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芥川龍之介の『小説の読者』をどう読むか① 何かはあちこちにある


 小さな女の子が手提げ袋一杯の絵本を持って図書館に這入って行くのを見た。彼女はまた手提げ袋一杯の絵本を借りるのだろう。彼女は絵本がとても好きなのだ。そう思うと、私はいつからこんなに汚れてしまったんだろうと反省した。

 若し僕が(読者として)世間の小説の読者と違つてゐるとするならば、かう云ふ点にあると思つてゐる。では何が僕の評価を決定するかと云へば感銘の深さとでも云ふほかはない。それには筋の面白さとか、僕自身の生活に遠いこととか、或はまた僕自身の生活に近いこととか云ふことも勿論、幾分か影響してゐるだらう。然しそれらの影響のほかに未だ何かあることを信じてゐる。
 この何かに動かされる読者の一群が、つまり読書階級と呼ばれるのである。或は文芸的知識階級と呼ばれるのである。
 かう云ふ階級は存外狭い。おそらくは、西洋よりも一層狭いだらう。僕は今、かう云ふ事実の善悪を論じてゐるのではない。唯事実として一寸話すだけである。

(芥川龍之介『小説の読者』)

 私もまた「そりゃ、イナゴぞな、もし」でほくそ笑み、「だから清の墓は小日向の養源寺にある」に感銘を受けた一人の読者であった。「われはもう帰んな」でどきりとし「塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………」に感銘を受けた一人の読者だった。

 昭和二年三月、芥川はこの文章を書きながら何を思っていただろう。あるいはこれは筋のない小説論争に関する「遠い所から投げられた石」に見えなくもない。だがおそらくそういうことではないのだ。

 昨日恐ろしく時間をかけて、大島蓼太の、

むつとして戻れば庭に柳かな

 という句に関する資料を読んだ。

歌沢茶話 英十三 著町田書店 1921年


歌沢茶話 英十三 著町田書店 1921年


松蘿玉液 正岡子規 著春陽堂 1932年


俳句評釈 河東碧梧桐 著人文社 1903年

 この句の狙いは不機嫌と柳の取り合わせで、子規、碧梧桐、坂本四方太などの評の一致しているところは「俗」である。

 しかし、

 と私は思う。今日の今日まで私は、

 こういう人を馬鹿にしていた。

 デマでガセで下らないと思っていた。しかし「むつとして戻れば庭に柳かな」が世界に通用するだろうか、不機嫌と柳の取り合わせが滑稽味を伝えられるだろうかと考えた時、子規や碧梧桐、坂本四方太の尖り具合が気の毒に思えてきたのだ。

 四歳の女の子は四歳なりに絵本を読む。それが「俗」であろうがなんであろうが、彼女は絵本が大好きで一杯絵本を読みたいのだ。私にもそんな時代があった筈なのに、いつのまにかそうではなくなっている

 私はまだ何年か生きる筈だ。今日気がついて良かった。芥川が信じた「何か」は「むつとして戻れば庭に柳かな」の中でも求められていた筈だ。みな「ただ~だけ」から逃れようと紡がれた言葉なのだ。

 芥川には殆ど誰にも自分の作品を読むことができないという現実が見えていた。しかしそんな読者ばかりでもまあいいではないか。絵本が好きな四歳の女の子に誰が文句を言えよう。


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