『行人』を読む 3 お兼さんはいい女になった
小宮豊隆、江藤淳、柄谷行人ラインで杜撰に受け継がれてきた『行人』論において、すっかり抜け落ちているのが、このお兼さんに対する二郎の評価です。Hさんの手紙を読みながら、二郎が何を思ったのか、そこのところを考えれば、これはとても重要なポイントです。
しかし長い話なので冒頭付近は忘れられてしまうようです。しかしこのことは本当に重要なので、ハツキリ書いておきますが、どうもお兼さんは結婚して、さらに、ますますいい女になっているのです。
やがて細君が帰って来た。細君はお兼さんと云って、器量はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。(夏目漱石『行人』)
この「遠見の大変好い女」というのは外見の事です。「器量はそれほどでもない」としながら、やはり褒めています。よく見るとそうでもないが雰囲気美人ということでしょうか。現代で言えば「何とか坂」みたいなことでしょうか。「スターダム」でしょうか。
お兼さんの態度は明瞭で落ちついて、どこにも下卑た家庭に育ったという面影は見えなかった。「二三日前からもうおいでだろうと思って、心待ちに御待申しておりました」などと云って、眼の縁に愛嬌を漂わせるところなどは、自分の妹よりも品の良いばかりでなく、様子も幾分か立優さって見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。(夏目漱石『行人』)
今度は態度です。やはり「女は愛嬌」というくらいで、いくら顔かたちが良くても愛想が良くなくては心惹かれません。韓国ドラマの悪役みたいなものですね。顔は整っているけれど心は冷たそう、そんな女には悪役が割り振られます。そういう意味でお兼さんは素材そのものは大したことは無いけれど、結婚して五六年で磨かれたいい女だと言ってよいのではないでしょうか。
「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」
「冗談いっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目になって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「なんて」
「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下りまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのを見つけてやるのにって」
「そりゃ君昔の事ですよ」(夏目漱石『行人』)
この「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」は二郎の本音でしょう。そして見たそのままの判断、一つの事実です。とんだ輕口で、場合によっちゃあ喧嘩になっても可笑しくはないようなことをわざわざここで二郎に言わせている意味が解りますか?
はい、間違いなく一郎のこの「早すぎる一般化」という認知のバイアスを即座にロジックとして否定するためです。
「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」
「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪まになるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損そこなわれた女からは要求できるものじゃないよ」
兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平らげました。(夏目漱石『行人』)
解りますよね。一郎のこの「全嫁=スポイル理論」はたった一つの例外を突きつければ崩れます。どんな人のところへ行こうとと言ってしまっていますからそもそも無理な理屈なのです。
お兼さんは結婚してますます魅力的な、いい女になりました。ですから真面な読者にとっては、一郎の「全嫁=スポイル理論」は言っているそばから単なる偏見であり、「早すぎる一般化」なのです。自分たち夫婦の失敗を、結婚という制度の根本的な欠陥だと思い込んでいる一郎という哀れな存在を、冷静な読者は見つけられている筈です。
しかし「全嫁=スポイル理論」が岡田、お兼さん夫婦という存在によって崩される、そもそも成立しないことが殆ど言われませんね。あれだけ愛妻家をアピールしていた江藤淳もここを指摘しません。そもそも夫婦の関係などは外側からは見えるものではなく、私も他人の夫婦のことは知りません。兎に角理屈の上で、まず夏目漱石が冒頭付近で「全嫁=スポイル理論」を否定しているという事実こそが重要です。
ここで例によって『行人』は「塵労」で断裂しているので、それ以前と関連付けるのは無意味的な発想を持ち出してくる人がいるかもしれません。ただ、それは違うよと言う話を先にしましたよね。漱石のメモリーは大きいんです。
何でも柄谷系の人たちは一郎ばかりが哲学をしているようなことを書きます。これはいかにも間抜けですよね。二郎ははっきりと縁によってはスポイルされない嫁、子供はまだできないけれどいい女になったお兼というものを捉えていて、柄谷系の人たちはそれに気が付きません。
いや正直に言えば、気が付いた人もいる筈なんです。しかし柄谷行人に逆らえなくて、なんとなく寄り添っている若手もいるようです。しかもかなりの知性の持ち主が。
これが金が欲しい似非学者の処世術ということなんでしょうかね。
後百年経てば、少なくとも夏目漱石論に関する柄谷行人の役割など噴飯物だということが常識となっている筈なんですが。
今、その最初のサル、いや、ペンギンを募集中です。
兎に角「嫁=スポイル理論」は冒頭から否定されています。そのことに気がつかない人はうっかりしています。ここまで読んで考えが変えられない人は、何らかの認知のバイアスに陥っています。
そんなことはない?
じゃあ、お聞きします。
しかし「全嫁=スポイル理論」を信じれば、九条節子もスポイルされたことになりますよね。それでも「全嫁=スポイル理論」を信じますか?
ええと、「遠見の大変好い女であった」と「遠眼鏡事件」って絶対に関係ないですよね。
[付記]
この段階で、何故お兼さんがいい女になったのかということが重要なのか解っている人はいますか? 「全嫁=スポイル理論」を否定したらその先に何がありますか、という話なんですけど。
結構ど真ん中の話をしています。
まもなく解ります。
私が生きていれば。
昨夜、ホワイトハッカーチーム(GMOサイバーセキュリティbyイエラエ)からの報告。
— 熊谷正寿【GMO】🇺🇦STOP WAR🇺🇦 (@m_kumagai) September 7, 2022
ロシア系のハッカーが日本のサイトを攻撃して落としたとの事。 pic.twitter.com/zgUniknM5E
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