芥川龍之介の『温泉だより』が解らない⑪ 隠された死あるいは嘘つき村のおとぎ話
もう流石に最後にしよう。まだ書きたいことは山ほどあるが、私にはもう時間がない。
この『温泉だより』の解釈として案外気が付かないかもしれないというところを書いておく。
それは蛍と火の玉の関係。いや、そんなことはどうでもいい。萩野半之丞が「な」の字さんに送った蛍も間もなく死んでしまうだろう。しかしもう一つの死があえて書かれていないのではなかろうか。
それは「いつも蜜柑を食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客」の死だ。本当にそうであれば、蜜柑のなくなる夏、その人は何も手につかず死んでしまうのではなかろうか。春先には苦しみはじめ、どうしようもなくなり……。
その死は書かれなかった。いや、隠されたのだ。この『温泉だより』が書かれたのは四月。四月にはまだ蜜柑は出回っているが、五月にはなくなる。そうなると「いつも蜜柑を食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客」はどうなるのか。そこを敢て書かない。その作法は萩野半之丞の息子が身を持ち崩す未来が書かれないのと同じものだ。
そうでないとしたらそもそも萩野半之丞などというジャイアント馬場より大きな大工など存在せず、「わたし」がグルになった修善寺温泉の人々に担がれる話として『温泉だより』が書かれたと考えてみることも出来る。「いつも蜜柑を食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客」など本当は存在しなかったのであれば、ジャイアント馬場より大きな大工が「ありゃあ今おれの口から出て行ったじゃんね」と云わず「あれは今おらが口から出て行っただ」と云ったことにも合点がいく。
そもそも「いつも蜜柑を食っていなければ手紙一本書けぬと言う蜜柑中毒の客」は去年の夏をどう過ごしたのだろう?
芥川は十五年の四月十五日に自決することを僕に告げた。
