考えて見ると、まず「良人が羊の三碧」が「嘘か間違い」の何れかであり、姉は良人に「嘘か間違い」を云われても気が付かない女であり、当然自分自身では十二支や九星が計算できないのではないかと考えられる。そうでなければ「良人が羊の三碧」などという条件をそのまま受け取る筈がないからだ。(そして浮気者の良人は当然妻に嘘を言う男でもある。)
良人・比田が嘘を言ったのか何か勘違いをしたのかその詳細は兎も角として、かりに「良人が羊の三碧」が嘘か間違いであり、姉が自分では十二支や九星が計算できないとすると、健三の七赤は姉の計算から導かれたものではないことになる。何なら健三の姉は健三と自分が十五歳差であるという計算ができない。
七赤と四緑が十五歳差であることはそもそも明らかなのだ。姉が計算が出来ないのは仕方ない。しかし洋行し、教師らしいインテリの健三が、九星の中で七赤と四緑の差がいくつであるか、例え今初めて九星というものを知ったにせよ、この程度の組み合わせを計算できないことは本来あり得ないのではなかろうか。九と十二の組み合わせなので、少し考えれば直ぐに矛盾だけは確認できるはずだ。もうひとつできるのは敢て考えようとしないことなのだ。
年は段々暮れて行った。寒い風の吹く中に細かい雪片がちらちらと見え出した。子供は日に何度となく「もういくつ寐ると御正月」という唄をうたった。彼らの心は彼らの口にする唱歌の通りであった。来るべき新年の希望に充ちていた。(『道草』夏目漱石)
『道草』はどういう了見か正月が意識される作品でもある。
自分が十六歳の年、その正月に弟が生まれれば、当時の習慣として、姉は、少しはお産の手伝いをしてその記憶を持っていてしかるべきだ。いや、母親が身重であれば年越しの用意なども手伝った筈だ。しかし姉は健三が自分とは十六歳差であり健三は七金だという情報だけ持っていて、うさぎ年の正月に自分の弟が誕生したのだという明確な記憶を持たない。ただ弟の九星は七赤だという情報だけを持っている。
記憶は持たないが情報は持っている。……そのずれの意味を「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」と言い張る健三は考えようとはしない。話者もただ仄めかすだけで計算を示唆しない。
ぼんやりとした矛盾はむしろ「年齢の話はそれぎりやめてしまった」という会話が「時に姉さんはいくつでしたかね」といういささか唐突な健三の質問で始まったのだという事実を振り返った時に「作者が明確に意図したものだ」と確信できる。そもそもこの話は健三がわざわざ持ち出したのだ。
これまでもそうした漱石のやり口は既に繰り返し見てきた。
例えば『行人』において、二郎と直が先から、つまり一郎と直が結婚する前から知り合いであった理由は敢て語られない。どのような形で知り合いになったのかとも説明されない。そして語られないどころか、その設定そのものは『行人』の書かれている部分ではさして具体的な意味を持たないようにさえ思える。
二郎は父親が嘗てやったように、「いい加減なお使い」を演じ、結果としてお貞を佐野に植え付けてみせる。これは書かれている『行人』の表の筋だ。『行人』はお貞が嫁に行く話なので、二郎の「いい加減なお使い」は誰の目にも見えている。
そう考えて、二郎と直が先から知り合いという設定をプロローグに当て嵌めてみたところで、ならばまた『行人』に書かれていない部分で、二郎が一郎と直の実家の間で「いい加減なお使い」を演じ、一郎に直を植え付けたであろうことは想像に難くない。二郎はお重の縁談でもやはり「いい加減なお使い」となり、嫁入りを遅らせている。しかしこれらのことは明示的には書かれていないことで、「二郎と直が先から知り合いであった」という仕掛けから顕れる疑惑である。
明示的なことは直が古い梅を眺め、「庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」というのに対して、二郎は植え替えられたその梅を「無意味」と残酷に拒絶しているという事実である。
漱石は直に「私も植え替えて下さい」とは言わせない。言わせない代わりに「庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」とは言わせる。
「男は厭になりさえすれば二郎さん見たいにどこへでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんかちょうど親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立枯れになるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」(『行人』夏目漱石)
こう嘆く直に対しても、
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損なわれた女からは要求できるものじゃないよ」(『行人』夏目漱石)
こう嘆く一郎に対しても、二郎は「植え付け」の責任の何割かを負っている筈だ。どんな縁組も女をスポイルするわけではない。二郎はむしろ嫁に行って魅力的になったお兼さんを知っている。つまり……といった話を漱石は書かない。またこれは改めていうまでもないことではあるが、
「御母さんは驚いているよ。御彼岸に御萩を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
自分は何とも返事をしなかった。(『行人』夏目漱石)
この時、二郎は何とも返事をしない。「あれは、嫂さんの実家からじゃなかったんですか」と驚いて見せない。ここにはどうしても直の嘘が隠されている理屈にはなるが、漱石はそこにフォーカスしない。漱石は肝腎なことほど仄めかして済ます。
例えば『門』においては、宗助は(下女の清はいたにせよ)参禅によって、お米と小六を十日間二人きりにする。作中そのことには全く触れられないが、『行人』の二郎の母親なら厭な顔をする要素ではある。
また例えば『それから』の結びに於いて、漱石は代助が乗った電車の行先を書かない。行く先によっては代助がそう遠くには行かないことになるのだが、漱石は敢えてそこを曖昧にする。
『野分』においては、
「天気がいいせいだよ。なるほど随分人が出ているね。――おい、あの孟宗藪を回って噴水の方へ行く人を見たまえ」
「どれ。あの女か。君の知ってる人かね」
「知るものか」
「それじゃ何で見る必要があるのだい」
「あの着物の色さ」
「何だか立派なものを着ているじゃないか」
「あの色を竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える。あれは、こう云う透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」
「そうかな」
「そうかなって、君そう感じないか」
「別に感じない。しかし奇麗は奇麗だ」(『野分』夏目漱石)
このように漱石は断固として色を明かさない。この作法は『三四郎』でさらに徹底された。
夏目漱石はけして全てを語らない。夏目漱石という作家はその作品に於いて、何かを仄めかし、そのロジックが示すところを語り過ぎないという作法を繰り返してきた。
従って『道草』における十二支と九星の組み合わせも、皆迄は語られることのないロジックの表れだと見てよいだろう。
つまり健三はまだ姉の正体を知らないことにはなるが、読者は姉の正体を考えても良いだろう。
自分が十五歳の年の正月に、あるいは戊辰戦争の前年に、健三が生まれたという「記憶」を持たない姉、その姉は健三の本当の姉ではなかろう。
一八六七年 慶応三年 丁卯 七赤
一八六八年 明治元年 戊辰 六白
慌しい時代であった。江戸幕府が倒れ、明治政府が立ったのだ。江戸には田舎侍が大挙して押し寄せていた。十六の娘であればそれはそれは恐ろしい時代ではなかっただろうか。
つまり、諸々の条件から考えると、夏目金之助の生涯そのものとは無関係に、飽くまでも『道草』という小説の設定としては、健三はよそで生まれた子である可能性が高いとも言える。「良人が羊の三碧」が示すロジックは健三と姉を引き離す。父親から可愛がられる姉は実子であり、物として扱われる健三が捨て子である可能性がロジックとして浮かび上がってくる。
そのロジックの上で改めて「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」という台詞のニュアンスを噛みしめると、やはりこの投げやりな態度のうちには『坊っちゃん』の「おれ」や『声』の豊三郎で繰り返されてきた問題が吾輩のところへ戻ってきたような気配がある。人は誰しも「どこで生れたかとんと見当がつかぬ」ものであり、何だか知らないが今を生きている生き物である。
吾輩は捨て子だ。健三もまたそうであろう。その違いは自分が捨てられたことを知るか知らないかである。
・姉の発言と十二支と九星から考えて、姉は自分が十五歳の時に健三が生まれたという記憶を持たない。
・つまり姉は健三の本当の姉ではない。
・また比田はいい加減な嘘つきである可能性が高い。
・「実父」に可愛がられていることから姉は本当の子であり、健三はよそで生まれた子、あるいは捨て子である可能性が高い。
しかしこうした『道草』の設定に健三は気が付かない。姉が本当の姉でないことを知らないからには、比田とも従弟でないこともまた知りようがない。自分が捨て子であるとも知らないでいる。
逆に(健三との年齢差が定かではない長太郎は別として)少なくとも姉と比田は健三が捨て子であることを知っていた可能性が高いと考えられるだろう。
年は問われ続ける
十二支と九星の計算から生じる疑惑に関して健三が関知しないにも関わらず、『道草』ではその前後でやかましく「年」が問われ続ける。改めて順にその内容を確認してみると次のようになる。
・「健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。」→直接的に正解は表現されない。
・「彼はこの男に何年会わなかったろう。彼がこの男と縁を切ったのは、彼がまだ廿歳になるかならない昔の事であった。それから今日までに十五、六年の月日が経っているが、その間彼らはついぞ一度も顔を合せた事がなかったのである。」
・「彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、」
・「五、六年前彼がまだ地方にいる頃、ある日女文字で書いた厚い封書が突然彼の勤め先の机の上へ置かれた。」
・「その落款に書いてある筒井憲という名は、たしか旗本の書家か何なにかで、大変字が上手なんだと、十五、六の昔此所の主人から教えられた事を思い出した。」
ここまでの勘定が十二支と九星のパズルの前にある。改めてそう確認してみれば、やはり十二支と九星のパズルは唐突にたまたま現れた齟齬のようなものではなく、意図して拵えられた矛盾なのだと思える。この後もさらに「年」の話題は尽きない。、
・「ああこの二、三年はまるっきり来ないよ」
・「今其所へ行って見たら定めし驚ろくほど変っているだろうと思いながら、彼はなお二十年前の光景を今日の事のように考えた。」
・「そうね。もう七年位になるでしょう。私たちがまだ千本通にいた時分ですから」
・「手切の金は昔し養育料の名前の下に、健三の父の手から島田に渡されたのである。それはたしか健三が廿二の春であった。」
・「その上その御金をやる十四、五年も前から貴夫は、もう貴夫の宅へ引き取られていらしったんでしょう」
・「いくつの年からいくつの年まで、彼が全然島田の手で養育されたのか、健三にも判然分らなかった。」
・「三つから七つまでですって。御兄いさんがそう御仰いましたよ」
・「しかし八ッで宅へ帰ったにしたところで復籍するまでは多少往来もしていたんだから仕方がないさ。全く縁が切れたという訳でもないんだからね」
・「明治二十一年子一月約定金請取の証」※明治二十一年は確かに子年である。
・「右者は本月二十三日午前十一時五十分出生致し候」という文句の、「本月二十三日」だけに棒が引懸けて消してある上に、虫の食った不規則な線が筋違に入っていた。」
・「細君は何年前か夫の所へ御常から来た長い手紙の上書をまだ覚えていた。」
・「三十年近くにもなる古い事じゃありませんか。向うだって今となりゃ少しは遠慮があるでしょう。」
……こうして問われ続けて来た年の勘定は、やはり厳密に付け合わされることはない。
不思議のうちに三十六になった健三は、兎に角気が付かない男である。まず洋行帰りの誇りと満足にはかえって気が付かなかった。自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通っている事には、まるで気が付かなかった。論理の権威で自己を佯っている事にはまるで気が付かなかった。
この「気が付かない」という舞台上の役者のような態度を、夏目漱石作品の主人公たちは半ば強引に貫いてきた。『坊ちゃん』では物理学校を三年で卒業する「おれ」の中学赴任時の履歴書に「二十三年四か月」と書かれる強引さに気が付かない。どこかで落第、留年している計算になるが、その詳細は描かれない。書かないが敢えて「二十三年四か月」を明確に示す。『三四郎』では二度も生まれ年を訊かれて年齢を答える強引さに気が付かない。宿帳には「福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生」と書き、ベーコンの二十三ページをやたらと強調する。どうしてもそこに気が付いてほしいのだが、詳細は説明しない。野々宮が本当の親のように仄めかされるも三四郎との年齢差は七歳である。七歳の三四郎は赤ん坊同然と広田に言われてしまう。「日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった」と威張るが二十三歳には遠い過去などあるまい。『こころ』では先生から年齢を訊かれた「私」が年齢を訊かれるも、「すこぶる不得要領のもの」として答えない。年齢を訊かれて「すこぶる不得要領のもの」とは一体どういうことだと疑問は沸くが、そこでも漱石は何の説明もしない。『行人』では直が自分の年齢を忘れてしまう。しかし直の年齢はお兼とは面識がなかったこと、お兼が五、六年前娘盛りで嫁いだことからぼんやりと計算され得る。しかしそもそも二郎に直の縁談をまとめた経緯があったとしたら、二郎が直の年齢を忘れたと考えるべきであろう。こうした年齢に関する漱石サーガの工夫は実にわざとらしいものである。
それは『吾輩は猫である』において苦沙弥先生が年賀状の吾輩のイラストに気が付かないくらいのわざとらしさであり、登場人物たちに気が付かないことを、夏目漱石は気が付いて書いていることは言うまでもない。
十二支と九星の齟齬で、漱石は健三を捨て子のように描いてしまった。またそこには真実を確かめようもないし、突き詰めるつもりもない投げやりな健三も現れる。漱石が突き付けた姉の疑わしさに、健三は敢えて目を向けない。
この敢えて気が付かないところに重要な意味を持たせる仕掛けは、『こころ』においても繰り返された。乃木大将夫妻の殉死の報に「半信半疑」となり、立て続けに殉死小説を書いてその理不尽をあからさまに指摘した森鴎外に対して、夏目漱石は敢えて気が付かないという仕掛けを用いて理不尽を指摘した。
乃木大将の遺書は明確に「静子」を生かすことを前提として書かれている。中野の家のことは静子に任せると書かれている。その遺書は件の記念写真の前に書かれていたものであろう。
妻を生かそうとした点で、乃木大将の遺書と先生の遺書は同じである。しかし「乃木静子」は何故か殺され、静は生き残る。
先生は新聞で乃木大将の遺書を読みながら、敢えて生かされる筈の「静子」が殺されたこと、乃木将軍が遺書を書き直さなかったことに気が付かない。崩御に殉死したのなら急でもあろうが、乃木大将は飽く迄も御大葬に殉死したのである。几帳面な乃木大将が、遺書を書き直さなかったという、その理不尽さに先生は気が付かない。無論書いている漱石はそのいかがわしさに気が付いており、日記で二度、乃木夫妻の死について触れ、「神聖か罪悪か」と問うている。漱石は先生をわざとらしく殺し、自然に静を生かす。このことで乃木大将のわざとらしい死と、不自然な静子の死を読者に突き付ける。
これが漱石のやり口なのだ。「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」という投げやりな言葉で矛盾を無視してしまった健三は、一方では何故か年齢に拘り、曖昧に投げ出す。健三は島田に再会し、まずその変わらなさを怪しむ。
彼の位地も境遇もその時分から見るとまるで変っていた。黒い髭を生して山高帽を被った今の姿と坊主頭の昔の面影とを比べて見ると、自分でさえ隔世の感が起らないとも限らなかった。しかしそれにしては相手の方があまりに変らな過ぎた。彼はどう勘定しても六十五、六であるべきはずのその人の髪の毛が、何故今でも元の通り黒いのだろうと思って、心のうちで怪しんだ。帽子なしで外出する昔ながらの癖を今でも押通しているその人の特色も、彼には異な気分を与える媒介となった。(『道草』夏目漱石)
健三は六十五、六の島田の髪の毛が黒いままであることを怪しむ。
ここで島田を六十五、六歳と勘定する健三が、島田と自分の年齢差を三十歳差としていることになる。つまり一八三七年、天保八年、丁酉、一白の生まれであるか、一八三八年、天保九年、戊戌、九紫の生まれであるかという勘定である。島田のモデルと言われる塩原昌之助は一八三九年、天保一〇年、己亥、八白の生まれなのでここも年が少しずれる。
書簡を見る限り、そもそも塩原家との因縁が片付くのは『道草』の設定よりかなり後の事でもあり、年がずれることそのものだけでは不思議とも不自然とも決めがたい。そもそも塩原に対する漱石の態度は不寛容であり、『道草』に見られる健三と島田のようなものではない。だから塩原と島田の年齢差そのものは問題ではない。そもそも夏目漱石作品の登場人物の多くは漱石自身や長兄・大助他何人もの人物を因数分解して作られたかのように思われることから、塩原を島田の単独のモデルと見做すことにも殆ど意味がないかもしれない。
しかしまたここで健三は島田の年齢の勘定が一瞬でできるにも関わらず、姉の年齢は聞かねば解らなかったという奇妙な関係性も見えてくる。十歳差程度だろうと思い込んでいたのに実際は十六歳差だったとはいくらなんでも違いすぎる。
比田は平気な顔をして本を読んでいた。「いえなにまた例の持病ですから」といって、健三の慰問にはまるで取り合わなかった。同じ事を年に何度となく繰り返して行くうちに、自然と末枯れて来る気の毒な女房の姿は、この男にとって毫も感傷の種にならないように見えた。実際彼は三十年近くも同棲して来た彼の妻に、ただの一つ優しい言葉を掛けた例のない男であった。(『道草』夏目漱石)
姉は比田と三十年近くも同棲している。五十一の姉が三十年近く比田と同棲しているのなら、姉が比田に嫁いだのは二十一、二の頃、健三と姉が十六歳差だという前提で考えると、健三が五歳か六歳の時に嫁いだという計算になる。健三は三歳から七歳の間養子に出されていたことになるので同じ家で暮らしていたのは一、二歳の間のこと、健三が生家に戻った時点では、姉は既に比田の家に嫁いでいたことになるので、実際に二人が家族として一つ屋根の下に暮らした期間は極めて短く、その関係性は姉弟というよりは、「親戚」程度に距離があったものであっただろうと推測される。
姉は健三の子供の時分、「今に姉さんに御金が出来たら、健ちゃんに何でも好なものを買って上げるよ」と口癖のようにいっていた。そうかと思うと、「こんな偏窟じゃこの子はとても物にゃならない」ともいった。健三は姉の昔の言葉やら語気やらを思い浮べて、心の中で苦笑した。(『道草』夏目漱石)
しかしこのような口約束で健三と姉は心理的に結び付けられており、やがて健三は姉に小遣いを渡すことになる。このような記憶がいつの時期のものであるかは曖昧ながら、健三が何でも好きなものを買ってもらえるような環境になかったこと、姉に不憫がられる境遇であったことが推し量られる。しかも毎日実家に来るわけではなかろうから「口癖」は実家に来る度ごとに繰り返されたものであろうし、健三が不憫であったのは傍から見ても明らかだったということになる。
またその姉にさえ偏屈がられるところがあったことも読み取ることができる。
ただし比田が四谷区役所勤務であることを考えると、嫁いだ後に「今に姉さんに御金が出来たら」という姉の言葉は何とも頼りない。台詞そのものはあたかも比田に嫁ぐ前のものであるかのようで、寧ろ計算上現れる「健三が五歳か六歳の時に姉が嫁いだ」というロジックの方が怪しくも感じられる。
何か年がちぐはぐなのである。
比田の十二支と九星の齟齬に留まらず、『道草』では繰り返し歳の曖昧さが強調される。
彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、もうその時分にはこの男との関係がとくの昔に切れていたし、その上結婚地が故郷の東京でなかったので、細君の方ではじかにその人を知るはずがなかった。しかし噂としてだけならあるいは健三自身の口から既に話していたかも知れず、また彼の親類のものから聞いて知っていないとも限らなかった。それはいずれにしても健三にとって問題にはならなかった。
ただこの事件に関して今でも時々彼の胸に浮んでくる結婚後の事実が一つあった。五、六年前彼がまだ地方にいる頃、ある日女文字で書いた厚い封書が突然彼の勤め先の机の上へ置かれた。その時彼は変な顔をしてその手紙を読んだ。しかしいくら読んでも読んでも読み切れなかった。半紙廿枚ばかりへ隙間なく細字で書いたものの、五分の一ほど眼を通した後、彼はついにそれを細君の手に渡してしまった。(『道草』夏目漱石)
健三の結婚した年も曖昧、女文字の手紙が届いた年も曖昧である。結婚したのは七年前か八年前のいずれかであり、手紙が届いたのも五年前か六年前のいずれかであろう。しかし何故か漱石は彼らの時間をわざと曖昧に書く。
比田と姉を「しかし年齢は同年か一つ違で、健三から見ると双方とも、一廻りも上であった」と曖昧に書いたのもわざとであろう。「ああこの二、三年はまるっきり来ないよ」も二年なのか三年なのか曖昧である。「彼は二十年余も会わない人と膝を突き合せながら」とされる一方「彼はこの男に何年会わなかったろう。彼がこの男と縁を切ったのは、彼がまだ廿歳になるかならない昔の事であった。それから今日までに十五、六年の月日が経っているが、その間彼らはついぞ一度も顔を合せた事がなかったのである」ともされる。ここでは五年の誤差が生じている。「手切の金は昔し養育料の名前の下に、健三の父の手から島田に渡されたのである。それはたしか健三が廿二の春であった」という記録とは二、三年の誤差となる。
「その上その御金をやる十四、五年も前から貴夫は、もう貴夫の宅へ引き取られていらしったんでしょう」
いくつの年からいくつの年まで、彼が全然島田の手で養育されたのか、健三にも判然分らなかった。
「三つから七つまでですって。御兄さんがそう御仰いましたよ」
「そうかしら」
健三は夢のように消えた自分の昔を回顧した。彼の頭の中には眼鏡で見るような細かい絵が沢山出た。けれどもその絵にはどれを見ても日付がついていなかった。(『道草』夏目漱石)
例えば自伝的私小説と言われてきた『道草』が、実は人間の記録と記憶の夢のような曖昧なものを描いた作品であると捉えなおしてみること、『夢十夜』や『永日小品』の『蛇』や『声』のような世界の話であると考えてみることで、これらの「混乱」は焦点と感情の組み合わせの視点に整理しなおすことができる。「三つから七つまで」という記述も「右健三三歳のみぎり養子に差遣し置候処平吉儀妻常と不和を生じ、遂に離別と相成候につき当時八歳の健三を当方へ引き取り今日まで十四カ年間養育致し、――あとは真赤でごちゃごちゃして読めないわね」という記述とずれる。
それは健三と金之助の経歴との間にも微妙なずれを生む。金之助は明治元年つまり数えで二歳の時に養子にやられ、七歳の時に養母とともに生家に戻る。この年の曖昧さを百年待ちましたという『夢十夜』の感覚と『声』の母の声に似た醜い老婆を見た豊三郎の驚き、そして『蛇』の訳の分からなさと重ね合わせた時、正確な理屈ではない「こびりつき」のような記憶というものが見えてくる。
健三は十二支と九星の齟齬に気が付かない。仮に九星を当てにしなくても、比田が未年というだけで引っかかっても可笑しくはない筈である。しかし敢えてそうした態度をとらない。夏目漱石作品は書きすぎてはいけないというルールに貫かれており、くどくどとした説明をしない。そうでなければ健三は姉を失い、かろうじて自分を世間につなぎとめている家系を失いかねない。
母の役割
『道草』という作品に於いて極端に感じられるのは、話者も健三も養母ではない「母」の存在に関して、何か徹底して避けている様子が見られるという点である。健三と「母」は一言も言葉を交わさないし、話者によっても何一つとして健三と「母」のエピソードが語られることはない。姉が本物でないとは疑いもしない健三だが、「母」に対しては何故か完全にその存在を拒否しているかのようでさえある。しかし恨みごとの一つもないのだ。それどころか寧ろ母性に対する絶対的な信仰のような理屈を「科学的」としてまで持ち出してまで、一般名詞としての「母」の幸福と不幸を語る。
書斎に落付いた時、彼の感想がまた急に科学的色彩を帯び出した。
「芭蕉に実が結ると翌年からその幹は枯れてしまう。竹も同じ事である。動物のうちには子を生むために生きているのか、死ぬために子を生むのか解らないものがいくらでもある。人間も緩漫ながらそれに準じた法則にやッぱり支配されている。母は一旦自分の所有するあらゆるものを犠牲にして子供に生を与えた以上、また余りのあらゆるものを犠牲にして、その生を守護しなければなるまい。彼女が天からそういう命令を受けてこの世に出たとするならば、その報酬として子供を独占するのは当り前だ。故意というよりも自然の現象だ」
彼は母の立場をこう考え尽した後、父としての自分の立場をも考えた。そうしてそれが母の場合とどう違っているかに思い到った時、彼は心のうちでまた細君に向っていった。
「子供を有った御前は仕合せである。しかしその仕合を享ける前に御前は既に多大な犠牲を払っている。これから先も御前の気の付かない犠牲をどの位払うか分らない。御前は仕合せかも知れないが、実は気の毒なものだ」(『道草』夏目漱石)
この健三の「科学的」な思索は、作中にほぼ書かれることのない「母」もまた気の毒な犠牲者であったかもしれないという健三の淡い期待をぼんやりと浮かび上がらせるかのようでもある。
自分を物として扱う『道草』中の実父に対して、実母はほぼ実体を持たない。また反対に文字としては現れるも、健三とはなんら関わりを持たない「母」は、十二支と九星のパズルを解いた読者にはまた「あらゆるものを犠牲にして、その生を守護しなければなるまい」という母性の自然に逆らう者として規定され得る。『道草』の中に確かに「母」の文字はあるが、健三もまたこの「母」に直接言及しない。むしろ「母」は丁寧に避けられている。「科学的」と断られたその理屈に、自然以上の理想が込められていることにも健三は気が付かない。もしも全ての母が「あらゆるものを犠牲にして、その生を守護しなければなるまい」のであれば、健三が生家と養家の間で猫の仔のようにやり取りされることもなかった筈である。つまりそこにだけは、つまり健三と実母の間だけには、何故か自然な母の犠牲も報酬も仕合せもなかったのである。
仮に十二支と九星のロジックから導き出された結論が「姉は実の姉ではなく、健三はよそで生まれた子供の可能性が高い」というものならば、養母は実体として存在するが、本当の意味の実母という存在を健三は完全に知らないというこという可能性も出て來る。つまり姉と網戸の内外で論判をしたというその女の人は、健三の実母ではないのである。
あるいはこうも考えることができる。
仮に戊辰戦争の前年の正月に弟が生まれたことを記憶に持たない姉がいたとして、本当の実母はどこかに必ず存在して健三を生んだのであり、けして架空の存在ではあり得ないのだと。
その架空の存在ではないところの母と健三は、健三が知ると知らないとに関わらず血脈で結びついており、形式的に離れ離れになっていようと、生物的には親子のままなのである。
無論その生物的実母の存在を健三が知ろうにも、二歳で養家に出されていてはそんなことはそもそも不可能だったのだ。
形式的には養子に出されて「母」を失った健三だが、本当に失われたのは母性に対する絶対的な信仰であった筈である。それをわざわざ科学的と言って迄持ち出さねばならぬ健三は、明らかに須永市蔵よりも捨て子である。十二支と九星の矛盾に気が付かないのにも関わらず、健三の態度は充分捨て子であり、話者もまたそんな健三の「母」に対する拒否を見赦している。健三の態度は「不思議」であるが、話者にはしかるべき言い訳もあるだろう。
何故ならば客観的に見て、十二支と九星のロジックそのものは、健三には意味を持たないからだ。そこにどんな秘密があろうと、今更そこを掘り下げても得られるものは何もないのだ。自分を不要な存在として養子に出した悪い実母は贋物で、本物の良い実母はどこか別のところにいるのだ。……仮にそのような秘密があったにせよ、やはり健三にはどうしようもない。今更、別の「母」が現れることを健三も望んではいまい。
過去がどうしてこの現在に発展して来たかを疑いつつも、なんだか三十六だという現在を健三は生きている。その健三にとって小遣いをせびられる厄介な存在であっても姉は切れない存在なのであろう。姉、あるいは「母」に対する懐疑はただ読者の中にだけあり、あくまでも健三は気が付かないし、話者もそこは掘り下げる気がない。
解らないことが解っている健三
延岡は海辺の町である。しかし『坊っちゃん』の「おれ」は、延岡は猿と人とか半々に住んでいる酷い山奥だと信じて疑わない。この「山奥の延岡」はただ真っすぐなだけではなく、誤解もしやすい「おれ」の性格を表わす仕掛けであろう。『坊っちゃん』の「おれ」は思慮に欠け、決めつけやすく、乱暴だ。四国辺のどこかの町を「不浄の地」と決めつけるのは同僚らに対する罵倒と何ら変わりのない暴言である。「おれ」には漱石によってそういう性格が与えられた。そのことは『坊っちゃん』を理解するために見逃せない要素だ。
一方『道草』の健三には明確な病気が与えられた。これも単に自伝的という以上の意味を持つ設定であり、『道草』を理解するために見逃せない要素であろう。
人通りの少ない町を歩いている間、彼は自分の事ばかり考えた。
「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ」
彼の頭のどこかでこういう質問を彼に掛けるものがあった。彼はそれに答えたくなかった。なるべく返事を避けようとした。するとその声がなお彼を追窮し始めた。何遍でも同じ事を繰り返してやめなかった。彼は最後に叫んだ。
「分らない」
その声は忽ちせせら笑った。
「分らないのじゃあるまい。分っていても、其所へ行けないのだろう。途中で引懸っているのだろう」
「己のせいじゃない。己のせいじゃない」
健三は逃げるようにずんずん歩いた。(『道草』夏目漱石)
本当にこころの内にこのような煩悶が声として現れたなら、それは既に「幻聴」という立派な病気の症状である。健三は子供が母にせびって買って貰った草花の鉢を縁側から蹴飛ばして砕き、なお「誰か」が自分にこんな真似をさせているのであって自分の所為ではないと言い張る。とても真面ではないが、少なくとも健三にはそう思えたのだ。
ただこれを精神病患者の戯言と簡単に片付ける訳にはいかない。
話者はやはりどういう訳かこの健三の異常な主張を否定しないのだ。『道草』の話者は常に健三をほったらかしているわけではない。
「御安産で御目出とう御座います」
「男かね女かね」
「女の御子さんで」
産婆は少し気の毒そうに中途で句を切った。
「また女か」
健三にも多少失望の色が見えた。一番目が女、二番目が女、今度生れたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心の中で暗に細君を非難した。
しかしそれを生ませた自分の責任には思い到らなかった。(『道草』夏目漱石)
ここでは何故か話者が客観性を以て健三の責任を指摘している。あるいは子に対する父親の責任に思い至らない健三の精神構造を強調する。
話者が健三と別人格であれば、「己のせいじゃない。己のせいじゃない」という健三の主張を否定することは十分可能な筈だ。話者は健三が気が付かないことに気が付くのだから、「己のせいじゃない。己のせいじゃない」という健三の理屈に対して「すべては健三の身勝手な言い訳だった」として中立性を保つことも可能だった筈なのだが、『道草』の話者はここでは敢てそうしていないように見える。敢て流している。底まで押さずに済ましている。
話者は『道草』には書かれていない健三の未来を知っており、やがて健三の目に真に偉大なものが這入って来ることを予見する。何かその言い分は、例えば子供の鉢を蹴飛ばして壊すことさえも、真に偉大なるものを手に入れるためのしかるべき手続きであると仄めかしているかのようでさえある。『明暗』のポアンカレに関する言及を見ても、漱石は自由意志を疑い、緩い決定論的立場に立つようだ。仮に偶然が「殆んど」存在しないなら、後に健三が手にする真に偉大なものと子供の鉢も何らかの因果で未来と結びつくものであり、真に偉大なるものと無関係ではなくなる。
そして「己のせいじゃない」として責任を押し付けられようとした「誰か」が、健三がこの世に生まれて来た目的を背負いこまされるのだとしたら、その精神病患者の歪な論理の中で、「誰か」とはやはりどこにも存在しない健三の実母であるようにも思えてくる。
人は自分自身の意図によってこの世に生まれてくることはできない。自分をこの世に生み出してくれるのは両親である。父母未生以前の面目などとややこしい話を持ち出せばそうではないということになるのかもしれないが、常識的に考えれば意識は自分の脳が発生した後に生じる。無論健三と健三の精神病の責任を実母に押し付けるのは真面な考えではない。しかしその真面でないところを経なければ、その資質を欠いては、自分は真に偉大なるものに到達することはできなかったのだと漱石は誇ってはいまいか。
『道草』の作中で自らの血を啜り十日で上げて咆哮した小説が『倫敦塔』だとして、やはりそこには「常態を失った余」なる主人公が現れる。その『倫敦塔』以来(『坊っちゃん』の主人公はややヒステリー気味であり、『行人』の一郎はかなり悩んではいるようだが)『道草』まで、明確に精神病が疑われる主人公は現れなかった筈である。『道草』において改めて精神病の健三が描かれるのは、それは健三の強弁に関わらず、話者の中に於いてさえ、『道草』が現に書かれている現在は『倫敦塔』の「常態を失った余」を経てこそありうるのだという認識故ではあるまいか。
「ええ安心よ。すっかり片付いちゃったんですもの」
「まだなかなか片付きゃしないよ」
「どうして」
「片付いたのは上部だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」
細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」(『道草』夏目漱石)
この一見何ということのない諦念も、健三だけに見えている独特な世界の成り立ち、上部でないところ、偶然の殆んどない決定論的世界の深層のからくりを暗示していると見做してよいだろう。偶然のない世界においては、健三をこの世に齎した者の責任は重い。『道草』において母は、まだ何者でもない健三の現在の責任を押し付けられている。
今更島田と暮らした過去をないものにはできない。姉との関係も切られることはない。今更自分を孤児にして、姉を切り捨てることができないからだ。死ぬまで小遣いをやり続けるしかない。このしがらみは解かれることはない。どうやら小説を金に換えて、比田から借金することは避けられたようだが、また誰が金を取りに来るか解らない。
「それではこれは貴方に上げる事にしますから」
傍にいた姉も殆んど比田と同じような口上を述べた。
「どうも色々御手数を掛けまして、有難う。じゃ頂戴します」
兄は礼をいってそれを受取った。
健三は黙って三人の様子を見ていた。三人は殆んど彼の其所にいる事さえ眼中に置いていなかった。しまいまで一言も発しなかった彼は、腹の中で甚しい侮辱を受けたような心持がした。しかし彼らは平気であった。彼らの仕打を仇敵の如く憎んだ健三も、何故彼らがそんな面中がましい事をしたのか、どうしても考え出せなかった。
彼は自分の権利も主張しなかった。また説明も求めなかった。ただ無言のうちに愛想を尽かした。そうして親身の兄や姉に対して愛想を尽かす事が、彼らに取って一番非道い刑罰に違なかろうと判断した。(『道草』夏目漱石)
こうして愛想を尽かしてはいても、健三には姉との関係を切ることはできないのだ。
銀側時計の恨みは比田によってもたらされた。『こころ』の先生の叔父は、財産を掠め取った恨みから縁を切られる。しかし健三は愛想をつかした筈の人々の間で生きている。愛想は尽かしていても、家族だからだろうか。養父養母とは血縁がないから縁を切った。しかし健三には家族と縁を切ることができない。
そう気が付いてしまうと、『道草』に『行人』のようなシンプルな粗筋が浮かび上がってくる。『行人』は二郎の「いい加減なお使い」によってお貞が佐野に植え付けられる話であった。そう読めばこそ書かれていない部分で、既に直と知り合いであった二郎が一郎と直の縁組の際にやはり「いい加減なお使い」の役割を果たしたであろうという裏の筋も見えてくる。この程度のシンプルな筋が『道草』にも隠れていないものだろうか。
健三は姉を通して比田に金を渡している。岳父にも金の工面をする。『道草』ではとにかく健三がやたらと金を取られる。『道草』を敢えて大掴みにまとめると、比田のいい加減な差配により、健三が島田に金を巻き上げられる話だと括っても良いのではなかろうか。
「いい加減なお使い」のモチーフは二郎の父の過去のエピソードと重ねられる。いい加減な差配は銀時計のやり取りに表れる。比田がわざわざ健三と長太郎を呼びつけて打ち合わせをしたうえで、島田に金をやることは比田がきっぱり断ることにした筈なのに、健三のところへは次々と使いが現れて、結局健三は金を払ってしまう。結局比田は健三と島田の間で証文と金を交換する役目を果たすことになる。そしてこの表の筋には書かれない裏の筋が隠れていると見て良いだろう。
書付のしまいの方には、島田が健三の戸籍を元通りにして置いて実家へ返さないのみならず、いつの間にか戸主に改めた彼の印形を濫用して金を借り散らした例などが挙げてあった。
いよいよ手を切る時に養育料として島田に渡した金の証文も出て来た。それには、しかる上は健三離縁本籍と引替に当金――円御渡し被下、残金――円は毎月三十日限り月賦にて御差入のつもり御対談云々と長たらしく書いてあった。
「凡て変梃な文句ばかりだね」
「親類取扱人比田寅八って下に印が押してあるから、大方比田さんでも書いたんでしょう」
健三はついこの間会った比田の万事に心得顔な様子と、この証文の文句とを引き比べて見た。(『道草』夏目漱石)
健三の「一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」という何気ないように見せかけた言葉はまた、この証文に見られる比田のいかがわしさを暗示していると見てよいだろう。
比田が言うには、島田が健三に島田姓に戻ることを要求しているらしい。昔、健三の父と島田との間に比田が入り、その関係が年賀状でつながれているとして、既に養育費も支払われているにも関わらず、島田がまた健三を島田姓に戻そうとするなどどう考えても真面な話ではない。
「それに相手が相手ですからね。まかり間違えば何をするか分らないんだから、用心しなくっちゃいけませんよ」
「焼が廻ってるなら構わないじゃないか」と兄が冗談半分に彼の矛盾を指摘すると、比田はなお真面目になった。
「焼が廻ってるから怖いんです。なに先が当り前の人間なら、私だってその場ですぐ断っちまいまさあ」
こんな曲折は会談中に時々起ったが、要するに話は最初に戻って、つまり比田が代表者として島田の要求を断るという事になった。それは三人が三人ながら始めから予期していた結局なので、其所へ行き着くまでの筋道は、健三から見ると、むしろ時間の空費に過ぎなかった。しかし彼はそれに対して比田に礼を述べる義理があった。
「いえ何御礼なんぞ御仰られると恐縮します」といった比田の方はかえって得意であった。誰が見ても宅へも帰らずに忙しがっている人の様子とは受取れないほど、調子づいて来た。(『道草』夏目漱石)
どうも話をことさら真面目に受け止めているのは比田だけである。しかし比田は果たして正直な仲介者だったであろうか。比田はやれ寄席だ、やれ芝居だ、やれ相撲だって、御金さえありゃ年が年中飛んで歩いている男である。女を囲う男である。健三が姉にやる小遣いを借りる男である。いつの間にか株式投資をしていて、今度は退職金で高利貸しを始める男である。健三はどうしてもそこに気が付かないが、比田にはどこか怪しいところがありはしまいか。
健三が外国から帰って来た時、彼女は自家の生計について、他の同情に訴え得るような憐れっぽい事実を彼の前に並べた。しまいに兄の口を借りて、いくらでも好いから月々自分の小遣として送ってくれまいかという依頼を持ち出した。健三は身分相応な額を定めた上、また兄の手を経て先方へその旨を通知してもらう事にした。すると姉から手紙が来た。長さんの話では御前さんが月々いくらいくら私に遣るという事だが、実際御前さんの、呉れるといった金高はどの位なのか、長さんに内所でちょっと知らせてくれないかと書いてあった。姉はこれから毎月中取次をする役に当るかも知れない兄の心事を疑ぐったのである。(『道草』夏目漱石)
健三はこうした「仲介者が金を掠め取る」という疑いそのものを軽蔑する。一方わざわざこうした疑いを差し挟む漱石は、そういう可能性がなくはないこと、金の前では誰でも悪人になることを『こころ』に重ねて示していたのではなかろうか。
そもそも金の話で他人の仲介をすることは面倒なことであろう。それを持ち上げられたからと嬉々として無償で長年続けるとしたら、それは余程奇特な人間だ。やれ寄席だ、やれ芝居だ、やれ相撲だって、御金さえありゃ年が年中飛んで歩いている男がいつの間にか株式投資もしていて、女を囲っている。それでは市役所以外の副業が疑われても仕方がないのではなかろうか。
実際に比田がいくら収入を得ていたのかは明らかではない。しかし例えば『門』の宗助は役所に勤めながら雨漏りのする借家でひっそりと暮らしている。さして贅沢をしている気配もなくむしろ慎ましやかな暮らしぶりながら、小六を大学に通わせる財力がない。『それから』では警察官の薄給が書かれる。
四五日前、彼は掏摸と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人や二人ではなかった。他の新聞の記す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥るかも知れないそうである。代助はその記事を読んだとき、ただ苦笑しただけであった。そうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思った。(「それから」夏目漱石)
この理屈なら遊び人の比田が金をくすねても不思議はない。不思議ではないが敢えて健三は疑わない。疑わないことで却って読者に疑わせる仕掛けだ。
健三が「仲介者が金を掠め取る」という疑いそのものを軽蔑する態度は、別のどこかでも見たような記憶がある。
それは人を善と見做す態度として例えば『坊っちゃん』に表れた。「おれ」は「おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ」ときっぱり「おやじ」の依怙贔屓を否定するが、ロジックから依怙贔屓は透けて見えている。「おれ」は学校で食うための栗の木を命より大切にしており、清からは靴足袋、鉛筆、帳面を貰う。靴足袋、鉛筆、帳面は必需品であり、それらがなければ兄は商業高校を卒業できまい。食い物の記憶は全て清に結びつく。これで「おやじ」に依怙贔屓がなかったとは到底認めがたい。しかし断固として「おれ」は気が付かないのだ。無論書いている漱石は気が付いている。「寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる」こう書かれるのは風邪か何かで寒気がして具合が悪いのを清だけが心配してくれたという話だろう。満足に食えていたら夜中に蕎麦湯など飲みたくはない。
姉は長太郎を疑う。この長太郎が公明正大な人間でないことは銀側時計事件で既に明らかになっていた筈である。その差配は確かに比田によるものだが、確かに健三は兄にも姉にも愛想を尽かした筈だ。健三は銀側時計の恨みをいまだに消せない。それでも長太郎を疑う姉を軽蔑する。その健三の「疑わなさ」の陰で、やはり比田は漱石によってかなり疑わしく書かれている。誰が見ても宅へも帰らずに忙がしがっている人には見えないのである。
健三は比田を疑ってはいない。健三は何も知らないからだ。しかし片付いたのは上部だけでであり、他にも自分にも解らなくなるけれど一遍起こったことはいつまでも続くことを知っている。つまり比田を疑ってはいないけれども、まだ金を取られる事を知っている。解らないけれど解っている。
『道草』は実の姉ではない女の良人にして好い加減な仲介者比田に健三が振り回され續ける話でもある。十二支と九星の矛盾はこの比田という存在のいかがわしさを暗に示すスパイスの効果を持つている。十二支と九星のパズルを解いた読者は「そんなやつらにふりまわされることはないのに」と、余計にいらいらすることはできる。しかしたとえ姉が姉ではなく、健三が捨て子だとして、健三自身にとってはやはり十二支と九星のパズルを解くことは何の意味もない。そのことでいらいらを増やしても何の得もないのだ。吾輩は「肝心の母親さえ姿を隠してしまった」で片付けてしまう。坊っちゃんに注がれる清の全き母性は墓で報いられるも、飽くまで清は婆さんとして描かれる。『彼岸過迄』では須永市蔵は小間使いの子であり、母とは継子、継母という関係ながら二人は本当の親子のように睦まじく暮らしている。むしろそこには掘り下げるべき何物も存在しないのだ。
健三は現に「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」という不思議な現実を生きていて、現実とは「他にも自分にも解らな」いものだからだ。健三はその現実が解らないもの、やり直しも出来ず、決して解かれることのないパズルである事を解っているのだ。十二支と九星のパズルなど、健三にとっては人間の小刀細工に過ぎないのだ。健三は「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」と気弱に付け足した「殆んど」の例外として、十二支と九星のロジックが指し示す自分の過去を片付けてしまった。『道草』で片付いたのはそれだけだ。
了
【参考文献】
『定本漱石全集』(夏目漱石 岩波書店 二〇一九年)
