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『彼岸過迄』を読む 24  コキュ隠居から見えてくるもの

 以前こんな記事を書きました。 

 夏目漱石は案外金で女を買う話は書かない方だと。しかし当然お妾さんについては書いていて、お妾さんというものを否定しているわけではありません。お妾さんがいても別に構わないじゃないかというスタンスです。また情夫、情婦に関しては一層寛大、というよりむしろ情夫、情婦と夫婦を区別することがくだらないと言っているようにも見えます。

 こんな縁遠い話をしている中で、ただ一つ敬太郎の耳に新らしく響いたのは、露西亜の文学者のゴーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行する上に、資金の必要を感じて、それを調達のため細君同伴で亜米利加へ渡った時の話であった。その時ゴーリキは大変な人気を一身に集めて、招待やら驩迎やらに忙殺されるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国から伴れて来た細君というのが、本当の細君でなくて単に彼の情婦に過ぎないという事実がどこからか曝露した。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものが無くなってしまったので、ゴーリキはやむを得ずそのまま亜米利加を去った。というのが筋であった。
「露西亜と亜米利加ではこれだけ男女関係の解釈が違うんです。ゴーリキのやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些細な事件なんでしょうがね。下らない」と松本は全く下らなそうな顔をした。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この「下らない」は批判ですね。お妾さんを許容するのと比べてもう一歩強い調子で情婦に味方しています。この話は田川敬太郎の興味を引き、宝亭での食事の相手との関係を聞き出そうとする流れを生みますが、どうもそれだけのために持ち出された話ではないように思えます。

 まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋の隠居の妾がいる。その妾が宮戸座とかへ出る役者を情夫にしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言だか周旋屋だか分らない小綺麗いな格子戸作りの家があって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板へ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、襞を取った紺綾の長いマントをすぽりと被って、まるで西洋の看護婦という服装をして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家の主人の昔書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭で廿ぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当に取った女房だそうである。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 前回も引用したこの部分、よく読むと様々な男女関係が組み合わされていますね。

①隠居の妾

②妾の情夫

③コキュ隠居

④高級淫売

⑤借金の抵当に取った女房

……この④高級淫売は、

夜赤十字社東京支部女事務員にて春を賈るもの電話をかけ来りよき人を御紹介したし御差支なくばこれよりすぐに連れて参るべしと言ふ。一時間ばかりして年二十二三。小づくりの女を連れて来れり。事務所は同じならねど懇意な友達なればよろしく御願ひします。わたくしは今晩は身体が汚れてゐますからお先に失禮しますとて新しき女を殘してすたすた歸り去れり。人心の變化は吾等老人の到底窺ひ知るべからざる所なり。むかし提重とやら稱へて獨身の武家または勤番の侍の家を歩みまはりし私窠子ありし由なれど、これ等女事務員の爲すところおのずから一致するも可笑しきはなし。新體制時代のことなればサンドイツチとでも稱ふべきにや。

 みたいに東電OLのようにやはりいつの時代にもいた女ということですよね。赤十字社東京支部女事務員ってなにやってんすかね。でも、そういうのがいいって人いるんでしょうね。

 で①隠居の妾⑤借金の抵当に取った女房が違うということを明確に意識していた人はいますか? よく見ると片一方はあくまで妾で、もう一方は女房なんですね。漱石がちゃんと書き分けているところです。

 そして②妾の情夫って強いですね。この中で唯一「情でつながる関係性」でしょう。まあこの②妾の情夫には別の情婦がいるのかもしれませんが、それでも妾の方では文句を言わないでしょう。

 私は夏目漱石が須永市蔵と千代子の恋を描くことによって、そうした俗な小説ではないもの、500円では買えないものを書いたのだ、と書きました。

 しかしよくよく読むともう一つの500円では買えない男女関係が書かれていますね。

 ただ前の続きとして、事実だけを一口に約めて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経った昔の話だから、僕も詳しい顛末は知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下った妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表向き自分の子として養育したのだそうである。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この御弓と須永市蔵の父親との関係について、私はこれまで須永市蔵の父親を一方的に相当悪く書いてきました。

 咎とか書いちゃっています。ところがよく読むと「小間使が須永の種を宿した時姉は相当の金をやって彼女に暇を取らした」って須永市蔵の父親がやらせたことではなく、須永市蔵の母親自身がやったことと見做した場合、「須永市蔵の母親は夫と御弓の関係を断ち切った」と読めますよね。しかも「小間使が須永の種を宿した時」が妊娠の初期段階だったとして、もし御弓が須永市蔵の父親から無理やり関係を迫られたのでなかったとしたら、二人の関係を一方的に解消させようとした須永市蔵の母親はいささか狭量ではないでしょうか。

 いや、現代人の感覚からすれば当然ですよ。「須永市蔵の母親は夫と御弓の関係を断ち切った」として何も悪くありません。しかし大正天皇のお母さんは柳原愛子(やなぎわらなるこ)じゃないですか。柳原愛子が妊娠したからと言って、一条美子(いちじょうはるこ)が暇を出したりしませんよね。

 無論須永市蔵の父親がやらせたことではないにせよ、相当の金をやって彼女に暇を取らしたことを黙認したわけでしょうから、須永市蔵の母親だけを悪く言うつもりはありませんが、気の毒なのは督促髷を結って、妊娠したと思ったら追い出される御弓ですよね。身重で追い出されるって辛くないですか。実家に帰ったとして「ふしだらな女」と噂されてしまうかもしれません。

 しかしそもそも須永市蔵の父親と御弓の関係って、ふしだらなものだったと決めつけていいんですかね?

 ここで③コキュ隠居について考えてみたいんですが、③コキュ隠居って②妾の情夫に対しても①隠居の妾に対してもあまり強く言えない立場ですよね。だってしょうがないじゃないか、と言われそうですよね。須永市蔵の父親と御弓の関係って本当はどんなものだったんですかね。

「須永のやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些細な事件なんでしょうがね。下らない」

 そう松本恒三から言われるようなものだったような気がしませんか。

 須永市蔵の父親は御弓に「500円やるからやらせろ」とは言っていないように思いますし、御弓も「500円でどう?」とは言わなかったのではないでしょうか。

 誰も大正天皇を責められないですよね。明治天皇も。そう考えると市蔵の咎は消え、松本恒三の余談が急に重要な意味を持っていたように思えてきます。しかしこの余談は松本恒三と田川敬太郎の間で話され、須永市蔵には伝わっていません。

 全てを知っているのは読者だけです。

 いや、まだほんのさわりですけどね。


[余談]

 それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午過ぎであった。千代子は松本の好きな雲丹を母からことづかって矢来へ持って来た。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 松本恒三が贅沢で貧乏というのは、この「雲丹」あたりが象徴していると言えるかもしれません。「雲丹」なんて高級品ですからね。


 違う。











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