三島由紀夫の『潮騒』を読む 例によって語彙やらそういうところから始めて中身の話も少し
第一章
│戍《まも》られた鳥居 また使ってるね。自衛隊は衛戍隊にした方がいいのかな。
帆翔 鳥が上昇気流を利用して翼をひろげたままはばたかずに飛ぶこと。
崎嶇 ① 山路などがけわしいこと。 凹凸がはなはだしいさま。 ② 人の世の容易でないこと。
他者 よそもの
琺瑯
第二章
あれ、難しい漢字が出てこないぞ。どうした三島?
魴鮄 ほうぼう「竹麦魚」とも。
櫓捌き、とか漁𢭐長とか言葉としては難しいと言えなくはないが、これまで見てきた三島の語彙は観念の空中戦とも呼ぶべきぎりぎり意味の通じるか通じないかの開いた位置にあるから難解に見えたのであり、漁村で魴鮄が出てきても難しいとは感じないのだ。
艫櫓 櫓場 調革は調帯 ベルトの事だ。
大生簀 おおがんこ この読みはリサーチ・ナビにも次世代デジタルライブラリーにもなし。
海盤車 ひとで
第三章
海神は若者の祈りを嘉納したように思われた。
こういうところですよね。
嘉納とは
① 人の箴言(しんげん)、意見などを喜んで聞き入れること。
② 進物などを喜んで受け納めること。
適切で開きがない。これは…難しくない。
第四章
観的哨跡
茱萸 ぐみ
落莫
荒布 あらめ
第五章
殷賑 また出てきた。殷って商だったんですよね。
その日はいつもの機関士がいず、代わりの機関士は機会に馴れていなかった。
いる ゐ ゐ ゐる ゐる ゐれ ゐよ 上一段活用させてないか?
連用中止形「い」および否定の連用中止形「いず」「いなく」はあまり用いられず、て形(連用形+助詞「て」)の「いて」「いなくて」、または、おるの連用中止形「おり」「おらず」で代替されることが多い。(ウィクショナリーより)
収入 みいり
旬間 十日間 ちなみに浹日は十日間 浹辰は十二日間
音なう これは古語だな。
彼の微笑した白い歯は闇の中に美しく露われた。…そういえば『仮面の告白』でも『愛の渇き』でも、三島は「歯」フォーカスしているな。
第六章
新生 漢字のものは昭和二十七年九月で終わり、『潮騒』が書かれた当時はローマ字に変わっている。
国民の煙草しんせい、という歌もあった。
踵 くびす 芥川の「偸盗」が最後かと思ったら、村崎敏郎が昭和三十二年に使っていました。にしてもやはり三島は古いな。
理路并然 りろせいぜん 使用例見つからず。そもそも「并」の読みが呉音でヒョウ、漢音でヘイなので、「セイ」にはなりませんね。
第七章
円太郎馬車 乗合馬車
ポンポン蒸気の連絡船は「神風丸」だ。この頃の三島は完全にノンポリなのに、偶然にしてはできすぎだ。映画『狂った果実』でボートがSUN SEASON号だったみたいな話だなこれ。
第八章
暁暗 ぎょうあん あかときやみ
難しい言葉はほとんどない。
この章で例の裸の場面があるのだけど、よく読むとやはり新治が羞恥のために真っ赤になって、褌を取るところが山で、これは何と言われようとこの時の初江の微笑はちいといやらしい。見る気満々やないかい。この羞恥と露出の感覚が三島の独特の感覚で練られたものであることは言うまでもない。
第九章
旅信
おろしてみたら、フワフワした、天皇様の坐るような椅子で、お母さんも一度こんな椅子に坐らしてやりたいと思いました。…って意味深。
またそびらを返して行ってしまった。
そびら? 背中の古語だ。
この問いも(そして絶叫も)、すこぶる筋のとおらぬものであった。だが、そのことにヴェリチャーニノフが氣がついたのは、もうどなってしまったあとの祭だった。この叫びに應じて、例の紳士は振り返って、ちょっと足をとめ、困ったような顏をし、にやりと笑い、何やら言いたげなふりをし、何かしたげな素振りを見せ、――ほんの一瞬間、ひどく戸まどったような物腰をありありと示したが、急にそびらを返すと、そのまま振り向きもせずに、ずんずん向うへ行ってしまった。ヴェリチャーニノフは、呆れてその後ろ姿を見送った。(『永遠の夫』ドストエフスキー、神西清訳)
あるね。向ける方が多いけど。
檣燈 しょうとう 檣はほばしら
大事ない だんない 構わない
低音 こごえ
昧爽 まいそう よあけ あかつき
第十章
候鳥 わたりどり
紫吹
交接 に ふりがながある。書けないけど。
わぐり船 綰船
もう解決済みかもしれませんが日本国語大辞典第二版13巻1271頁に載っていました。「綰」という字です。「わぐる」は「わげる」の方言で同巻1278頁にはその説明もあります。日本語の調べものにはまず日本国語大辞典をお薦めします。大きな図書館なら大体置いてます。デジタル版もあります。 pic.twitter.com/JzX1LIHz2m
— シン@本 (@naosarakyaa) August 18, 2017
第十二章
デキ王子 後醍醐天皇の8人の王子の一人 ただし作中ではどこかの王子
鬱金の風呂敷ほどの日ざし …
第十三章
なにもない。この章では海女さんの生活が描かれている。今でも映像記録に残る通りだ。リンクは貼らないけど。
余談になるが『三四郎』の名古屋で同宿する女、四日市の方に実家があるらしいが、色が黒いのは海女さんだったからではなかろうか。
第十四章
薄縁 うすべり
船首 みよし 水押・舳
闇の中に白い美しい歯が泛んだのでわかった。…やはり白い歯
『潮騒』の成功は島にあり
やはり『潮騒』では観念の空中戦が抑えられ、語彙も抑えられている。そして改めて思うのは『愛の渇き』といい『潮騒』といい、戦後の東京を離れて、田舎の生活の中に物語を置いたところで七割がた成功しているのではなかろうか。
夏目漱石作品の殆どが東京を舞台にした都会派小説であったのに対して、三島の『愛の渇き』と『潮騒』は見事な田舎小説である。『坊っちゃん』が「おれ」を江戸っ子にして、田舎で暴れながらあくまでも江戸っ子として意地を張るのに対して、『潮騒』では島の人々が島の感覚のまま生活する様子が描かれる。これがもし新治を都会者にしてしまったら余計な理屈をこねくり回すところだが、そうはならない。『愛の渇き』は悦子がやはり余計な理屈をこねくり回す。健輔と千恵子の夫婦も妙な理屈をこねくり回すものの、農村生活の描写が濃やかなので『午後の曳航』の龍二と房子のようなうすっぺらさを胡麻化されている。いや、上手くいっている。
予定調和、ハッピーエンドの小説のどこに感心すればいいのか、と戸惑う必要もない。切れたワイヤーに肉を裂かれなくても良いことは、蜂が初江を守ったことで知れていた。『潮騒』はこの世の物語ではなく、別世界の神話のようなものだ。桃色の貝殻をあげて喜んでくれる彼女など、サイゼリヤで喜ぶ彼女くらいの虚構である。
サイゼで喜ぶ彼女 pic.twitter.com/i4JaJF2JNI
— クレハ@新刊メロン委託中 (@KU_RE_HA) February 8, 2022
