『行人』を読む 15 信用できない語り手
自分は宅にいるのがいよいよ厭になった。元来性急のくせに決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当分気を抜こうと思い定めた。自分は三沢の所へ相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩うから悪いんだ」と云った。彼は「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」と答えた。
自分は上方から帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、嫂については、いまだかつて一言も彼に告げた例がなかった。彼もまた自分の嫂に関しては、いっさい口を閉じて何事をも云わなかった。
自分は始めて彼の咽喉を洩れる嫂の名を聞いた。またその嫂と自分との間に横たわる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして驚きと疑いの眼を三沢の上に注いだ。その中に怒りを含んでいると解釈した彼は、「怒るなよ」と云った。その後あとで「気狂いになった女に、しかも死んだ女に惚れられたと思って、己惚れているおれの方が、まあ安全だろう。その代り心細いには違ない。しかし面倒は起らないから、いくら惚れても、惚れられてもいっこう差支えない」と云った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「どうだ」と自分の肩を捕まえて小突いた。自分には彼の態度が真面目なのか、また冗談なのか、少しも解らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向って何事をも説明したり、弁明したりする気は起らなかった。(夏目漱石『行人』)
この三沢の言葉も案外流されてはいないでしょうか。この台詞は「帰ってから」の二十三章にあります。「塵労」しか論じない、「塵労」とそれ以前の章を分断させてしまう読みからこの言葉は零れ落ちてしまい、「塵労」の意味さえをも変容させてしまっているのではないでしょうか。
どういうわけか三沢は長野家の事情を知っています。
二郎は話していないのに。
しかも批判的です。
まず三沢が二郎と直の関係について「知っている」理由については解りますよね?
え?
朝日新聞を毎朝欠かさず読んでいたから?
まあ、そうすれば二郎と直の関係にも気がついていたでしょうが、そんなことを言いだしたら一郎だって新聞くらい読むでしょうから話が根本から崩れてしまいます。そこはあくまで礼儀として、朝日新聞は読んでいないという前提で考えてもらう必要があります。
さて三沢に「二郎がお直さんなどの傍に長くくっついている」と告げたのは誰でしょう。
お重は三沢の縁談候補なので直接の関与はできません。普通は。
母にしても父にしても「二郎がお直さんなどの傍に長くくっついている」とは言わないでしょう。
こういう言い方をする可能性のあるのはお重だけです。ならば実はお重と三沢は、実はこうした込み入った話の出来る間柄だったのでしょうか?
あるいは一郎の研究していたテレパシーの現れでしょうか?
まさかそんなことはなくて、ここは漱石がきちんと「対」を作って、からくりを説明しています。まあ、明示的ではなく、隠れた「対」ですが、こんな感じで。
「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」
自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁いだあと不縁になって、三沢の宅へ引き取られた時、三沢の出る後を慕って、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻したという話だろう」と云った。
自分は喫驚りした。
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆いる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。皆の前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸の傍にいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻したとすると」
「だから知らんと断ってるじゃないか」
自分は黙って考え込んだ。
「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」
「Hから聞いた」
Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄なんだろうけれども、どうしてこんな際い話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。(夏目漱石『行人』)
これは「兄」の十章です。三沢の話をHさんが聞き、それを一郎に伝達しています。
「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」はどうやらこの逆パターンのようですね。つまりまず一郎がHさんに話し、Hさんが三沢に伝達したと。
気が付いていましたか?
ませんよね。
ここでいくつかの可能性なり、ロジックなりが出てきますね。まず、おそらく真剣な悩みとして打明けたであろう一郎の秘事を、Hさんがやすやすと三沢に話してしまっていること。
なんか口が軽い感じがしますよね。しませんか?
まさか一郎が「三沢にもどう思うか訊いてみてくれ、なんなら三沢を介して二郎を牽制してくれ」などと頼むわけはないと思いますので、Hさんは飽くまで自分の判断で、この話を三沢に告げたはずです。いや判断というよりは、むしろかなりいい加減な感じもしますね。
無責任で、面白半分。
二郎が一郎に「兄さん、面白い話がありますがね」と三沢の話をしたように、実はHさんも三沢に「面白い話があってね」と、なんだか話を詰まらなくさせる前置きをして「二郎がお直さんなどの傍に長くくっついている」と話したのではないでしょうか。
そしてこれは飽くまで可能性ですが、私は二郎が言うように、
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆いる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。皆の前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸の傍にいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻したとすると」
「だから知らんと断ってるじゃないか」(夏目漱石『行人』)
この理屈は結構筋が通っていると思うんですね。
① 遺体の側に一人でいる状況は考えにくい。
② 一人でいる時に接吻したのならその事実を知っているのは三沢のみ。
③ 三沢があえて「接吻」だけ言わないことは不自然。
……こう考えていくと一つの可能性が浮上してきませんでしょうか?
きましたね。
そうです。Hさんが「話を盛った」可能性です。
よく読んでくださいね。「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」も事実の上に何か足されていますよね。例えば和歌山の嵐の夜の話、これだって二郎が無理に直にくっついて行ったわけではなくて、元々は一郎が直の気持ちを確かめてくれと頼んだことがきっかけです。二郎が無理にくっついたわけではなく、一郎がくっつけたわけです。それなのに「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」ではまるで出て行けと言わんばかりです。
一郎は意地でもそうは云いたくないでしょう。それに一郎の見立てでは直の気持ちが二郎に向いているのではないかという疑いがあるという方向なので、「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」はその疑惑を斜めに切り取っていますよね。これはけして一郎が云ったままの伝達ではあり得ません。
さて「塵労」に分裂を見出し、勝手に切り取り、哲学小説に見立てて、明治のインテリの問題を考えていた皆さん、あるいはそんなものに大枚はたいて感心していらっしゃった皆さん、これまでHさんの語り手としての信頼性に関して、こんな細かい「ふり」が仕掛けてあったことにお気づきだったでしょうか。
目を覚ましてください。
Hさんは信用できない語り手(The Unreliable Narrator)です。
信用できない語り手と言えば、
本来これくらいアクロバティックになるものですが、漱石はその気配すら見せません。ただ注意深く読んできた者にだけHさんの疑わしさを「チラ見せ」します。Hさんはその疑わしさを暴かれることもなく、開き直りもしません。こう言っては何ですが大天才谷崎潤一郎にして、こうして比べてみればとんだ幇間に見えてしまいます。引き立て役です。いや、谷崎の方が優しいということですよ。分かりやすく書いています。漱石がどうしてここまで尖った書き方をしたのか、ということ自体が謎なのです。
結果としてこんなことを書くのは私が人類史上初めてなのでしょう?
Hさんの手紙の中でHさんはかなり謙虚ですね。しかし謙虚って、本当に難しいですよ。みんな勝手に偉くなって文豪を呼び捨てにします。Hさんの手紙の末尾の謙虚さは本物でしょうか。
けれども私は断言します。兄さんは真面目です。けっして私をごまかそうとしてはいません。私も忠実です。あなたを欺く気は毛頭ないのです。(夏目漱石『行人』)
これは正直な報告なのでしょうか?
あるいは……。
[余談]
そして各國の物語話者はこれを十分に心得てゐたからこそ、『彼等は幸福なりし』の語を以て、あらゆる變物語の結びとした」とバルザックは云つた。味ふべき言葉ではないか。(『短篇小説新研究』宮島新三郎 著新詩壇社 1924年)
こうして漱石作品を丁寧に読み返して行くとやはり「一読では分らない」という思いを強くする。一方前世紀、ある一流出版社の編集者に言われた言葉「読者は一回しか読みません」を思い出す。音声データを聞き流して「読破」という人は論外としても、そもそも読み返す習慣のない人にとっての漱石作品はなんなのだろうと考えてしまう。
また相当に調べないと読めない谷崎潤一郎、三島由紀夫の作品。
なんか、一体どうなんだろうなと考えてしまう。三島のものはまた注が細かく付いたものもあるし、研究書は山ほどあるので正解に行きつく可能性は高いが、谷崎の場合もう駄目だろう。
『彼等は幸福なりし』と言えるかどうか。夏目漱石だけは私が何とかするが、後はとてもやりきれない。
ピーターの法則【Peter principle】階層的な組織に属する人間は、必ずその人の無能レベルまで昇進するとする法則。『あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められていく』『仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行われている』などの予測が導かれる。 pic.twitter.com/WMVFj4BMt8
— 単語はかせBot (@BotHakase) September 11, 2022
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」草稿 1880年
— 東京藝術大学お嬢様部 (@Soldi79710444) September 11, 2022
第一にこれを清書した人は凄いなと思いますが、草稿の段階で禍々しい力強さを感じます。あたかもドストエフスキーの脳内のスパークが視覚化されているようです。 pic.twitter.com/qKUn84g84Y
(引用元:https://t.co/dG5qaX7UjM) pic.twitter.com/JCjR4Sdmk5
— riron博士@アプリ配信中 (@rironriron) September 11, 2022
これは「XY問題」という言葉で知られている。
— 齊藤敦志 (@SaitoAtsushi) September 11, 2022
誤った提案から誤った労力を強いられることが専門家にとっては頻繁にあってひどく苛立たしいので最初に本質を探るのは習性付いている。 https://t.co/7pgMv1iWxO
