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芥川龍之介の『温泉だより』が解らない⑩ お松も稲川に似ていたのか

 作品の主題とは別にやはり芥川が何かを意図していたことだけが解り、その意図したところが解らないという部分がある。それは、

「青ペン」と言うのは亜鉛屋根に青ペンキを塗った達磨茶屋です。当時は今ほど東京風にならず、軒には糸瓜なども下っていたそうですから、女も皆田舎じみていたことでしょう。が、お松は「青ペン」でもとにかく第一の美人になっていました。もっともどのくらいの美人だったか、それはわたしにはわかりません。ただ鮨屋に鰻屋を兼ねた「お」の字亭のお上の話によれば、色の浅黒い、髪の毛の縮れた、小がらな女だったと言うことです。

 このお松の造形だ。作家の好みというのは何となくわかるもので、村上春樹さんは本当はソフトボール部の部長というか青豆雅美のようながっしりしたタイプが好みではなく、七号サイズのほっそりとした女性が好みのようだ。(七号って……十三号の方すみません。本当です。『トニー滝谷』とかあちこちにそんな感覚が滲み出ています。)逆に夏目漱石はすらりと背が高く、豊満な田口千代子のような女性が好みだったようだ。芥川は肥った女性は好まないようだ。

 しかし恐らくストライクゾーンはかなり広い。見かけより、知性を重視するようなことを書いてもいる。だからなのか年上でもいける。

 なんなら男性でも。

 ただそれは飽くまで本人の好みの話だ。ごく一般的な当時の美的基準として「色の浅黒い、髪の毛の縮れた」女性は、なかなか美人とはされないのではなかろうか。何故その「色の浅黒い、髪の毛の縮れた」女性が美人だったのか?

 これはやはり相対的な評価で、ほかがよほどひどかったということにならないだろうか。そうであればやはりアンチ『温泉だより』ということになる。

「しかしお松の生んだ子はほんとうに半之丞の子だったんですか?」
「やっぱり半之丞の子だったですな。瓜二つと言っても好かったですから。」

(芥川龍之介『温泉だより』)

 この「瓜二つ」が意味するところは「稲川にそっくり」な顔ということであろうから、ずんぐりしてしまえばまさに稲川である。

 萩野半之丞の息子は顔は父親似、背の丈は母親似ということになるのだろうか。それにしても顔がどちらかだけに似て、一方の気配も残らないということはあるまい。それでも「瓜二つ」ということは、あるいはもともとお松も稲川政右衛門のような顔をしていたのではなかろうか。

 相撲取りとして見れば、稲川は確かに愛嬌のある顔である。


 大砲萬右衛門のような顔の女よりは可愛げがあったかもしれない。しかし稲川政右衛門のような顔をしていた女を美人と呼ぶだろうか。尤もここは最初に述べたように、芥川が何かを意図していたことだけが解り、その意図したところが解らないという話であって、問題は飽くまでそのように書いた芥川の意図なのだ。つまりお松を「色の浅黒い、髪の毛の縮れた」女性にして、稲川政右衛門のような顔をしていた可能性を仄めかす意図、そこが解らない。

 それでもあえて理屈を言えば、男が女に惚れるのは顔や性格の問題ではなく、限られた選択肢の範囲で、消去法で決まってしまうようなところがあるということなのだろうか。

「そうしてそのお松と言う女は?」
「お松は「い」の字と言う酒屋に嫁に行ったです。」

(芥川龍之介『温泉だより』)

 お松が再婚……ではなく子持ちで嫁に行けたのは、当時の修善寺の女不足の証だろうか。
 あるいはいささかストライクゾーンの広い不確かな「僕」のいいわけなのだろうか。

 本当に柄谷行人でいいのか確認しよう。



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