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芥川龍之介の『沼地』をどう読むか①兼『孤独地獄』をどう読むか①

 平野啓一郎の『葬送』の一節に「恋人以外には誰も評価してくれるものがない自称芸術家」のような比喩がぽんと、何故かとても意地の悪い感じで放り出されているのを読んで「おや」っと思ったことがある。
 平野啓一郎は当時末期状況にあった日本文学界に彗星のごとく現れた天才、三島由紀夫の再来である。投稿原稿は全て新人賞への応募作と見做すという『新潮』に特別待遇で『日蝕』が掲載されて以来、茶髪にピアスの京大生など凡そどうでもいいギミックなのだと言わんばかりに、誰かが流行らせようとしていた「J文学」とは距離を取りたいとは言いながら、常に本物の教養と云うものを意識しながら、特別待遇であり続けた。『葬送』も国費留学という特別待遇によって書かれた作品であった筈である。
 その中にまるで何かを警告するかのように、才能は無いし、世間から認められることもない「芸術家」を咎めるような表現がわざわざ持ち出されたことが意外といえば意外だった。

 昨日『トロッコ』について書きながら、私は良平が校正で生業なしていることに同情的な気持ちでいた。こういう書き方もどうかと思うが、芥川もそうだったのではなかろうか。『歯車』ではA先生に話しかける文学青年を忌諱する素振りを見せるが、『トロッコ』では良平に寄り添っている。けして突き放してはいない。今にも「自分も同じだ」と書きそうなくらい、話者と良平は調和している。

 この『沼地』という短い小説も、一人の不遇の芸術家に話者が寄り添っているように見える作品である。これが太宰なら自己戯画化になろうが、『沼地』では天才にして人気作家の芥川龍之介が、「傑作です。」と一枚の絵をただ真面目に褒める。恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷ましい芸術家の描いた憂鬱な油画を褒める。

「もっとも画が思うように描けないと云うので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです。」
 記者は晴々した顔をして、ほとんど嬉しそうに微笑した。これが無名の芸術家が――我々の一人が、その生命を犠牲にして僅に世間から購い得た唯一の報酬だったのである。私は全身に異様な戦慄を感じて、三度この憂鬱な油画を覗いて見た。そこにはうす暗い空と水との間に、濡れた黄土の色をした蘆が、白楊が、無花果が、自然それ自身を見るような凄じい勢いで生きている。………
「傑作です。」
 私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然としてこう繰返した。

(芥川龍之介『沼地』)

 この『沼地』という作品は年譜によれば大正八年五月『私の出逢った事』として『新潮』に掲載されたものが後に『蜜柑』と『沼地』に分離されて解題されたもので、『沼地』そのものの脱稿は大正六年九月三日だというように読める。

 大正六年と言えば『羅生門』出版記念会が六月二十七日に開かれ、七月には谷崎潤一郎との交流が始まる。まさに天才芥川が彗星のごとく現れ、今動き出したばかりの時期であり、この時期に「恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷ましい芸術家」に自己投影などあり得ないと考えられる。

 しかしさらに言えば、『葬送』における平野啓一郎と云い『沼地』における芥川龍之介といい、そもそも「恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷ましい芸術家」などに目を向けている暇などなかった筈なのだ。そういう一定数の層があることはどこかで認識しながらも、どういう感情でそこにフォーカスしているのかがちょっと掴めない。『トロッコ』は大正十一年二月十六日脱稿、体調を崩した後のことで、『澄江堂雑記』の前、どうやら『お富の貞操』の構想を練る寸前あたりに書かれたと思われる。この時期の芥川ならば「恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷ましい芸術家」の気持ちが少しは理解できたかもしれない。

 大正六年九月三日ではあまりにも早すぎるのだ。

 そう気が付いてみると「或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている」良平を見る眼差しと、「恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷ましい芸術家」を見る話者の眼差しには、どうしても観察者の立ち位置の違いが現れるべきなのであろうが、それはこじつけでも何でもなく「小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色」を眺める「私」のように静かで、外連味がない。何ならその人は「云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を」最初から味わい尽くして来たかのようでさえある。

 不景気でリストラされたワーキングプアが下人だとしたら、芥川龍之介の『羅生門』は既に不可解な、下等な、退屈な人生を的確に捉えてきたと言えるかもしれない。

 一日の大部分を書斎で暮してゐる自分は、生活の上から云つて、自分の大叔父やこの禅僧とは、全然没交渉な世界に住んでゐる人間である。又興味の上から云つても、自分は徳川時代の戯作や浮世絵に、特殊な興味を持つてゐる者ではない。しかも自分の中にある或心もちは、動もすれば孤独地獄と云ふ語を介して、自分の同情を彼等の生活に注がうとする。が、自分はそれを否まうとは思はない。何故と云へば、或意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人だからである。

(芥川龍之介『孤独地獄』)

 芥川が『孤独地獄』を書き、苦しいものとしての文學を隠しもしなかったのは大正五年のことである。『沼地』に描かれた恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷ましい芸術家はまだ芥川龍之介自身ではなかった筈なのだが。

 一切の事が少しも永続した興味を与へない。だから何時でも一つの境界から一つの境界を追つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて境界を変へずにゐれば猶なほ、苦しい思をする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だつた。

(芥川龍之介『孤独地獄』)

 まだ芥川は正気ながら、この地獄の怖ろしさだけは明確に知っていた。それがやがて自分を死に追いやるとはまだ意識していないとして、そういう沼地に嵌った一人を芥川は確かに発見したのだ。

 これが無名の芸術家が――我々の一人が、その生命を犠牲にして僅に世間から購い得た唯一の報酬だったのである。私は全身に異様な戦慄を感じて、三度この憂鬱な油画を覗いて見た。

(芥川龍之介『沼地』)

 ここで「我々の一人」と書く芥川に驕りはなかろう。その生命を犠牲にして僅に世間から購い得た唯一の報酬が「新着記事にスキ一つ」とか「マガジンフォロー」であればやはり芥川は全身に異様な戦慄を感じてくれるものだろうか。

 今月はまだアマゾンの売り上げが、アンリミテッドで読まれた分だけだ。



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