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谷崎潤一郎の『卍』をどう読むか22 永久不変の不自然な愛ってふりやがな

そもそもなんやってん?

 夫も同じように病人臭い青オい顔して、まだ薬の味残ってるみたいに口の中にちゃにちゃさしながら、「こないしてたら、今にほんまに中毒起して死ぬかも分れへん」いうて溜め息つきます。私はそんな様子見ると、さては夫もほんまに飲まされたのんか思て、かいって安心しますねんけど、疑がい出したらそれがまた狂言みたいな気イしますのんで、「なあ、うちら何で毎晩薬飲まされんならんねんやろ?」いうてやりますと、「何でやろなあ?」と、夫は夫で、やっぱり疑がい深そうに人の顔ジロジロ見ますねん。「うちら二人寝さしといたかて心配ないこと知れたあるやないか。何ぞ外に目的あるねんし。」「どんな目的やお前には分ってるのんか?」「うち分れへん、あんたには分ってんねんやろ?」「僕には分らん、お前こそ知ってるのやないか。」「そないお互に疑ごうてたら切りないけど、うちどないしても、自分だけ寝さされてるような気イするねんし。」「そら僕かて同じことや。」「それかて浜寺のこともあるやないか。」「あれがあるさかい、今度は僕の番やないかいう気イするねん。」「あんた光ちゃんの帰る時まで起きてたことないのんか? どうぞほんまのこというて欲し。」「僕はない、お前はどうや!」「あんな強い薬飲まされたら、起きてとうても起きてられへん。」「ふーん、そんなんやったら、お前もたしかに薬飲むねんなあ?」「当り前やし、この青い顔見て御覧。」「僕の顔も見て御覧。」そんな話してる間に、朝の八時頃になるときっと電話かかって来て、「さあ、もう起きないかんし」いわれて、夫は睡たい眼エ擦り擦り起されてしもて、しョことなしに事務所い出て行くか、よっぽど睡とうて溜らん時でも、「八時過ぎたらあんたは寝室にいてることならん」いわれてますのんで、下の部屋い来て縁側の籐椅子か何ぞで寝んなりません。

(谷崎潤一郎『卍』)

 自分が寝ている間に何が起きているのかは解らない。何も見ていないのだから。柿内園子と夫はお互いが疑惑の中にある。しかしよくよく考えてみれば、徳光光子が今橋に行くか、柿内園子の夫が事務所に行っている間に柿内園子と徳光光子が落ち合えば、そこで何が行われようとこの夫婦はその事実に気が付かないだろう。今ではお互いの体の変化を確かめ合う機会さえ失っているのだから、浮気をしてもばれない。そう考えてみると徳光光子だけが得をして自由で、柿内夫妻は支配されているだけだ。

 そないな工合で、私は何時まででも寝てられましてんけど、夫の方は一層疲れかた非道て、事務所い行たかて頭役に立てしませんさかい、自分は休みたいのんですが、あんまり休むと「姉ちゃんの傍にばっかりいてたがる」いわれますよって、大概の日イは用事あってものうても「昼寝しに行て来る」いうて出かけますねん。
 私はその時分から「光ちゃんうちのこと何にもいわんと、あんたのことばっかり、ああしたらいかんこうしたらいかんいうやないか。あんたの方が愛しられてる証拠やし」いうてたのんですが、夫にいわしたら、愛してるもんこないにいじめるはずない、僕を疲れさして、情慾も何も起らんように麻痺さしといて、二人で好きな真似しょういう計略やないかいいます。そいでおかしいのんは晩御飯の時やかい、お互に睡眠剤で胃イ悪うしてて、食慾ちょっともあれしませんのんに、お腹空いてたら早う薬循まわりますさかい、なるだけ余計喰べとことして、孰方も相手の御飯の数勘定して競争で詰め込みますのんで、「そない喰べたら薬利けへんよって、二人とも二饌以上喰べることならん」いいなさって、しまいには光子さんお膳の傍に眼エ光らして、監督してなさるようになったんのんです。

(谷崎潤一郎『卍』)

 いやしかし、実際柿内園子の語っている通りの現実があるとすれば、徳光光子に何か得があるわけではない。つまりどちらかと楽しんでいるのでなければ、睡眠薬を用意して夫婦に飲ませ、監視するメリットなどない。そこにはただ相手を完全に支配したいという欲望だけがあるのか。
 そうでないしとしたら、つまり柿内園子に見えていない事実があるのだとしたら、むしろ話は分かりやすい。そして、

 夏目漱石の『こころ』の先生のように、同性愛を異性愛に向かうための通過儀礼のように仕立ててしまいかねない。そこで綿貫栄次郎の言葉を思い出す。あの男はこんなことを言っていたのだ。

「けどお姉さんのは、その不自然という点に強味あると思います。何でやいうたら、異性の相手捜そ思たら僕以外にもなんぼでもあるけど、同性の相手やったらお姉さんの代りになる人外にちょっとあれしません。そやさかい僕はいつでも捨てられるけどお姉さんは捨てること出来ません」いうて、――あ、そうそう、そればっかりやあれへん、同性の愛やったらどんな男と結婚したかて、続けて行かれる。夫が何人変ったかてちょっとも影響せえへん、そしたらお姉さんと光ちゃんの愛は夫婦の愛よりも永久不変やいうて、「ああ、ああ、僕は何ちゅう不仕合わせな男でしょう」と、またしても例のセリフ繰り返すのんです。

(谷崎潤一郎『卍』)

 この永久不変の不自然な愛がどうなったかというと、

 なんせ光子さんは始めてほんまの男性ちゅうもん知んなさった、そんだけ今までより真剣になんなさるかも分れへんし、そのために私捨てなさっても、「不自然の愛より自然の愛貴い」いう立派な口実ありますし、良心の苛責も少いですやろし

(谷崎潤一郎『卍』)


 ……と勘繰られている。これは剣呑だ。

何せあの頃の生理状態いいましたら、今考えでも無事でいられたのん不思議なぐらいで、胃イ衰弱してるとこい毎日飲まされる薬の分量多いのんで、一時に吸収出来へんせえか、お昼になってもしょッちゅう意識ぼんやりしてて、生きてるのんか死んでるのんか分らんみたいに、顔色ますます青うなる。体は痩やせて来る。それより困るのんは感覚鈍うなって来る。ところが光子さんの方は、そないに二人苦しめて御飯の制限までしときながら、自分いうたら何ぼでもおいしいもん喰べて、つやつやしい血色してなさる。つまり私たちは光子さん一人が太陽みたいに輝いて見えて、どんなに頭疲れてる時でも光子さんの顔さい見たら生き返ったようになりますのんで、ただそれ一つ楽しみに命つないでいる。光子さんもまた、「なんぼ神経麻痺してたかて、あてに逢うたらハッキリするやろ? そやなかったら熱情足らんねんし」いいなさって、興奮の程度で孰方パッション強いか分る、そやさかい睡眠剤飲ますこと尚更止められへんいいなさいますねん。

(谷崎潤一郎『卍』)

 これはどうも同性愛云々の話ではなくなっている。そもそも「愛」の話なのか何なのか解らなくなっている。支配と被支配の関係があり、上下関係が出来ている。ただ図々しい、厚かましいという以上に、おぞましいものが見える。この話は私が読む前からこんな流れだったのか。もうほとんど終局なのに、まだ柿内園子の夫も死なず、徳光光子も死んでいない。事件も新聞沙汰にならない。お梅どんの意趣返しもまだで、綿貫栄次郎の動きも見えない。あと少ししたら結論は見える筈だ。しかしそれは本当に確定しているのか?
 
 私が読む以前に?

 今から変わる可能性はないのか?

 もう一晩寝かせたら、既に読んだはずの所も書き換えられているかもしれない。試しに寝かせてみよう。



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