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『行人』を読む 13 酒鬼薔薇君と同じレトリック

 これは「あらすじ」や『行人』論のど真ん中の話ではないのですが、ちょっと気が付かない人もいるかなというレトリックについて書いておきます。『行人』の「Hさん」はかなり絶妙なネーミングだというお話です。

 酒鬼薔薇君の『絶歌』というのは実にレトリカルな作品で多種多様のレトリックが駆使されていて、なんなら『明暗』の「浮遊する視座」なんかもちゃっかり使っているんですね。それなのに漱石が好きだとは書かないのが不思議です。「浮遊する視座」は三島由紀夫は使いません。村上春樹さんは『1Q84』の冒頭、タクシーの中で一瞬使いますが自覚的かどうかは曖昧です。それにその話法は「歴史のナラティブ」みたいなものにシフトするので、青豆雅美に見えない筈の所を話者が語ってしまうのはむしろ「『三四郎』的話者」と考えた方がいいかもしれません。

 さてその『絶歌』のレトリックの一つに「キャラクターのあだな」というものがあります。これはデイヴィッド・ロッジ風に言うならば言外の意味(Implication)と人物紹介(Introducing a Character)を一発で片付けるような荒業で、『坊っちゃん』の技巧をアップデートしたと言っても過言ではない「やりすぎ」感さえあるレトリックです。

 ウッディとバズ、これは教師につけた綽名であり呼び名になりますが、酒鬼薔薇君は何故ウッディとバズなのかをくどくどとは説明しません。サゴジョウ、ハッカイ、ゴクウも説明しません。説明しなくても解るだろといわんばかりです。ワトソン君もイモジリさんもジンベイさんも説明しません。

 いや、いくらなんでもイモジリさんは説明が必要だと思いますが、彼は説明しません。イモジリはカマキリの古語なので顔が逆三角形に痩せていたのでしょう。それにしても沖縄出身の酒鬼薔薇君ならば「イサトゥー」と呼ぶべきなのです。方言としては宇和島でイモジリと呼びます。イモジリは古語としても用例が少なく、メジャーな古語とは言えません。するとやはり方言経由で這入ってきた語彙だとは思うのですが、それにしたって説明なしというのはかなりの自信、まあ強引、かつスノッブなんですかね。


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 ダフネ君、アポロ君はギリシャ神話から採ったようです。それでいて「ニュータウンの天使」などという章を設けるので得体が知れません。ギリシャ神話には天使が出てこないからです。

 そして彼はさらにやってきます。Gさん、だったと思いますが、アルファベットの頭文字らしき人物が登場した時、ああ、彼は身長くらいの高さくらいに積みあがるくらいに手首の運動をしてきた人だなと確信しました。アルファベットの頭文字、私はこの人の本名が後藤さんだとか合田さんとは考えません。

 え、なんでアルファベットの頭文字? と引っかかった時、なるほどと思いました。この人は恩人なので絶対に正体をばらしたくなかったのでしょう。だから特徴をあだ名にすることができなかった。そこまでのことを読者に示しています。

 そして実際にはモデルの頭文字はTとかEでしょう。ここは読者をミスリードしています。

 このレトリック、どう云う訳か漱石も使っています。『行人』ではA、Bが使用済み、Bさんが馬場さんでないとしたら、Hさんは本来Cさんでよかったのです。しかし漱石はCDEFGを飛ばしました。結局Hさんには実在のモデルが存在して、その人は長谷川さんか林さん、あるいは原田さんであるかのような漠としたイメージが植え付けられます。しかしそれはミスディレクションでしょう。

 酒鬼薔薇君の方のミスディレクションはなんとなくわかります。事実があって隠したい。それはそれとして漱石の方は一体なんなのでしょうか。まるで即席リアリティ発生装置のようで、意味ありげでよく解りません。

 自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客は一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がという公爵である事を、自分は後あとで三沢から教わった。(夏目漱石『行人』)

 こうしたところを見ると「途中から何となく切り替えた」とも見えるわけです。そうすると酒鬼薔薇君が漱石以上のテクニシャンになってしまいます。

 ここはよく解らないので気になります。まさか『こころ』のKを苗字と間違わせるためのふりとも思えませんが。

[余談]

 イモジリは青空文庫に使用例なし、国立国会図書館デジタルライブラリーでも辞書にはあるも使用例としては見つからない。こういう場合古語として捉えるより、ほぼ方言で確定でいいと思う。しかし祖母の手料理から考えても出身は沖縄なんだよな。

[余談②]

 猥褻なことをH、エッチと呼ぶのはかなり最近のことで、語源は変態です。セックスの意味でのエッチするは明石家さんまが言い出した奴だと思います。「間違いない」が「期待通りのおいしさ」で使われたのが木梨憲武以降、「心を折る」が神鳥忍、

世尊ハ加葉ケハれ優心を折る佛置手數係する人思言られで其日も留りて

 いや昔からありますね。












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