見出し画像

『坊っちゃん』のウイキの間違い探し


 夏目漱石作品のなかでも『坊っちゃん』は最も解釈が難しいのではないかと思います。海辺の町「延岡」が山奥とされる点や、愛媛の松山らしき場所が「不浄の地」として徹底的に批判される点など、どう解釈したらいいのか解っていないことが沢山あります。ここまでは解る、ここからは解らないという曖昧なところも含めて、ちょっと引っかかる点を指摘したいと思います。

親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている坊っちゃんは、家族から疎まれる少年期を過ごす。そんな中、下女の清だけは坊っちゃんの曲がったことが大嫌いな性格を気に入り、可愛がってくれていた。

 Wikipediaにはこうあります。

①「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」は飽くまで「おれ」の主張。「おれ」の親はさして無鉄砲でもなく、損ばかりしている様子がない。なんなら働かないでも生活できている。「おれ」の無鉄砲さがどの親譲りなのかは曖昧だ。

②「あなたは真直ぐでよいご気性だ」と清は云う。これを「曲がったことが大嫌い」と引っくり返して表現すること自体は誤りとまでは言えない。しかし清が「おれ」を性格ゆえに気に入っていたという見立てはどうだろう。「この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。」とは「おれ」の弁である。「因縁(いんえん)」の文字は作中三度用いられていて、「冗談じゃない本当だ。おれは君に氷水を奢られる因縁がないから、出すんだ。取らない法があるか」と一度は「理由」の意味、もう一度は「おれとうらなり君とはどう云う宿世の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない」と仏教語の因縁として使われている。

 後者の意味と取れば清が「おれ」を可愛がる理由はこの世にはない。「嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった」というような表現に清の絶対的な母性が見られることから、丸谷才一らによって「清実母説」まであることから、清が「おれ」を性格ゆえに気に入っていたという見切りはいささかラフなものではなかろうか。

赴任先で蕎麦屋に入って、天麩羅を4杯頼んだこと、団子を2皿食べたこと、温泉の浴槽で遊泳したことを生徒から冷やかされ、初めての宿直の夜に寄宿生達から手ひどい嫌がらせを受けた坊っちゃんは、寄宿生らの処分を訴えるが、赤シャツや教員の大勢は事なかれ主義から教師全体の責任としながら、坊っちゃんに生徒の責任を転嫁しようとした。この時に筋を通す処分を主張したのは、仲違い中の山嵐だった。結局生徒達は坊っちゃんへの謝罪と厳罰を受けることになるが、宿直当日に坊っちゃんも温泉街へ無断外出をしたため、外食店への出入り禁止を言い渡される。

 これは解っていて書いているのでしょうが、

③「天麩羅を4杯」→「天麩羅蕎麦を四杯」

 次が少々厄介です。

④「寄宿生達から手ひどい嫌がらせを受けた」かどうかは曖昧。

「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼たのんだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴは温い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 実際、生徒がやったという証拠はない。

どうも変だ、おれは小供の時から、よく夢を見る癖があって、夢中に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢いで尋ねたくらいだ。その時は三日ばかりうち中の笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かも知れない。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 この時期の漱石自身に強迫観念とも被害妄想とも捉われかねない奇行があったことはよく知られて居よう。

 主人の内の鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中でも夜中でも乱暴狼藉の練修に余念なく、憫然なる主人の夢を驚破するのを天職のごとく心得ている連中だから、かくのごとく遠慮する訳がない。(夏目漱石『吾輩は猫である』)
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章のついている帽子を被っています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入ちんにゅうするのを、そう容易く許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
 主人は奥の方を顧みながら、おいこらこらと云う。
 埼玉生れの御三が襖をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 漱石は自身の癇癪を戯画化して描くことが出来る程度に異常さと客観性を兼ね備えた稀有な作家だった。この「寄宿生達から手ひどい嫌がらせを受けた」というのも「おれ」の勘違いではないと完全に言い切れるものではないのではなかろうか。あるいは現象として、イナゴや騒音はあったのだろう。しかし「手ひどい嫌がらせ」は一つの解釈でしかない。新人いびり≒歓迎でもある。また、

堀田がおれを煽動して騒動を大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか方角がわからない。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 とある通り、誰が何をしたのかは今一つ明確ではない。このプロットは後に、

「それで、なぜ追い出したんだい」
「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。僕らあ煽動されたんだね、つまり。今でも覚えているが、夜よる十五六人で隊を組んで道也先生の家の前へ行ってワーって吶喊して二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」
「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似をするんだい」
「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」
「気楽だね」
「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動した教師ばかりだろう。何でも生意気だからやれって云うのさ」
「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」
「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」
「それで道也先生どうしたい」
「辞職しちまった」
「可哀想に」(夏目漱石『野分』)

 こうした形で同じモーチフに対して解釈の多様性が示されることから、なおさらここは曖昧である。

⑤「外食店への出入り禁止を言い渡される」

 この言い切りはむしろ良くそう読めたなと感心するところ。直接的には、

教師はなるべく飲食店などに出入しない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋だの、団子屋だの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅と云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味だ。(夏目漱石『坊っちゃん』)
「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽るとつい品性にわるい影響を及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽がないと、田舎へ来て狭い土地では到底暮せるものではない。それで釣りに行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚な精神的娯楽を求めなくってはいけない……」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 ……で赤シャツの台詞は終わっており、ここには「禁止」の文字は現れない。あくまで「なるべく」なのだ。しかし、どうも「おれ」の受け止めは「禁止」なのだ。

天麩羅蕎麦を食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗坊主だって、これよりは口に栄耀をさせているだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗から生卵を二つ出して、茶碗の縁でたたき割って、ようやく凌いだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。(夏目漱石『坊っちゃん』)
北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼である。山門のなかに遊廓があるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾をかけた、小さな格子窓の平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯に汁粉、お雑煮とかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端に近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。(夏目漱石『坊っちゃん』)
おれは下宿で芋責豆腐責になってる上、蕎麦屋行き、団子屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さんから鍋と砂糖をかり込んで、煮方に取りかかった。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 しかしこれも先ほどの話に繋がる。確かに「おれ」は「禁止」と受け止めているが、上等でない場所でなければ構わないのであろうし、そういう場所があるかどうかは別として上等な店に通うことは可能な筈だ。しかし「おれ」にはどこか被害妄想的な性格が加えられている。それは冒頭の「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」→「自分の所為ではなく無鉄砲な性格が与えられて損ばかりしている」というところから一貫していると見てよいだろう。


やがて坊っちゃんは、赤シャツが同僚教師・うらなりの婚約者であるマドンナへの横恋慕からうらなりを左遷したことを知り、義憤にかられる。このことで坊っちゃんと山嵐は過去の諍いを水に流し意気投合。彼らを懲らしめるための策を練るが、赤シャツの陰謀によって山嵐が辞職に追い込まれてしまう。坊っちゃんと山嵐は、赤シャツの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと腰巾着の野だいこを取り押さえる。当初の予定通り、夜明けに山嵐と芸者遊びについて詰問し、しらを切る彼らに天誅を加えた。

⑥「横恋慕からうらなりを左遷」これはさすがに誤読だろう。

「人を頼んで懸合うておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来かねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓を求めて遠山さんの方へ出入をおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付ておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、みんなが悪く云いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしときながら、今さら学士さんがお出いでたけれ、その方に替えよてて、それじゃ今日様へ済むまいがなもし、あなた」
「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね」
「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の堀田さんが教頭の所へ意見をしにお行きたら、赤シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になれば貰うかも知れんが、今のところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ、遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まん事もなかろうとお云いるけれ、堀田さんも仕方がなしにお戻りたそうな。赤シャツさんと堀田さんは、それ以来折合いがわるいという評判ぞなもし」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 これも漱石自身の大塚楠緒子とのエピソードの反映ではあろうが、いかにも被害妄想的な反映である。

 赤シャツがうらなりくんとマドンナの間に割り込んだのは事実として、「手馴付て」しまったらもう「横恋慕」などと云われる筋合いはないのではないかと思うが『明暗』でも清子を「反逆者」とまで呼ぶ漱石の「こころがわり」に対する攻撃は凄まじい。「出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日から結婚さして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした」というのが漱石の本音だろう。実際漱石の月給は「おれ」の倍の八十円だったので、ここには大塚楠緒子への未練ばかりがあるように思える。

 左遷かどうかについても漱石は幻惑の作法を取る。

おれはちょっと困った。文学士なんてものはやっぱりえらいものだ。妙な所へこだわって、ねちねち押おし寄せてくる。おれはよく親父から貴様はそそっかしくて駄目だ駄目だと云われたが、なるほど少々そそっかしいようだ。婆さんの話を聞いてはっと思って飛び出して来たが、実はうらなり君にもうらなりのおっ母さんにも逢って詳くわしい事情は聞いてみなかったのだ。だからこう文学士流に斬きり付けられると、ちょっと受け留めにくい。
 正面からは受け留めにくいが、おれはもう赤シャツに対して不信任を心の中で申し渡してしまった。下宿の婆さんもけちん坊の欲張り屋に相違ないが、嘘は吐かない女だ、赤シャツのように裏表はない。おれは仕方がないから、こう答えた。
あなたの云う事は本当かも知れないですが――とにかく増給はご免蒙ります」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 ……とやり込められている。そして冷静に流れを辿ると、そもそもきっかけは古賀のお母さんが校長に対して月給を上げろと直談判したことある。赤シャツに頼んで赤シャツ一人が算段をしたわけではない。延岡に行く手続きをしたのも校長であろう。

「あそこもお父さんがお亡くなりてから、あたし達が思うほど暮し向きが豊かになうてお困りじゃけれ、お母さんが校長さんにお頼みて、もう四年も勤めているものじゃけれ、どうぞ毎月頂くものを、今少しふやしておくれんかてて、あなた」
「なるほど」
校長さんが、ようまあ考えてみとこうとお云いたげな。それでお母さんも安心して、今に増給のご沙汰があろぞ、今月か来月かと首を長くして待っておいでたところへ、校長さんがちょっと来てくれと古賀さんにお云るけれ、行ってみると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望み通りでよかろうと思うて、その手続きにしたから行くがええと云われたげな。――」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 こうなるとさすがに「横恋慕からうらなりを左遷」とは言い難いのではなかろうか。

⑦「赤シャツの陰謀によって山嵐が辞職に追い込まれ」これも誤読だろう。

 喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人の袖を潜り抜けて来た赤シャツの弟が、先生また喧嘩です、中学の方で、今朝の意趣返しをするんで、また師範の奴と決戦を始めたところです、早く来て下さいと云いながらまた人の波のなかへ潜り込こんでどっかへ行ってしまった。
 山嵐は世話の焼ける小僧だまた始めたのか、いい加減にすればいいのにと逃げる人を避けながら一散に馳け出した。見ている訳にも行かないから取り鎮めるつもりだろう。おれは無論の事逃げる気はない。山嵐の踵を踏んであとからすぐ現場へ馳けつけた。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 確かに山嵐は赤シャツの弟によって、喧嘩に巻き込まれたかのように見える。しかし、そもそも喧嘩を起させたのは赤シャツではあるまい。そして山嵐は妙なことを言っている。

山嵐は困ったなと云う風で、しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。巡査がくると面倒だ。飛び込んで分けようと、おれの方を見て云うから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しそうな所へ躍り込こんだ。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 このように「おれ」を直接喧嘩に巻き込んだのは山嵐なのである。そのくせ後でこんなことを言いだす。

 帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出して喧嘩のなかへ、捲まき込こんだのは策だぜと教えてくれた。なるほどそこまでは気がつかなかった。山嵐は粗暴なようだが、おれより智慧のある男だと感心した。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 赤シャツ陰謀説は飽くまで山嵐の見立てで証拠はない。「赤シャツの陰謀によって山嵐が辞職に追い込まれ」たというよりはむしろ、無鉄砲がたたって辞職に追い込まれたというべきではなかろうか。

⑧「ついに芸者遊び帰りの赤シャツと腰巾着の野だいこを取り押さえる

 ここが一番解り難いところではなかろうか。事実としては、

・「今夜七時半頃あの小鈴と云う芸者が角屋へはいった」と山嵐が「おれ」告げる。

・赤シャツと野だが角屋へはいった

 ……というだけである。

「芸者をつれて僕が宿屋へ泊ったと云う証拠がありますか」
「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て云う事だ。胡魔化せるものか」
「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕の知った事ではない」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 むしろ赤シャツの弁が尤もである。「僕は吉川君と二人で泊ったのである」とは何とも大胆な告白だが、そういうこともありうるのではないかという仄めかしはこんなところにもある。

 あんな弱虫は男じゃないよ。全く御殿女中の生れ変りか何かだぜ。ことによると、あいつのおやじは湯島のかげまかもしれない。(夏目漱石『坊っちゃん』)

 野だがかげまなら、赤シャツは何だということなる。山嵐と「おれ」の天誅が誤爆である可能性は、冒頭の「親譲りの無鉄砲」から暗示されていたことだ。

 ……と解ったようなことを書きながらやはり『坊っちゃん』には明確に分らないことがあります。

もう大丈夫ですね。邪魔ものは追っ払ったから」正しく野だの声である。「強がるばかりで策がないから、仕様がない」これは赤シャツだ。「あの男もべらんめえに似ていますね。あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」「増給がいやだの辞表を出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない」(夏目漱石『坊っちゃん』)

 この「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追っ払ったから」とはどういう意味なのでしょうか? 一体何が大丈夫で誰が何の邪魔をしていたのでしょうか? この時点で追っ払われたのはうらなりくんと山嵐です。うらなりくんが赤シャツとマドンナの恋に邪魔だったというところまでは解ります。しかし山嵐を追い払い、何が大丈夫なのでしょうか。ここは明確には書かれていません。しかし赤シャツには策があり、その策によって山嵐が追い払われたのだ、という感じがあります。ただ、確かではありません。確かなことは野だが「おれ」に愛嬌を感じているの対して、「おれ」は「野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本のためだ」とまで考えているということです。やはり神経に異状があるに相違ないのではないでしょうか?





いいなと思ったら応援しよう!