『行人』を読む 6 構成と特徴を捉える
小説を読むって、結局書かれている文字を記憶し、その意味付けを関連させること、とはいうものの、物語としては「誰」を中心にその動きを捉えるべきか考えていくことが大切なのではないでしょうか。
自分 2031
兄 1135
一郎 18
二郎 107
母 413
嫂 328
直 24
芳江 45
お重 149
お兼 111
お貞 100 貞 109
岡田 202
佐野 44
三沢 291
Hさん 70
これ何の数なのか分かりますよね。
これまでの『行人』論の駄目なところは
①「塵労」にフォーカスしすぎ
②「塵労」に分裂を見出し
③「塵労」を哲学小説として切り取り
④話者の現在を見誤り
⑤作品の構成や特徴を見逃している
……という点にあります。
①「塵労」にフォーカスしすぎ
で言えば「一郎の三択」を明治の知識人たる夏目漱石の苦悩そのものと見なし、なにやら「則天去私」に結びつけようとする向き迄ありますが、よく読んでください。そもそも「一郎の三択」なんてものはないんです。そんなものは存在しません。
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」(夏目漱石『行人』)
はい即座に二つの選択肢が消えています。これに対して、
ぼく(柄谷)の説では、漱石の『こゝろ』で死ぬKは、(北村)透谷と西田(幾多郎)の二人に対応する。Kみたいな理想主義者は、すべてを自己に還元して、欲望を断とうとする。現世的なものを全部否定する。しかし、これは破れざるをえない。すると、漱石の『行人』の一郎が言うように、宗教か自殺か狂気しかない。これが明治のインテリの問題だった。(『近代日本の批評・明治大正篇』P.85・括弧内小林)
……などとやらかしてしまったのが柄谷行人です。他人事ながら、ちょっと赤面しませんか。これは小宮豊隆、江藤淳のずさんなデッドコピーに過ぎません。つまりそれほどの惰性が近代文学1.0を支配していたのに誰一人文句を言わなかったわけです。
それにしてもこの程度のものを有難がってきたみなさんは、スルメや壺なんかも買ったりするんでしょうか。こんなものを捨てない限り、近代文学2.0はありません。
今回は⑤作品の構成や特徴を見逃している、について少しやります。
ええとお兼 111、お貞 100 貞 109、この数字が意味するところは解りますよね。言われてみれば、ですよね。
言われてみれば、『行人』の著しい特徴とは『坊っちゃん』以来、常にいるのかいないのか殆ど気がつかないような存在であった下女が久々にフォーカスされ、人間扱いされているという点です。
中には『こころ』の先生は奥さんと二人でひっそりと暮らしている……と書いてしまうプロがいるわけですよね。ちゃんと下女がいるのに。
でもこれは仕方ないことで、『坊っちゃん』と『行人』においてのみ、下女が人間扱いされているのです。しかし近代文学1.0の人たちは殆どこのことを無視してこなかったでしょうか?
全員?
そこまでは確認できていませんが、逆に柄谷行人が江藤淳を越える漱石論は現れていないと書いていたと思いますので、近代文学1.0の限界は柄谷行人が保証してくれていると言ってもよいでしょう。つまり近代文学1.0の人々は『行人』においても惰性で下女を無視してしまったわけです。
この点においては「お貞と一郎がセックスをしたのではないか」と指摘をしている小森陽一さんの方がまだいくらか救いがあります。
兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履を引掛けているため、ぴしゃぴしゃする響が、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足の上に、女のつつましやかな気性をあらわすせいか、まるで聴き取れなかった。戸を開けて戸を閉じる音さえ、自分の耳には全く這入らなかった。
彼ら二人はそこで約三十分ばかり何か話していた。その間嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常なみのものより機嫌よく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌を蔵そうとする不自然の努力が強く潜在している事が自分によく解った。岡田は平気でいた。
自分は彼女が兄と会見を終って、自分達の室の横を通る時、その足音を聞きつけて、用あり気に不意と廊下へ出た。ばったり出逢った彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤く染っていた。彼女は眼を俯せて、自分の傍を擦り抜けた。その時自分は彼女の瞼に涙の宿った痕迹をたしかに認めたような気がした。けれども書斎に入った彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知る事を得ない。自分だけではない、その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。(夏目漱石『行人』)
ここで一郎とお貞がセックスをしたと小森陽一さんは見るわけです。お貞は泣いています。直が不機嫌を隠そうとしています。なるほど……、いやなるほどではありません。夏目漱石は隙あらば野獣に堕ちるゾラ、モーパッサン的な自然主義を嫌悪していましたので、さすがにここでセックスはないと思います。
泣くほどありがたい言葉、お貞の胸を打つ言葉があったのではないでしょうか。後に一郎はお貞を気に入っていたことが解りますので、直が不機嫌を隠そうとしたのは、腑抜けの妻より下女に親切なことに焼いていたのかも知れません。
いずれにせよ、二郎が言う通り、仔細は解りません。解りませんが『行人』において、漱石は、下女の心理まで覗かせようという書き方をしています。これは明らかに『行人』の著しい特徴ですよね。
それからお貞が人間であることを認めてもらえば、『行人』という小説が冒頭から最後まで、お貞の婚姻という事件を軸に書かれていることが解りますよね。そういう構成になっていますよね。この軸に三沢は関与しないので「アンチ・トリックスター」であり「へたくそなトリックスター」であると書いたのですが、この件、まだ全部書ききってませんからね。
[余談]
白山ケ岳の東端を上り、北火口棚に出ると霊泉金明水がある。三沢の胃が悪くなったのは、霊泉金明水に寄生虫がいたからではあるまいか。
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