谷崎潤一郎の『卍』をどう読むか② 餃子にはバルサミコ酢をかけるタイプ
昨日はこの記事で、
やはり先生との関係性が謎
卍が吉祥であるのに、あやしげな話に進んで行きそうであること、そして「先生」の目的が見えないこと、「わたし」と「私」の書き分けの意味がわからないこと、「肉体上の関係」の取り扱いが曖昧であることなどについて指摘した。そして風呂に入って寝た。
そんな訳で、そいから暫くは大人しいに家い引っ籠ってましたもんですから、この様子やったらまあ安心や思いましたもんか、そうそう己も遊んではいられんからいうて、大阪の今橋ビルディングに事務所借って弁護士開業しましたのんが、あれが昨年の二月頃でしたかしらん。――はあ、そうです。大学の方は独法やりましたのんで、弁護士にならいつでもなれたのんです。始めは何でもプロフェッサアになりたいようにいうてまして、ちょうど私のあの事件ありました時分には、引きつづいて大学院の研究室の方い通てましたのんですが、弁護士やる気イになりましたのんは別にこれちゅう理由あったのんではあれしません。
物語は飽くまでこの女のモノローグで進んで行くようだ。「――はあ、そうです」の間に先生が何を言ったのかさえ明かされない。全てはこの女の一方的な思いで、客観性を欠くのに、その言葉をとりあえず信じるしかない。
つまり彼女の夫は大学ではドイツ法を専攻し、教授を目指していたが「あの事件」の時分には大学院に通っていた。去年の二月に大阪の今橋ビルディングに弁護士事務所を開業した。日本の民法はドイツ法を元にして作られているのでドイツ法を専攻していた夫は弁護士になろうとすればいつでもなれた……。この今橋ビルディングは今橋ビルヂングのことだろうか。
そういつまでも私の実家の方に世話にばっかりなってましては義理も悪いし、私に対しても頭上らんと思うたのんですやろ。いったい主人は大学時代に秀才やいう評判で、たいへんにええ成績で卒業しましたもんですから、そういう人間ならばいうのんで、嫁に来たとはいうもんの、婿を取るのも同様にして結婚したのんです。そいでもう私の親たちは主人を信用してまして、いくらか財産も分けてくれまして、まあまああせるには及ばんから、学者になりたかったら学者になるで、ゆっくり勉強するがええ。洋行もしたければ夫婦で二、三年彼方い行いてくるがええなどいうてくれまして、――最初は主人も大そう喜んで、そんなつもりもあったらしいのんですけど、――私があんまり我儘やのんで、実家の方笠に着て威張るのんやいう風に取って、それが癪に触ったのかも分れしません。しかし性質が学者肌に出来てまして、いつまでたっても書生流のぶっきらぼう抜けしませんし、あいそは下手ですし、それはそれは人づきあい悪い方ですから、弁護士なんぞになりましたところで一向仕事やかいあれしませんね。
夫は秀才。いい成績で大学を卒業した。「私」の実家は金持ち。学生結婚した。嫁の実家から財産を分けてもらった。嫁の実家は捌けている。夫は学者肌。人づきあいは悪い方。「私」は我儘。開業しても仕事の依頼はない。……つまり夫の実家は金持ちではない。夫は教授にはなれなかった。弁護士事務所は何か当てがあって、つまり何かのコネがあって開業したわけではない。
それでも毎日事務所いだけはきちんきちん出てましたが、そうなりましたら、私の方は一日家にぼんやりしてまして、しょうないものですから、自然また、いろいろと、一旦忘れてたことが胸に浮かんで来るのんです。前には暇ありますと歌作ったりしましたが、歌はかいって思い出の種になりますので、もうこの頃はせえしませんやろう? そんで私、こうやっててはろくな事考えへんさかい、これは何とかせんといかん、何ぞ気イ紛れるようなことはと思いまして、――先生は御存知でしょうか、――あのう、天王寺の方に女子技芸学校いうのんありますねん。私立の詰つまらん学校ですねんけど、絵エと、音楽と、裁縫と、刺繍と、そいからまだ外にも何や、まあそんな風に科ア分れてまして、入学の資格なぞむずかしいことも何にものうて、大人でも子供でも自由に這入れます。わたし前にも日本画稽古してまして、下手ですけど、その方になら幾いくらか趣味持ってますもんですから、それい毎日、朝は主人と一緒に出かけるようにしまして、ともかくもまあ、通うことにしましてんわ。尤も毎日とはいいましても、そんな学校ですから、休みたい時は勝手に休んだりしましたけど、――
夫が弁護士事務所を開業して間もなく、専業主婦だった「私」は天王寺の女子技芸学校に通い始める。その説明に紛れるこの「もうこの頃はせえしませんやろう?」はどういう意味だろうか。これが「私って餃子にはバルサミコ酢をかけるタイプじゃないですか?」なら「知らん」で片付けることができる。しかしここは何か先生と「私」の関係性を示唆しているようでもある。いや、谷崎はこの場面、先生と「私」の関係性を考えさせようとしているように思える。これが「昔はしてましたやろ?」ではないので、ただ「先生の御宅い寄せてもらうようになりましてから、すっかり様子変りまして、絵エ書いたり、ピアノの稽古したりして、一日家に落ち着いてますもんですから」と既に述べられた近況と連結するだけなのだろうか。「絵エ書いたり、ピアノの稽古したりして」とはいえ、「もうこの頃はせえしませんやろう?」と歌を止めたことには何の保証もない。
ただぼんやりと先生が絵とピアノを「私」に教えているのか、それが御親切で御厄介なのかとぼんやり受け止めるだけである。そして「思い出の種」になる歌を止めなくてはならぬ理由となるものが「あの事件」であろうと、「思い出の種」と「あの事件」がぼんやりと重ねられる。
主人は絵エや文学やにはてんと趣味ない方やのんですが、私が学校い行きますことは賛成してくれまして、それは結構や、ええ思いつきやさかい精出して行くがええいうて、自分から勧めたくらいやのんでした。毎朝出かけますのんにも、私が行きますのんは九時のこともあり、十時のこともあり、自分の都合でいろいろになることありましたけど、主人の方も事務所暇やのんですさかい、何時になろうと大概待っててくれまして、阪神電車で梅田まで一緒に行き、そいから二人円タクに乗って堺筋の電車通りの今橋の角で主人おろしまして私はずっとその車で天王寺い行きます。主人はそういう風にして一緒に出かけますこと楽しみにしてたらしいのんで、「またもう一遍学生時代に復ったような気イするなあ」などいいますから、「夫婦づれで自動車で通う学生あったらおかしいやないか」いいましたら、あはあは笑うたりなんぞして上機嫌でした。
ここで「私」の住まいは梅田駅より北の阪急電車の路線区に位置するように仄めかされる。

それが何駅なのか、それはまだ解らない。まだその先を読んでいないからだ。
