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ニホンザルのしっぽは短い 芥川龍之介の『誘惑』をどう読むか①


 天主教徒の古暦の一枚、その上に見えるのはこう云う文字である。――
 御出生来千六百三十四年。せばすちあん記し奉る。
    二月。小
 二十六日。さんたまりやの御つげの日。
 二十七日。どみいご。
    三月。大
 五日。どみいご、ふらんしすこ。
 十二日。……………

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 

 そういえば書くのを忘れていた、というわけではない。読んだことさえ忘れていた。読んでないんじゃないかと思うくらいさっぱり。そして今読んでみてさっぱりわからないことに気が付いた。「三月。大」? うどんか?

 いや、うどんではなく、小の月、大の月の意味だろう。しかし蕎麦の「大」とかうな重の「大」とは言わないが、うどんだけ「大」というのは何故だろう。だけではないな。トイレもそうだ。

 それにしてもこの「古暦」とは一枚で二月表示、しかも書き込み式なのか?

 まあ「二十六日。さんたまりやの御つげの日」これはなんとなくわかる。しかし「二十七日。どみいご」これは日録ではないのか。


十千万堂日録 尾崎紅葉 著左久良書房 1908年

 そして「二十七日。どみいご」では秘密日記のようなものだ。これでは「どみいごと入浴」なのか「どみいごとセックス」なのか解らない。書いている本人には「二十七日。どみいご」で何があったのか解るのかもしれないが、これだけでは何も伝わらない。


 日本の南部の或山みち。大きい樟の木の枝を張った向うに洞穴の口が一つ見える。暫くたってから木樵が二人。この山みちを下って来る。木樵りの一人は洞穴を指さし、もう一人に何か話しかける。それから二人とも十字を切り、はるかに洞穴を礼拝する。

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 これまで書いてきたことと矛盾するようでもあるけれど、例えば音楽がそうであるように無理やり意味に落とし込まない方が良い場合というのもあるのかもしれない。つまり「二十七日。どみいご」は意味にはならないが、文字としては画にはなる。そういうものとして眺めなければ、「それから二人とも十字を切り、はるかに洞穴を礼拝する」に対していきなり、「あ、この二人の木樵は切支丹で、その洞穴の奥にはマリア観音か何かが隠してあるんじゃないか」と余計なことを考えてしまう。

 この木樵が二人とも全裸かどうか解りもしないのに。

蜘蛛の糸 芥川竜之介 著春陽堂 1932年

 木樵は斧を担いでいたろう。そこは書かれない。木樵と書かれているだけで性別も解らないのに、ただ木樵というだけで二人が男だと決めつけていた人には何の問題もない



 この大きい樟の木の梢。尻っ尾の長い猿が一匹、或枝の上に坐ったまま、じっと遠い海を見守っている。海の上には帆前船が一艘。帆前船はこちらへ進んで来るらしい

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 ニホンザルのしっぽは短い。日本猫のしっぽが短いように。

 芥川は時々こういうことをしてくる。「日本の南部の或山みち」「大きい樟の木の枝を張った向う」とつなぎとなるものを捉えながら「この大きい樟の木の梢。尻っ尾の長い猿が」と無理を押し付けてくる。これは歯科衛生士さんが何かを押し付けてくるのと同じだ。

 と思えばもう「帆前船」にバトンを渡す。「帆前船」は洋式大型帆船だ。



 海を走っている帆前船が一艘。

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 それはもう聞きましたと言わせようとして、なおそろそろ『誘惑――或シナリオ――』の意味を考えさせようとしている。カメラのスイッチだけで、意味が見えないことに不満げな読者は、ただ与えられた言葉を画として眺めるのに少し飽きてきている筈だ。


 この帆前船の内部。紅毛人の水夫が二人、檣の下に賽を転がしている。そのうちに勝負の争いを生じ、一人の水夫は飛び立つが早いか、もう一人の水夫の横腹へずぶりとナイフを突き立ててしまう。大勢の水夫は二人のまわりへ四方八方から集まって来る。

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 そしていきなり事件は起こる。
 何もいきなり刺さなくてもいいものを。
 脅すだけでは駄目だったのか。
 ナイフはいつも持ち歩いているのか。


 仰向けになった水夫の死に顔。突然その鼻の穴から尻っ尾の長い猿が一匹、顋の上に這い出して来る。が、あたりを見まわしたと思うと忽ち又鼻の穴の中へはいってしまう。

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 そういうことはよくある。誰の鼻の穴にも何か思いがけないものが潜んでいる。何年か前、とは言っても何十年も前の事ではなくて精々令和の時代の話、鼻をかんでいたら何かとても手ごわい奴に出くわして、長い時間かけてそれを引き出したことがある。それは鼻水の親分とでもいうべき恐るべき粘度の塊だった。大匙二杯分くらいの鼻水が詰まっていたのだ。そういうわけで、水夫の鼻の穴に猿が隠れていても何の不思議もない。

 昔鼻の穴で小鳥を飼っている夢を見たという女の子がいた。

 しかしだ。
 クシャミはするだろう。

 其処へ幸ひ戸口に下げた金線サイダアのポスタアの蔭から、小僧が一人首を出した。これは表情の朦朧とした、面皰だらけの小僧である。
「檀那、マツチは此処にありますぜ。」
 保吉は内心凱歌を挙げながら、大型のマツチを一箱買つた。代は勿論一銭である。しかし彼はこの時ほど、マツチの美しさを感じたことはない。殊に三角の波の上に帆前船を浮べた商標は額縁へ入れても好いい位である。彼はズボンのポケツトの底へちやんとそのマツチを落した後、得々とこの店を後ろにした。……

(芥川龍之介『あばばばば』)

 死んでるからしないか。ここは水夫の突然の死、ナイフで刺されるという残酷さを猿でファンタジーに転嫁させているところだ。まあ村上春樹さんの『夜のくもざる』のようなものだ。



 上から斜めに見おろした海面。急にどこか空中から水夫の死骸が一つ落ちて来る。死骸は水けぶりの立った中に忽ち姿を失ってしまう。あとには唯浪の上に猿が一匹もがいているばかり。

(芥川龍之介『誘惑――或シナリオ――』)

 死体遺棄と猿いじめ。帆前船の水夫は碌な奴らじゃない。それにしたってさ、空撮ってすごいね、と思ったところで今日はここまで。


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