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包み込むように 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む35

 平野啓一郎は「『豊饒の海』論」を「1 シンメトリー」から始めた。しかし驚くべきことに その章では『豊饒の海』の構造をまず『春の雪』『奔馬』の手弱女ぶりと大丈夫ぶりをシンメトリーとする確認を行わない。それが行われるのは何と「5「生まれ変わり」の由来」においてである。最初に大づかみに物語構造を捉え、話の流れをつかみ、細部を見ていくという基本的な読みの部分で混乱している。

 従って『春の雪』の中にどのようなシンメトリーがあるのかも見ない。

 そのことで松枝清顕と安永透が対比されるべきところを見逃しているという点に関しては既に述べた。

 今回は『春の雪』の内部に張り巡らされたいくつかのシンメトリーについて確認してみたい。

 松枝侯爵には宮家へ接近するという役割のほかに、大正初期の上流階級の中に物語を置くという重要な勤めがあったようだ。『春の雪』十八章で登場する新河男爵夫妻は物語に厚みを与える三島作品らしい登場人物の一人である。三島は先ず「放心と狂躁とのみごとな取り合わせであつた」と総括して見せて、放心と狂躁に総括できない夫婦のあれこれを見せてくる。
 単に放心と言えば、普通はぼーっとしていることだ。しかし新河男爵は「時折寸鉄詩風に、他人に辛辣な批評をすることがあった」と油断がならない。それでいて「決してそれを長々と敷衍したりすることはなかつた」と潔い。

 しかるに夫人は千万語を費やしても、自分が今それについて語つてゐる他人の、何一つ鮮やかな肖像画を描き出すことが出来なかった。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 平野啓一郎の『三島由紀夫論』はこの新河男爵夫妻の対となる二つの性格を併せ持っている。呆れるほど前置きが長いわりに着地地点が曖昧で、最終的に何故三島由紀夫という作家が市ヶ谷のバルコニーで嘘をついて生首にならなければならなかったのか、という問題を最終的に説明できていない。しかし時折天才らしい鋭い指摘も見せ、細部では複雑な行為の意味を適切な表現で捉えている。
 新河男爵夫妻のナラティブはシンボリックに批評の困難さというものを指摘している。そして冗談でもなんでもなく、三島由紀夫はこんな新河男爵夫妻を「『豊饒の海』論」を書こうとする者のためにも用意しておいたのだ。新河男爵夫妻は『金閣寺』における最中と菓子パンである。それは無理にも解釈を試みようとする者に与えられた二重のトラップなのである。

 新河男爵夫妻は作中二台目のロールスロイスの買い手として設定されている。ロールスロイスは1922年、大正十一年に天皇の御料車となったとされている。この年には既に皇太子が摂政となっているため、どちらがどのように利用していたのかは定かではない。
 最初のロールスロイスの買い手は定かではない。実際に当時ロールスロイスを購入した男爵がいたかどうかも解らなかった。ただこの夫婦がかなりのお金持ちである上にハイカラな二人であることが解る。

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 宮様を招く松枝侯爵の観桜会に招かれた夫婦は剣呑なことを言ってみる。

「松枝さんのところでは、また宮家をお招きして、楽隊でお迎へしようとでも考へてゐるのだらう。宮家のお成りを、芝居の出し物のやうに考へてゐる家だから」
 と男爵が言った。
「私たちは新しい思想をいつも隠してゐなければなりませんのね」と夫人は応じた。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 夫人の話にはまだ続きがあるが目くらましである。男爵の宮家に対する考え方は明らかで、いまさら宮家を担いで威勢を示す馬鹿馬鹿しさを笑っている。無論そのお飾りとなる宮家の滑稽も笑っているのだ。
 夫婦の一致するところは皇室の軽視であろう。夫人は既に松枝侯爵を「旧弊な人たち」と見做している。
 ここにも対が出来ている。
 新河男爵夫妻は宮家到着前に来るようにという伝言を無視して敢えて五、六分遅れて到着する。しかし宮家到着時刻はあらかじめかなり早めにつげられていたものらしく男爵は腹を立てる。

 要するに宮家なんぞ迎えてやるものかと見下している。

 この感覚は何なのだろうかと平野啓一郎は考えたであろうか? 平野啓一郎自身が「15 二つの天皇観」で辛うじて捉えたように三島由紀夫の天皇観はきれいな一つの像を結ばない。ところが平野は「2 『日本文学小史』の構造」「3 「天皇抜きで」という可能性」において『文化防衛論』などの天皇観を拾いながら、こうして『春の雪』に現れている皇室軽視の新しい考え方をする貴族というものがあることを確認しない。

 大正元年には「あの日露戦役はなんだったんだろうね」と帝国主義への疑問があり、大正二年四月には既に皇室の意義に関する不信感があったことを三島由紀夫は示唆しているのだ。宮家の軽視というものは大正天皇そのものに対する不信任ではないが、松枝清顕と本多繁邦が既に剣道部員のような天皇崇拝者ではないことも明らかで、『春の雪』には『文化防衛論』などとは全く異なる、或いは真逆と言っても良いかもしれないベクトルがあるのだ。

 しかし平野にはどうしてもこの新河男爵の苛立ちが見えないらしい。

 ただ平野啓一郎に見えていない『春の雪』の、いや『豊饒の海』の、いや三島由紀夫作品のほぼすべてに見られるものと三島由紀夫のシンメトリーがある。

 例えば聡子は清顕の手紙を読んでいた。そして読んでいないかのように振舞った。清顕は清顕で女遊びをしたと嘘を言って駆け引きをしていた。戦後派としての三島由紀夫作品のほぼすべてで繰り返されてきたことは、本心をどストレートにぶつけ合うことのない言葉と態度の駆け引きである。

『聡子が一方では僕を子供だと云つて非難しながら、一方では僕を永久に子供のままに閉ぢ込めておきたかつたことは、もう疑ひの余地がない。何といふ奸智だらう。時折は人にたよるやうな女らしい風情を見せながら、心の中では軽侮を忘れず、奉るやうな素振りをしておきながら、実はあやしてくれてゐたのだ』

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 こんな腹の探り合いが何度繰り返されてきたことだろうか。三島由紀夫はこうして「後で解る」という仕組みを繰り返し書いてきた。こういう小説を書いた作家が天皇陛下万歳と云って腹を切って死んだら天皇崇拝者だろうという人がいたらその人はたった一冊も三島由紀夫作品を読んでいなかったに違いない。猿の考えていることさえ、本当のことはお釈迦様にも見抜けないものなのだ。

 侯爵にとって清顕は謎だった。そのことは本多にとって透が謎であったことと対をなすが、そもそも謎でない人などいるのかね?

 前にも書いたことだが、「花の蜜を吸うおじさん」と「そこが一丁目なのか二丁目なのか目的もなくこだわるおじさん」、「物干しざおを持ったまま駅に向かうおばさん」、「バッグに斜めに折れてささくれた材木をいれているおばさん」なんてものがあちこちにいる。人間というものはそんなに分かりやすいものではない。第一憂国忌で檄文を叫んで腹を切らん奴ってなんなのかね? と思うが人間というのはそのくらい訳が分からないものなのだ。

 平野啓一郎の見落としはまだある。平野は二巻以降本多が観察者になることを正確に捉えている。しかしその観察者の役割が第一巻では飯沼であり、第二巻においては飯沼の息子が観察される側に変わるという対が見えていない。
 その観察者飯沼も二十三章では追い出されている。五十五章もあるのに。

 平野啓一郎の見落としはまだある。平野は『鏡子の家』の「樹海体験」については酷く深刻に受け止めながら、清顕の「玉虫体験」には言及しない。

 清顕はそのとき、ほとんど、周囲の木々の茂りも、青空も、雲も、棟々の甍も、すべてのものがこの甲虫をめぐつて仕へ、玉虫が今、世界の中心、世界の核をなしてゐるやうな感じを抱いた。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 ここが特別な場面であることは、読点の打ち方が証明している。何気ない錯覚のようでありながら、それは確かに一つのものの見え方であり、世界の仕組みは時にそのような恣意的な焦点を持つことがありうるのだ。
 三島由紀夫作品の膨大な言葉の中から何か一つ取り出してみる気まぐれは、この「玉虫体験」とシンメトリーを成している。
 それは殆どスリムなジャージを履いて多少はもっこりした股間を睨みつけて笑うようなふるまいなのだ。

 十九歳の清顕は十四年前の手習いを取り出して眺めてみる。それは五歳の時に書かれたものだった。

明治二十八年      一歳
明治二十九年      二歳   
明治三十年       三歳   
明治三十一年      四歳
明治三十二年      五歳   聡子と百人一首の手習い
明治三十三年      六歳           パリオリンピック
明治三十四年      七歳
明治三十五年      八歳
明治三十六年      九歳
明治三十七年      十歳    御幸   得利寺附近の戦死者の弔祭
明治三十八年      十一歳   日露戦争終結
明治三十九年      十二歳
明治四十年       十三歳   お裾持ち
明治四十一年      十四歳
明治四十二年      十五歳
明治四十三年      十六歳
明治四十四年      十七歳
明治四十五年/大正元年 十八歳   学校で日露戦役の話が出た時

 物語はこうして不意に過去に引き戻される。

 このことの意味も平野は解決していない。清顕の「恋」は二十五章から始まる。『春の雪』を悲恋の物語と捉えてしまえば、明治の出来事は何の意味も持たなくなってしまう。明治大帝崩御の自粛明けに勅許が出たのだというところも見えていないのではないか。

 清顕の「恋」は殆ど狂暴な行動だった。その行動は聡子のものでもあった。あるいはそれはもう「恋」というよりは村上春樹の『国境の南、太陽の西』と同質なセックスそのものと呼んでもいいものだった。

 やうやく、白い曙の一線のやうに見えそめた聡子の腿に、清顕の体が近づいたときに、聡子の手が、やさしく下りてきてそれを支へた。この恵みが仇となつて、彼は曙の一線にさへ、触れるか触れぬかに終わつてしまつた。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 清顕の純潔にとっては聡子の支えは殆ど手コキと呼んでしかるべき行動ではなかったか。ここが読めているか読めていないかで国語能力があるかないかが試される。

 よくよく考えても見よう。現代のようにインターネットで何でも覗けてしまう時代とは違い、聡子は精々綾倉伯爵のおちんちんくらいしか見ていない筈である。それももう十年前の記憶であろう。綾倉伯爵は十八章の観桜会において新河男爵により、このように観察されていた。

 桜の花びらが落ちまじる芝生の上で、その汚れた一片の花びらを夕空を映すエナメルの靴尖につけた綾倉伯爵の靴のサイズが、女のように小さいのに男爵は目をとめた。さういへばグラスを持つ伯爵の手も、雛の子のやうに白く小さかつた。
 男爵はかういふ衰亡した血に嫉妬を感じた。 

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 血の話は別に述べよう。ここではとりあえず綾倉伯爵の靴のサイズ、そして手が小さかったという点に注目しよう。おそらく聡子の手もさほど大きくはなかろう。そして三章のこのふりを思い出してみよう。

 対岸に背を向けて本多が漕ぎ出すにつれ、紅い水面の反射を受けて上気してゐるかに見える清顕の目が、神経質に本多の目をよけて、一途に岸へ向けられてゐるのは、成長期の男同士の虚栄心から、自分の幼児をあまりにもよく知り、あまりにも感情的に支配してゐた女性への、彼の心のもつとも弱々しい部分の反応を、友に知られたくないためではなからうかと思はれた。清顕はそのころ、自分の肉体の小さな白い擬宝珠の蕾まで、聡子に見られてしまつてゐたかもしれないのだ。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)


 聡子は昔見た清顕の小さな白い擬宝珠の蕾のイメージを膨らませるのに父綾倉伯爵の小さなおちんちんを参考にしたのに違いない。十九歳の清様の擬宝珠はこんなのに違いないとイメージしたものを実際の清顕のサイズは超えてこなかった。それはこけ嚇かしの威勢のない白い慎ましいものだった。そっと手を添えて導いてやらねば、どこにも届かない可憐な突起だった。聡子は思わずその小さな手で、その指先でそれを軽く握ったに過ぎない。正式にはそれは片手に包み込まれるほどの擬宝珠でニコライ堂の比喩とはならなかった。

 清顕のペニスはそう大きくない。そうでなければこのような書き方はされないのだ。ここが読めていないと三島由紀夫のセクシュアリティを論じることは出来まい。三島のセクシュアリティの一つには小さなペニスを見られたいというものがあったと断言できる。そこが世界の中心、世界の核となり、すべてのものがそこに仕へるような瞬間がほしいのだ。だからこそ三島は丹念なふりの後聡子の手を動かした。この時書かれていない清様のペニスを見てあげることこそが三島作品を読むという体験である。

 清顕の若さは一つの死からたちまちよみがへり、今度は聡子のなだらかな受容の橇に乗つた。 

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 こんな優雅な性行為の表現はジェフ・ニコルスの暴露本『真実の愛』以来久々に見た。三島由紀夫の屁理屈は細部にも現れる。そしてこの「恋」の話を聞かされた本多は三島由紀夫に操られるままに妙なことを言い出す。

 しかし今、貴様の話を聞いてゐるうちに、その美しい恋の物語と二重写しに、何だか、あの黄塵に包まれた平野の眺めが浮かんで来たんだ。何故だか俺にもよくわからない。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 ここで言われている「黄塵に包まれた平野の眺め」とは前置きが多くて着地地点のあいまいな平野啓一郎の『三島由紀夫論』のことではない。「得利寺附近の戦死者の弔祭」の写真の景色のことである。あの振り返った兵士の顔、いやその構図に込められた意図が、二人には通じていたということか。

 つまり本多は、清顕のセックスが単なるセックスではなく、天皇に対する不信任であると見抜いている?

 本多もここで「恋」というレトリックを使っているが、それが「恋」ではないことなど見え見えなのだ。

「どうするもこうするもないさ。僕はなかなかはじめないが、一旦はじめたら、途中でやめるやうな男ぢやない」

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 清顕は今後の活動方針についてこう語ってしまう。「恋」ははじめたりやめたりするものではない。「恋」とは突然囚われ、失われるものだ。はじめたりやめたりするものは行動だ。つまりセックスだ。

 平野は『春の雪』を悲恋の話としてしまい、聡子の性欲を見逃し、清顕の行動を見逃し、本多の屁理屈を見逃している。どうも『春の雪』は恋の話ではない。それだけをどうしてもあなたに承知して貰いたいのです。

[余談]

 三島由紀夫はどうしても理屈が立たないところでは、繰り返しによる印象操作という手を使ってくる。

 平野啓一郎は作中何度も出てくる三聯隊という言葉の意味をどう解釈しているのであろうか。

ウイキペディア「歩兵第三聯隊」

 こんなものは完全に繰り返しによる印象操作である。しかし三島由紀夫はどうしても清顕の行動と戦争を結び付けたいのだ。たから『春の雪』は悲恋の話ではない。


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