肌寒や梶の七葉に芋の蔓 夏目漱石の俳句をどう読むか26
杉木立中に古りたり秋の寺
只の一度の仕合に傷きて、其創口はまだ癒えざれば、赤き血架は空しく壁に古りたり。
よほどのいわれのない限り、この句は「杉木立の中に古びた寺があったよ」という意味になろう。春になれば寺が新しくなるわけもないので「秋の寺」というのはたまたまの話である。春同じ場所を尋ねれば、春の寺があるはずだ。
杉木立中に古りたり春の寺
しかし杉木立の中の春の寺では朧な感じが出ない。秋の寺だから杉木立が合う、ということであろうか。杉木立と言うと薄暗いイメージがある。
杉木立淋しき秋の鳥居哉 子規

意匠としてはこの句とそう遠くはないだろう。
尼二人梶の七葉に何を書く
解説に「季=梶の葉(秋)。*七夕の夜、七枚の梶の葉に歌を書いて星にたむける風俗があった」とある。
たな-ばた [0] 【七夕・棚機】
(1)五節句の一。七月七日に行う牽牛星と織女星を祭る行事。庭に竹を立て,五色の短冊に歌や字を書いて枝葉に飾り,裁縫や字の上達などを祈る。奈良時代に中国から乞巧奠(キツコウデン)の習俗が伝来し,古来の「たなばたつめ」の伝説と結びついて宮中で行われたのに始まる。近世には民間にも普及。また,盆の習俗との関連も深い。七夕祭り。星祭。しちせき。[季]秋。
(2)機(ハタ)を織ること。また,その人。たなばたつめ。「天(アメ)なるや弟(オト)―の項(ウナ)がせる玉の御統(ミスマル)/古事記(上)」
(3)織女(シヨクジヨ)星。たなばたつめ。「―の渡る橋にはあらで/枕草子 99」
どういうことだ?
こういうことか?
かきつくる梶の七葉に思ふこと猶あまりある秋のゆふくれ


梶の葉売る声に天下の露けき秋也 ?
つまり九月二十三日に書き送りながら、俳句においては七夕は秋の季語だよねと念押ししているということか。
まあ何というかあざとい感じのする句だ。というのもこれもそういう場面を見たわけではなく、歳時記で「梶葉売」か何かを見つけて仮想して詠んだものであろう。「梶葉売」も「七枚の梶の葉に歌を書いて星にたむける」儀式も平安時代にはあったようだが、風俗と呼べるようなものではなく、あくまでも雅な遊びであり、風流な季語として残っていたと考えるべきであろう。近代ではほとんどその実例が確認できず、俳句以外では『平家物語』に絡めた話として出てくる程度である。
しかしまあ、これは確かに漱石が明治二十八年には歳時記を捲り始めたという証拠にはなるだろう。
聨古りて山門閉ぢぬ芋の蔓
れん【聯】
①柱または壁などの左右に、相対してかけて飾りとする細長い書画の板・軸。はしらかくし。「春―」
②漢詩の律の対句の称。「首―」
③(→)連れん3に同じ。
さてこれはまた厄介な句だ。
まず門が閉じないのは聯が古くなったからだと言っているようであるが、聯はあくまで門の戸に施された飾りであり、実用的な機能は持たない。古くなったから閉まらないなんてことはない。では単に「聯の古びた閉まらない山門があったよ、芋の蔓が邪魔して」という意味かなと思えば、朝顔に釣瓶とられてみたいで大げさだ。大体芋の蔓がそう早く伸びるかね?
そしてこの「芋の蔓」というものがそもそも何なのか解らないことに気が付く。
元々は芋と言えば山芋のことであった。山門に山芋で帳尻が合いそうだ。秋の季語に「藷蔓」がある。これが殆ど「甘藷蔓」つまりサツマイモの蔓なのである。山の中にサツマイモ? しかも明治二十八年の松山で?
別に「長薯」「駱駝薯」の季語はある。しかし季語として「芋の蔓」はない。しかもこれが何なのかが解らない。

こうして堂々とサツマイモと解釈している人もいる。いや自然薯だろうとまずは思うが、それでは季語無しになってしまう。自然薯が実る頃、蔓はもう枯れているのだ。
では山門が季語かと言えば「山門開き」は新年の季語。「山門閉ぢぬ」では季語にはならない。
明治維新前からこの地方では確かにサツマイモ栽培が盛んであった。『坊っちゃん』でもおかずが芋ばかりで閉口するというエピソードがあるように、サツマイモが栽培されていたこと自体は確かなのだが、山の中に自生はしていなかったのではないか。
ということでこの句の解釈は保留とする。
渋柿や寺の後の芋畠
何だここに答えがあったやん。後ろの芋畠から繁殖してきたわけや。ならサツマイモの蔓で正解や。しかしこれ、わざとやな。答え以外の何物でもないで。
肌寒や羅漢思ひ思ひに座す
七夕の句と「肌寒」の句をいっぺんに送ってきたか。同じ秋の季語でも端っこ同士やで。
