芥川龍之介の『冬』をどう読むか⑤ 「冬と手紙と」として読むことは可能か?④ 何かがおかしい
僕は何歳?
何度読み直しても『冬』と『手紙』はおかしな小説だ。夏目漱石は基本的に「何かを隠しながら書く」ということをやってきたが、芥川は決してそうとばかりは言えない。「何かを隠しながら書く」とは、「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」というところにとどめて次の「見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました」を書かないというやり方のことだ。
おそらく『冬』と『手紙』には「書かれていないこと」というものがある。『冬』の従兄の弟の話には明確に分らない部分があるということについては既に述べた。何かが言い残されていて、何か言いたげながら、それが何なのかが解らない。
一方『手紙』の「書かれていないこと」はかなり解り難い。解り難いが、どうしようもない違和感として突きつけられる。
僕の散歩に出かけるのはいつも大抵は夕飯前です。こう云う時にはM子さん親子をはじめ、K君やS君も一しょに出るのです。そのまた散歩する場所もこの村の前後二三町の松林よりほかにはありません。これは毛虫の落ちるのを見た時よりもあるいは前の出来事でしょう。僕等はやはりはしゃぎながら、松林の中を歩いていました。僕等は?――もっともM子さんのお母さんだけは例外です。この奥さんは年よりは少くとも十ぐらいはふけて見えるのでしょう。
この「僕等はやはりはしゃぎながら、松林の中を歩いていました」の僕らとは大学生二人と「僕」である。この「僕」とは一体何歳なのだろうか?
これが「冬と手紙と」という一つの作品の中の「僕」であるとしたら、大学生ではあるまい。それが芥川龍之介自身の等身大の投影でなくても全然構わない。それでも『冬』の「僕」はそれなりにいい年齢のように思える。それなのにそこに連なる筈の『手紙』の「僕」は、何だか別人のように若々しい。「はしゃぎながら」とはどういうことなのだろう。彼はまるで大学生のようではあるまいか。
すくなくとも「A先生」ではない。
「ちょっと通りがかりに失礼ですが、……」
それは金鈕の制服を着た二十二三の青年だった。僕は黙ってこの青年を見つめ、彼の鼻の左の側に黒子のあることを発見した。彼は帽を脱いだまま、怯ず怯ずこう僕に話しかけた。
「Aさんではいらっしゃいませんか?」
「そうです」
「どうもそんな気がしたものですから、……」
「何か御用ですか?」
「いえ、唯お目にかかりたかっただけです。僕も先生の愛読者の……」
僕はもうその時にはちょっと帽をとったぎり、彼を後ろに歩き出していた。先生、A先生、――それは僕にはこの頃で最も不快な言葉だった。
どうも違う。
いや、むしろ『冬』の「僕」はA先生でも構わない。『手紙』の「僕」は、
Mの何か言いかけた時、僕等は急に笑い声やけたたましい足音に驚かされた。それは海水着に海水帽をかぶった同年輩の二人の少女だった。彼等はほとんど傍若無人に僕等の側を通り抜けながら、まっすぐに渚へ走って行った。僕等はその後姿を、――一人は真紅の海水着を着、もう一人はちょうど虎のように黒と黄とだんだらの海水着を着た、軽快な後姿を見送ると、いつか言い合せたように微笑していた。
「彼女たちもまだ帰らなかったんだな。」
この『海のほとり』や『蜃気楼』の「僕」のように、妙な若々しさを隠してはいないだろうか?
僕はK君と二人だけになった時に幾分か寛ぎを感じました。もっともK君を劬りたい気もちの反ってK君にこたえることを惧れているのに違いありません。が、とにかくK君と一しょに比較的気楽に暮らしています。現にゆうべも風呂にはいりながら、一時間もセザアル・フランクを論じていました。
ここも少しおかしい。「一時間もセザアル・フランクを論じていました。」とはまるで音大生だ。無論いい大人が話し込むことはある。
しかし「セザアル・フランク」で一時間話が持つだろうか。むしろあっちこっちに話が流れるのが自然ではなかろうか。
大体普通の人の話は脱線するものである。あちらからこちらに話が飛ぶものだ。もし音大生でもないのに「一時間もセザアル・フランクを論じていました。」という人がいたら多分その人は頭がおかしい。結局同じ話を繰り返していただけではなかろうか。手風琴ばかり弾いているから頭がおかしいと思われる。何かに執着することは異常なのだ。
だから私は一体何を読まされているのかといつまでも腑に落ちないでいる。むしろ帝国ホテルの壁を蹴る人の方が真面と云えば真面なのだ。「冬と手紙と」という一つの作品が書かれたとするなら、書いている人は真面だが書かれていることはけして真面ではない。
[余談]
芥川龍之介先生が自タヒなさったその日の夕方に、山田美妙先生の息子さん、旭彦さんが芥川先生のお宅を訪ねたというのはあまり有名ではないお話
— 青沼キヨスケ(歴史に埋もれた文士救済マン) (@osanpo_sukisuki) August 6, 2023
へー。
