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馬場久治 『森鴎外伝』について・乃木静子は誰に殺されたのか?

「阿部一族」は一つの傑出した武士道小說である。主題は殉死であるが、それをめぐつて武士の魂が躍動してゐる。明るい清らかな文章の中に力强く、森鷗外の武人らしい氣魄が輝いて見える。鷗外日記の中より、乃木大將について書かれた部分を引用する。特に乃木大將の殉死についての記錄を引用して「阿部一族」執筆の動機を考へたいと思ふ。

大正元年九月十三日金。晴。輻車に扈從して宮城より靑山に至る。午後八時宮城を發し、十一時靑山に至る。翌日午前二時靑山を出でて歸る。途上乃木希典夫妻の死を說くものあり。予半信半疑す。十四日(土)。陰。乃木の邸を訪ふ。石黑男忠悳の要求により鶴田禎次郞、德岡凞を乃木邸に遣る。十五日(日)。雨。午後乃木の納棺式に蒞む。妻明舟町に往き夜半に歸る。十六日(月)。陰軍醫部長を第一衞戍病院に會して訓示する所あり。Cagawaと稱するもの松本樂器店員の肩書ある名刺を通じて乃木大將の歌を求む。拒絕す。十八日(水)。半晴。Me Neight,三浦守治、綾部勉來訪す。午後乃木大將希典の葬を送りて靑山齋場に至る。興津彌五右衞門を艸して中央公論に寄す。

 之等の日記を讀むに鷗外の乃木大將の殉死についての考を推察することが出來る。誰が何と言つても、鷗外は乃木大將の忠誠の念を深く信じてゐた。そして日本の武士道の精神より見て、乃木大將の殉死を肯定した。かくて此の殉死に對する考を、「興津彌五右衞門」といふ歷史小說中に、具體的に表現したのである。此の小說は齋藤茂吉氏の言ふ如く、乃木大將の殉死を「議論の形式に據らずに、過去の事實を外貌としてその中に織り込ませるといふ歴史小說的手段」を取つたものである。

 之について齋藤茂吉氏は詳細な論文を書かれてゐる。傾聽すべき意見か甚だ多い。『興津彌五衞門といふ老人が、細川三齋公(松向寺殿)の十三囘忌に殉死したが、その遺書であるかのやうに爲組んだ小說である。』『德川武士と殉死の行爲との聯鎻はさういふものである。そこで、興津彌五衞門の遺書で殉死を取扱つた鷗外先生は、稍々ゆつくりと時間を持たれて、もつと委しくこの小說(阿部一族)で殉死問題を取扱つたのである。そして、この小說は、乃木大將の殉死とは無關係にも成立つことは無論であるが、先生の念中には、乃木大將の殉死が强い表現動機として存在してゐたものである。語をかへて云へは、乃木大將殉死の批判としてこの小說を書いてゐるのである。新渡戶博士の名著「武士道」は、武士道をば西洋人に紹介するために努力した書物であるから、嘲んでふくめるやうに、切腹卽ちハラキリの美點を讃美し、辯護してゐる。そして、ハラキリをば單なる自殺として取扱つてはならぬことを强調してゐる。そして博士の該博な西洋史實の引用が、西洋人をして合點せしめるに與つて力があつたことは云ふことを須たない。然るに、乃木大將の行爲を批判したその當時の學者等は、この新渡戶博士等の意圖のことなどは忘却してしまつて、或はそれらの意見を氣の利かぬものと做して、あべこべに西洋倫理學の立場からそれを批判するに至つた。鷗外先生の小說は二たびその批判ともなつた姿になつたものである。

以上 馬場久治 著『森鴎外伝』黎明調社 1943年より


 

 著者馬場久治については著書にニーチェの箴言集がある事しか知らない。しかし「夏目漱石と森鴎外」という比較論のあまりにもだらだらとしたまとまりのなさから察するに、あまりシャープな人ではなさそうだ。暇な人はぜひリンクから確認してほしい。

 さてここでは乃木大将殉死以後の森鴎外作品について、簡潔に述べてみたい。

 誰が何と言つても、鷗外は乃木大將の忠誠の念を深く信じてゐた。そして日本の武士道の精神より見て、乃木大將の殉死を肯定した。かくて此の殉死に對する考を、「興津彌五右衞門」といふ歷史小說中に、具體的に表現したのである。

 この主張は、

①「誰が何と言つても、」と書いた時点で基本的にはもう駄目。

②「鷗外は乃木大將の忠誠の念を深く信じてゐた。」→しかし乃木大将夫妻殉死の報を受け半信半疑になった。→乃木静子の死への疑問が見えていない。

③「日本の武士道の精神より見て、乃木大將の殉死を肯定した。」→鴎外は殉死小説で繰り返し「殉死とは殿様に許されて、介錯人を雇い、時と場所を決めて行うものである」「女房を道連れにする理屈はない」「罰ではなく名誉である」と日本の武士道精神を確認してきた。

④「「興津彌五右衞門」といふ歷史小說中に、具體的に表現した」→十三回忌ではいくらなんでも遅すぎないか。→崩御に殉死ではなく、御大喪に殉死というのも間が抜けていないか?

 笙野頼子さんの小説に『二百回忌』というのがあるが、流石に鴎外はそこまでふざけることはできなかったのであろう。森鴎外が乃木大將の殉死を肯定したかどうかは知らないが、どうしてここまで乃木静子の死を無視できるのか私にはよく解らない。







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