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『彼岸過迄』を読む 4370 結婚には向いていないタイプ

 これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争った覚えはなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺麗いな顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。会(たま)にはその所有者になって見たいと云う考えも起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、酔いが去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執念く美くしい人に附纏らせないものは、まさにこの酒に棄てられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然老人か坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快に陥いる。が、あるいはそれがために恋の嫉妬というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 物語のその先を考えてしまうことがある。この箇所「会(たま)には」という強引な訓に目が留まったのだが、「酔いが去って急にぞっとする人のあさましさ」のくだりを読み返してみると、相手が田口千代子かどうかは別にして、それが田口百代子でも松本咲子でも高木秋子でも誰でも、兎に角須永市蔵は結婚には向いていないタイプとして規定されていることが確認できる。

 なにしろ若い女性が好きで、その女性が老いることを想像するとぞっとして酔いがさめるのだから、そりゃ、時間の停止した写真でも眺めているよりない。

 なるほど、と思う。そしてまた気が付いた。森本もまたそういうタイプなのではなかったのかと。森本には昔家庭があった。女房がいて子供もいた。しかし子供が死に、女房は捨てた?

 そう考えたところで気が付いた。須永市蔵は性格的に結婚には向いていない。これはその通りだとして、須永市蔵は若い女は好きである。つまり、それは女房がありながら小間使い(≒若い下婢)御弓に手を出した須永市蔵の父親の遺伝なのではあるまいか。

 幸い(?)須永市蔵の父親は早く死んだ。自分の女房が婆さんになる前に死んだ。だから森本のようにならないで済んだ。

 田口要作は忙しい。

「そりゃあ実のところ忙しい男なので。妹などもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作さんいくら御金が儲るたって、そう働らいて身体を壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本じゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧いてくるんで、傍から掬い出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へ伴れて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つように急き立てる事もございますが……」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 昔から亭主達者で留守がいい、とはいうものの、これでは家庭的とは言えない。

「奥さんは……」
「妻は無論います。なぜですか」
 敬太郎は取り返しのつかない愚な問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。
「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」
「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」
「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」
高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」という言葉は、田口千代子に言った、

「今夜はいけないよ。少し用があるから」
「どんな用?」
「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 と繋がるとすれば、

 用事と言いながら矢来にまっすぐ帰ってくる松本恒三は確かに家庭的である。高等遊民、いいじゃないか。結婚に向いているタイプだ。

 田川敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年ながら、必ずしも若い女だけに興味があるわけではない。

 或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈の袢天で赤ん坊を負った婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だったが、どうしても袢天負をするという柄ではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂れの下から格子縞か何かの御召しが出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面は雨なので、五六人の乗客は皆傘をつぼめて杖にしていた。女のは黒蛇目であったが、冷たいものを手に持つのが厭だと見えて、彼女はそれを自分の側に立て掛けておいた。その畳んだ蛇の目の先に赤い漆で加留多と書いてあるのが敬太郎の眼に留った。
 この黒人だか素人だか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉を心持八の字に寄せて俯目勝な白い顔と、御召しの着物と、黒蛇の目に鮮かな加留多という文字とが互違いに敬太郎の神経を刺戟した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 こうして子持ち女をまじまじと凝視し、刺激を受ける田川敬太郎には年増好みの才能があるやも知れない。これすなわち結婚適性とは言わないが、須永市蔵よりはいくらかましであろう。

 頭の中の怪しい雲さえ許してくれれば、浪漫趣味の家庭が築けるかもしれない。


[余談]

二君とかいて面皰とよむ。


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