芥川龍之介 不可出於新聞長歌幷短歌 たるちしら
不可出於新聞長歌幷短歌
空ゆくや、
照る日も見えず、
湯けむりの、
立ち立つむろに、
さにづらふ、
赤裸なる、
二はしら、
神のみことの、
老いたるは、
請負師かも、
若かるは、
官吏なるらし、
二人とも、
流しにゐまし、
たるちしら、
うら楽しけく、
天ざかる、
鄙の芸者に、
惚れられし、
話をすると、
えらえらに、
笑ひどよもし、
ざぶざぶに、
湯をあみませば、
鴨じもの、
わが沈みゐる、
石ぶねの、
湯ぶねの空ゆ、
時じくに、
雨ぞふりくる、
ぬえ鳥の、
なげかひ居れど、
神ゑらぎ、
やむときしらに、
今しかも、
醜のつかひ湯、
わが顔に、
さとぞたばしる、
ますらをと、
おもへる我の、
丸ビルは、
海に入るとも、
口つぐみ、
あるにたへめや、
湯の中に、
い立ち上らひ、
「おい、こら」と、
雄たけびすれば、
老いたるは平にあやまり、
若かるは、
あつけにとられ、
湯けむりの、
千重に五百重に、
なびかへる、
着ものぬぎ場へ、
こそこそと、
逃げてぞゆける、
千早ふる、
神わざならず、
現し世の、
人わざにして、
二はしら、
神のみことを、
やらひたる、
我はも美しと、
己が姿、
かへり見すれば、
翠鳥の、
青き湯のへに、
かなしもよ、
天津麻宇羅は、
ながながと垂れゐたるかも、
二はしら神の命をやらひたる天津麻宇羅見らく愛しも
[大正十四年四月二十一日 佐佐木茂索宛]
醜のつかひ湯 しこのつかひゆ
我はも美しと われはもはしと
己が姿 しがすがた
翠鳥の そにどりの
見らく愛しも みらくかなしも
※天津麻宇羅は註に男根とある。では丸ビルサイズか。
空ゆくや、照る日も見えず、湯けむりの、立ち立つむろに、さにづらふ、赤裸なる、二はしら、神のみことの、老いたるは、請負師かも、若かるは、官吏なるらし、二人とも、流しにゐまし、たるちしら、うら楽しけく、天ざかる、鄙の芸者に、惚れられし、話をすると、えらえらに、笑ひどよもし、ざぶざぶに、湯をあみませば、鴨じもの、わが沈みゐる、石ぶねの、湯ぶねの空ゆ、時じくに、雨ぞふりくる、ぬえ鳥の、なげかひ居れど、神ゑらぎ、やむときしらに、今しかも、醜のつかひ湯、わが顔に、さとぞたばしる、ますらをと、おもへる我の、丸ビルは、海に入るとも、口つぐみ、あるにたへめや、湯の中に、い立ち上らひ、「おい、こら」と、雄たけびすれば、老いたるは平にあやまり、若かるは、あつけにとられ、湯けむりの、千重に五百重に、なびかへる、着ものぬぎ場へ、こそこそと、逃げてぞゆける、千早ふる、神わざならず、現し世の、人わざにして、二はしら、神のみことを、やらひたる、我はも美しと、己が姿、かへり見すれば、翠鳥の、青き湯のへに、かなしもよ、天津麻宇羅は、ながながと垂れゐたるかも、
二はしら神の命をやらひたる天津麻宇羅見らく愛しも
こんなものをみると芥川が自分は詩人だと言い張ったことが理解できて切るような感じがする。まさに呼吸をするように歌が出て来る。中身は兎も角形式として、歌になっていて、無理はない。
それにしても丸ビルは言い過ぎだろう。
