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芥川龍之介の『糸女覚え書』をどう読むか③ まず計算してみよう

シュレーディンガーの乃木静子


 キリスト教の理屈では『糸女覚え書』の秀林院は「いんへるの」へ行くか「はらいそ」に行くか解らないことになる。それは乃木静子も同じである。

 芥川の表の逆説が烈女の二つの意味を問うことであれば、裏の逆説はこのシュレーディンガーの秀林院を作り出すことである。これをミソジニー(misogyny)で括ってしまえば馬鹿が一人出来上がる。そんな批判は糞みそ批判である。切支丹ものの逆説、皮肉は性に対して向けられたものではなく、常にキリスト教、イエス・キリストに向けられている。女性が出てくるところだけを摘まんで文句を言っていれば何か賢くなったような気分になっている人は今度は女が出てこない話にもケチをつけ始めるだろう。そんな文句はカレーライスに麵が這入っていないというようなものである。

 ある意味では『糸女覚え書』は戦争の道具、裏切りを防ぐための人質として利用されるのが当たり前だった戦国武将の内室が、そうした「女」の立場を拒絶した話でもある。細川ガラシャ伝説がそういう話であり、『糸女覚え書』では細川ガラシャの聖化に疑義を唱えたのだと考えてさえ、やはりシュレーディンガーの秀林院は裏切りを防ぐための人質として利用されることを拒絶したのだから、男の論理を拒絶した新しい「女」であったとは言えよう。

 シュレーディンガーの乃木静子伝説は夫に付き合って殉死するという頓珍漢な美談を拵えた。この伝説は頓珍漢な上にいかにも古くさく、ミソジニーに浸っている。夏目漱石は戦争未亡人の下宿に暮らす先生を描いて、シュレーディンガーの乃木静子伝説に疑義を唱えた。静は生きる。静も男の論理に巻き込まれない新しい「女」であった。



信頼できない話者


 しかしこの『糸女覚え書』そのものが信用できない話であることも確かだ。何故なら、人には常に偏見と云うものがあり、嘘つきは息を吐くように嘘をつくものだからだ。大体他人の悪口を平気で言いふらすような人間は碌でもない。そんな人間の言うことは信用しなくてもいい。

 且は御機嫌もこの時より引きつづき甚だよろしからず、ことごとにわたくしどもをお叱りなされ、又お叱りなさるる度に「えそぽ物語」とやらをお読み聞かせ下され、誰はこの蛙、彼はこの狼などと仰せられ候間、みなみな人質に参るよりも難渋なる思ひを致し候。殊にわたくしは蝸牛にも、鴉にも、豚にも、亀の子にも、棕梠にも、犬にも、蝮にも、野牛にも、病人にも似かよひ候よし、くやしきお小言を蒙り候こと、末代迄も忘れ難く候。

(芥川龍之介『糸女覚え書』)

 こんな恨み言を書いている人間が本当のことだけ書く訳がない。つまり糸女の書いていることは信用しなくていい。仮にこうしてパワハラを受けていたことが事実だとしたらなおさら、いかにも秀林院を悪く見せようと話を盛るだろう。

 あるいはそこには書かれないこと、省かれていることがあるだろう。

がらしあ : 史劇

 則ち御屋敷にて腹を切申候人は少斎、石見、いわみ甥六右衛門、同子一人、此分を覺へ申候。其外にもニ三人はてられ候由に申候らえども是はしかと覺え申さず候。こまこましき事は書付けられず候まゝ、あらあらは大かた如此にて候
                    志   も

古今史譚 第2,3巻

 敢えて省かれたのは「殉死」である。細川ガラシャ伝説を通俗芝居で知る者も、史書で知る者も、ここにぽっかりと抜け落ちた「殉死」があること、つまり芥川が『糸女覚え書』を書くにあたって「殉死」を敢て省いたことにも気がついた筈である。

 いや気が付くべきというべきか。しかし「まづは秀林院様お果てなされ候次第のこと、あらあら申し上げたる通りに御座候」といかにも「霜女覚書」をなぞりながら「自殺かどうか」さえ明らかにせず、「殉死」を省いているにも関わらず、「殉教者とされるガラシャの偶像破壊を意図したという解釈が一般的であり、このため作品の評価としては総じて低いとされている」などと言われてしまうのはどういうことなのだろう?

 芥川がここで「殉死」を省いているのは、悪戯ではない。

日本もまた小児に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。

いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。

(芥川龍之介『金将軍』)

 伝説は史実ではない。糸女は秀林院様はみずから十歳の女子と八歳の男子を手に懸けた殺人者であるとも書かない。

島左近

二十、打手のかかり候は亥の刻頃と存じ候。お屋敷の表は河北石見預り、裏の御門は稲富伊賀預り、奥は小笠原少斎預りと定まり居り候。敵寄すると承り候へば、秀林院様は梅を遣はされ、与一郎様の奥様をお召し遊ばされ候へども、はやいづこへお落ちなされ候や、お部屋は藻ぬけのからと相成り居り候よし、わたくしどもみなみなおん悦び申し上げ候。なれども秀林院様にはおん憤り少からず、わたくしどもに御意なされ候は、生まれては山崎の合戦に太閤殿下と天下を争はれし惟任将軍光秀を父とたのみ、死しては「はらいそ」におはします「まりや」様を母とたのまんわれらに、末期の恥辱を与へ候こと、かへすがへすも奇怪なる平大名の娘と仰せられ候。その節のおんありさまのはしたなさ、今も目に見ゆる心地致し候。

(芥川龍之介『糸女覚え書』)
肥後先哲偉蹟

 この羽柴與一郎忠隆の妻・千世は前田利家の七女である。奇怪なる平大名の娘は後にこのことを理由に離縁される。

 この「おんありさまのはしたなさ、今も目に見ゆる心地致し候」などという下りも「霜女覚書」にはない部分で、やはり男の論理を拒絶して生きようと謀る千世を罵る秀林院を「はしたない」と咎めている。

 男の論理の手先となり人質になることを勧める「ちやうこん」澄見をはしたなく書いているのも芥川だ。

日本戦史 關原役文書補傳

 そもそも澄見には偶像はなかろう。千世は偶像にはなるまいとした。秀林院は偶像にされてしまった。本当に何があったのかは分からない。そもそも糸女は信頼できない話者だから。

 いやいやいや。

 そもそもこの「霜女覚書」そのものが信頼できないのだ。

女流著作解題

 村上春樹の『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』を読んだ時、1965年に一度すれ違っただけの女の子の話というていで書いたんだなあ、と思ってみると「え、ご、五十四年前!」(2019年に書かれているので、当時七十歳のお爺ちゃんが1965年の事を書いていると思えば「!」も付けたくなる。)

 村上春樹さんは『女のいない男たち』の『イエスタデイ』なんかで既に相当「昔のことは覚えていない」状態なので、当然『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』がありのままの記憶である筈もない。

 では、正保(しょうほう)五年二月十九日とは、1648年で、

 いやいやいや。正保5年2月15日(グレゴリオ暦1648年4月7日) 「正保」が「焼亡」に繋がると批判が起きたため改元されとるやん。なんやねん正保(しょうほう)五年二月十九日って。

 でもまあ慶長五年が1600年か。48年後やないかい。何が59年後じゃ。時空歪んどるんか。

 まあそれにしても当時の「志も」の年齢が定かではないところで、糸女を嫁入り前に「三年あまり、御奉公致し居り候へども」としたのは芥川の細工だとして、仮に48に19を足しても67歳だ。「志も」の方はもう少し年かさだろう。48に22を足して70歳。そんなお婆ちゃんにむりやり48年前のことを話させている。どうも余り字を知らない。しかもしかも、「ぜひなく御さいごを見届けしまい候て」なのだ。そんな話を誰が信じるものだろうか。

古今史譚 第2,3巻

 いや、みんな信じて来たのだ。芥川はこの「訳の分からない話」とともに時空のゆがみ、人々の信じやすさを揶揄っている。破壊されているのは偶像ではない。近代文学1.0なのだ。


[余談]


計算サイトより


計算サイトより

 47年と8か月か。そんなことどうでもええねん。正保(しょうほう)五年二月十九日が何にしてもあかんねん。それにカシオの計算サイト、江戸時代は慶長八年からちゃうんか。独特の歴史観やな。

 

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