グリ·マルキンと源高湛
猫が出た當時、東京朝日の月曜文壇でグリ·マルキン(長谷川二葉亭氏の變名と云ふ)と名乘る人が、猫は決してユウモリストの作ではない。寧ろサテイリストの作である。更に進んで云へばスケブテイツクの作である。云ひ得べくんば深刻悲痛なるユウモアである。と云つた。これは猫の諷刺やアイロニーやによつてベシミステイクな色調さへ添つた一面、具體的に云へば金田一族等を對象として人間の虛僞、女性の乖理を論じた場合だけを特に見た上の觀察で、部分的批評に過ぎないと思ふ。(『廃園雑草 : 文芸論抄』鈴木敏也 著右文書院 1926年)
グリ・マルキン……知らなかった。
鼠色の猫を「グレーマルキン」又は「グリマルキン」といふ。啼くは其の主を呼ぶなり。ーWitch. I come, Graymalkin.(『英文評釈』坪内雄蔵 述東京専門学校)
なるほど。
漱石氏は其始め、ホトヽギス派の俳人として印象せられたる名であつた。歌人としての鷗外氏に源高湛の名があることも、一部の人は知つてゐる。籠漱石氏の小說は俳句から寫生文を經て來た。(『夏目漱石氏の鶉籠』川路柳虹 著名著評論社 1915年)
源高湛?
三十日中庸堂書店から出版した高濱長江氏著〔旅ころも〕の卷頭に「三十七年六月十五日祝家屯にてぬれ衣を家にやらばやみちすがら友をうしなふ旅のしるしに源高湛」とある。
卷頭大村氏の序に本書の由來を說明し、標題紙の裏面に願以此功德回向硯山院峰雲谿水大姊森林太郞源高湛印施冥福爲菩提資糧と印刷してある。
同月二十一日めてんとはすれと迷のこき烟まつ目に浮ふ畑のはなけし源高湛(うた日記「明治三十七年六月十六日於尖山子」二首一句の先頭にあり、米國製支那人阿片吸入の繪葉書に認む。)(『鴎外森林太郎』森潤三郎 著丸井書店 1942年)
なるほど。
で、これなに? 食えるの?

