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芥川龍之介の『舞踏会』をどう読むか① 十六菊紋もお菊さん

 昨日は『開化の殺人』の甘露寺明子が見せたがる女だと書いた。この『舞踏会』にも「――家の令嬢明子」なる人物が登場する。これは大正八年の作なので『開化の殺人』の後に書かれたことになっている。甘露寺明子が片足立ちで北畠義一郎にあそこを見せつけたのが甘露寺明子十歳の年で明治元年、その設定をそのまま引き継げば明治十九年には甘露寺明子は二十九歳の年増だが、「――家の令嬢明子」は十七歳。甘露寺明子よりも十二歳若い計算になる。

 明子は夙に仏蘭西語と舞踏との教育を受けてゐた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上の空の返事ばかり与へてゐた。それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つてゐたのであつた。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止るまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏しい燈火を、見つめた事だか知れなかつた。

(芥川龍之介『舞踏会』)

 漱石の『明暗』は大正五年の作で何年と明記されないまでも現代小説なので「何のお稽古? トーダンス?」という冗談が出て來る。勿論ここで「舞踏」と呼ばれているものは社交ダンスのことではあろうが、甘露寺明子の片足立ちはまさにバレエダンスでも稽古していたのかと妙な連想させてしまう。

 ほとんど飾り物のように扱われていた甘露寺明子と違い、この明子はどうもこの物語の主役らしい。

 が、彼女がその仲間へはひるや否や、見知らない仏蘭西の海軍将校が、何処からか静に歩み寄つた。さうして両腕を垂れた儘、叮嚀に日本風の会釈をした。明子はかすかながら血の色が、頬に上つて来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問ふまでもなく明かだつた。だから彼女は手にしてゐた扇を預つて貰ふべく、隣に立つてゐる水色の舞踏服の令嬢をふり返つた。と同時に意外にも、その仏蘭西の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はつきりと彼女にかう云つた。
「一しよに踊つては下さいませんか。」

(芥川龍之介『舞踏会』)

 明子夫人は三十二年間この話を何回話したことだろう。若かったころもてた話。そんな話は全ての老女が持っているものだ。よく聞くともてたのか何だか解らない話。しかし本人の中では永遠に輝きを失わない青春の幻。

お菊さん ピエエル・ロティ [著]||野上豊一郎 訳新潮社 1923年

-お前さんたちは、可愛らしいにはそりや可愛らしい、と、私も認めてはゐる。-おどけてゐて、きやしやな手をしてゐて、小さい可愛らしい足をしてゐるから。でも要するにみつともよくない。おまけに滑稽なほど小さい。

お菊さん ピエエル・ロティ [著]||野上豊一郎 訳新潮社 1923

 小説『お菊さん』の中で日本人は醜く小さくグロテスクな人形として捉えられている。その作者ピエール・ロティとの一夜の思い出を、三十二年後になってまだ嬉々として語る四十九歳の明子に対して、芥川はその落ちを間テクスト性に配置したのか。

すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。

(芥川龍之介『舞踏会』)

 つまりこの話の中にある明子の美しさ、

 が、鹿鳴館の中へはひると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。と云ふのは階段の丁度中程まで来かかつた時、二人は一足先に上つて行く支那の大官に追ひついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたやうな視線を明子へ投げた。初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂つてゐるたつた一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具へてゐたのであつた。と思ふと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服の日本人も、途中で二人にすれ違ひながら、反射的にちよいと振り返つて、やはり呆れたやうな一瞥を明子の後姿に浴せかけた。それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾へ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。

(芥川龍之介『舞踏会』)

 開化の日本の少女の美、これは支那人や日本人には認められる東洋的な美しさでしかなく、

「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」
 海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。
日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは――
「そんな事はこざいませんわ。」
「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐに巴里の舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」

(芥川龍之介『舞踏会』)

 仏蘭西海軍将校の言葉は矢張りお世辞に過ぎなかったのか。

 勿論間テクスト性などと命名されるはるか以前から、先行するテキストが作品の中に持ち出された時、その作品の中で現に起きていることとその持ち出されたテクストとの間になにがしかの意味が生じうるという工夫は芥川龍之介自身によっても、例えば『魚河岸』や『彼』などといった多くの作品で実演されてきた。

 この『舞踏会』自体がピエール・ロティの『お菊さん』という外部を持たなくては成立しえない作品であることを考えると、『お菊さん』において日本人が醜く小さな人形として取り扱われていることは無視できまい。

 ピエール・ロティの『お菊さん』を読むとむしろ「そんなことを言いながらそれでもやりたいあんたはスケベやな」という感じがしてしまう。何しろ日本に来る前はトルコ、タヒチ、フランス領アフリカの奴隷にも手を出していたようなのだ。そんなどスケベにおだてられていい気になる明子も「西洋白人」に憧れるミーハーな少女だったわけだ。

 しかし「ソレデモ日本人か馬鹿」という落書きまでは書かない。マッカーサーに恋文を送った大和撫子は何十万人といたそうではないか。

こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。さうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾んで食べてゐるのであらうか。

(芥川龍之介『舞踏会』)

 金属の箸は朝鮮のものだ。しかしロティはそんなことは考えてはいまい。ただこの小さな女も和式便器を使うのかと考えていた筈だ。

[付記]

「私も巴里の舞踏会へ参つて見たうございますわ。」
「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」
 海軍将校はかう云ひながら、二人の食卓を繞めぐつてゐる人波と菊の花とを見廻したが、忽ち皮肉な微笑の波が瞳の底に動いたと思ふと、アイスクリイムの匙を止めて、
「巴里ばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」と半ば独り語のやうにつけ加へた。

(芥川龍之介『舞踏会』)

 このの意味と、明子が手袋をしていないことの意味をずっと考えている。デビュタントなのにあいさつ回りもないことも……。薔薇色の舞踏服? 肩は出ていたのだろうか?

「美しく青きダニウブ」なのに独逸管絃楽? オーストリーじゃなくて?


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