小森陽一の『世紀末の預言者・夏目漱石』をどう読むか② 漱石は特異点
国民作家漱石
おおよそすべての作品論が未熟な状態で、「作家夏目漱石は~である」といった記述はなかなか困難なものなのではないか、というのが私の基本的なスタンスだ。つまり「明治の精神に殉死」と書いて乃木静子の死が見えていない『こころ』論には意味がなかろうという訳である。
しかし例えばこのような形でなら、「作家夏目漱石は~である」と語りうるというところを見つけた。
日露戦争中、新聞各社は、戦争報道のために大幅な設備投資をして、号外合戦をくりひろげていた。しかし、投資した資本を回収する前に、戦争は終わってしまった。中国を戦場として戦われた戦争の情報を、逸早く国民が知るためには、新聞報道にたよるしかない。戦争をとおして、新聞は文字どおり一家に一紙に近い形で、国民的メディアになったのである。発行部数は大幅に拡大した。けれども戦争が終わってしまえば、最大の商品であった死の情報、戦場の情報が無くなってしまう。新聞を読むことで、国民の一人として戦争に参加していた、戦場に出ていない人々にとって、新たな情報商品が、どうしても必要となったのである。
毎日毎日、新聞を読むことで、国民としての想像的な共同性を認識していた読者をひきつけるためには、新しい「文学」がどうしても必要だった。フィクションである新聞小説は、現実の事件が起こらなくても、情報価値のある事件を生み出しうるし、連載であればこそ毎日欠かさずにストーリーの展開を追っていかねばならない。新聞各社は、ようやく国民的なレヴェルで定着した、日々欠かさずに新聞を読むという生活習慣を、新聞連載小説をとおして、戦争の後も継続し、定着させようとしたのである。それはナショナルな情報市場の確立でもあった。
これまで言われてきたことの中で、少なくとも私が見聞きした範囲内で、これほど新聞連載作家夏目漱石の役割を的確に説明した文章は初めてである。一番腑に落ちた。どうしても作家が作品を発表する媒体の一つが新聞であると、作家の側から見てしまいがちのところを、例によって日露戦争という大きなものと結びつけながら見事に事実を言い当てている。
日露戦争がもたらした新聞小説作家。
そういう角度からはこれまで考えたことはなかったが、なるほど言われてみればその通りである。あまりそう意識しては来なかったが、新聞小説を書くということは、文芸雑誌に書くよりも何倍も多くの読者を相手に書くということだ。『虞美人草』なんてあんな難しい作品がよく人気になったものだと今でこそ思うが、当時は死の情報に代わる何かが渇望されていて、みな自分にわかる範囲で『虞美人草』を読み、各々のレベルで感心していたわけだ。けしてすべてが理解できているわけでなくともそれでよかったのだ。
作品の中身が時代と無関係であり得ないように、新聞小説作家夏目漱石の誕生も日露戦争後の日本という時代とは切り離せなかったわけだ。
さすがは小森陽一だ。
素晴らしい。
特異点漱石
話は小説家としての漱石が自己本位に書きながら偶然に他人のためになり報酬を得ているという『道楽と職業』の話に移り、漱石にとっての偶然の意味をこのように指摘する。
事実、小説家夏目漱石は、自らの小説の中で、「道楽」を「職業」にしえた登場人物を一人も書いていないのである。哲学者も科学者も芸術家も、「職業」的に成功した者は一人もあらわれてこない。むしろ、ここにこそ、漱石の現実認識があったのだ。小説を書くだけで、東京帝国大学教授をはるかに上回る「報酬」を得られたのは、夏目漱石という特異点にのみ発生する現象であるということを、漱石自身、自覚していたのではないだろうか。
これも言われてみればの話で、言われてみるまで気が付かなかった。気が付けばなるほどと思える。むろん『こころ』の「私」は書けばたちまち世間に知られる新聞小説家のように設定されているが、仮にそのことに小森が気が付いていないとしても、この指摘は十分に面白い。なぜなら『こころ』の「私」はほぼ夏目金之助のようなものであり、あくまで例外的なキャラクターだからだ。
そして言われた通り『こころ』の「私」を除外すれば、確かに道楽を職業にして成功した人物は……まあいない。甲野さんも小野さんもまだこれからだ。そういえばスポーツ選手や俳優なども現れてこない。柔術家の中学教師は金に苦労している。これはたまたまではなく、意識したか、意識していないとしても自然とそう区別されたのであろう。つまり三島由紀夫の『鏡子の家』のようなものはありえないということだ。
この問題は小森の中では代助の働かない問題や、宗助が広島に職を求める話に流れる。しかしまっすぐ垂直に掘っても面白いのではないかと思う。
しかし今はやらない。
なぜなら時間がないからだ。
[余談]
現に科学者哲学者などは直接世間と取引しては食って行けないからたいていは政府の保護の下に大学教授とか何とかいう役になってやっと露命をつないでいる。芸術家でも時に容れられず世から顧られないで自然本位を押し通す人はずいぶん惨澹たる境遇に沈淪しているものが多いのです。御承知の大雅堂でも今でこそ大した画工であるがその当時毫も世間向の画をかかなかったために生涯真葛が原の陋居に潜んでまるで乞食と同じ一生を送りました。
だそうです。
