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芥川龍之介の『河童』をどう読むか② 黴毒って何?

 昨日、芥川龍之介の生原稿らしきものを讀んでいて軽く流したところ、

「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」

(芥川龍之介『河童』)

 この部分、黴毒と読み、梅毒のことなのではないかとしたところの補足説明を少し。
 黴毒と書いて「バイドク」と読む。

 黴雨と書いても「つゆ」である。

 芥川龍之介が梅毒という噂があったのは事実。

『鶴は病みき』にはさまざまな人物が変名で登場する。読者には川端康成、谷崎潤一郎、石川せつ子(谷崎の義妹で『痴人の愛』のモデル)、秀しげ子、小穴隆一、菊地寛等々、文壇史でよく知られた実在の人物が容易に特定できるだろう。それだけに芥川龍之介の知られざる一面もまた事実であろうと想像されて生々しい印象を与える。
 本文中の「支那旅行から持ち越した病気が氏をなやませ続けている噂もまんざら嘘ではないらしい」「やはり支那旅行以来のものが執拗に氏から離れないものらしい」について言えば、龍之介は中国の悪場所に出入りして梅毒に罹り、自殺の原因の一つがこの病気の進行によるものだったとの風説があった。龍之介の神経衰弱を神経梅毒視する見方は、彼の主治医下島勲から、梅毒の徴候はなく、治療を受けた気配も形跡もないと否定されている。

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n260/n260_04.html

 そんなうわさが流れた原因の一つが『南京の基督』である。

「おれはその外国人を知つてゐる。あいつは日本人と亜米利加アメリカ人との混血児だ。名前は確か George Murry とか云つたつけ。あいつはおれの知り合ひの路透電報局の通信員に、基督教を信じてゐる、南京の私窩子を一晩買つて、その女がすやすや眠つてゐる間に、そつと逃げて来たと云ふ話を得意らしく話したさうだ。おれがこの前に来た時には、丁度あいつもおれと同じ上海のホテルに泊つてゐたから、顔だけは今でも覚えてゐる。何でもやはり英字新聞の通信員だと称してゐたが、男振りに似合はない、人の悪るさうな人間だつた。あいつがその後悪性な梅毒から、とうとう発狂してしまつたのは、事によるとこの女の病気が伝染したのかも知れない。しかしこの女は今になつても、ああ云ふ無頼な混血児を耶蘇基督だと思つてゐる。おれは一体この女の為に、蒙を啓いてやるべきであらうか。それとも黙つて永久に、昔の西洋の伝説のやうな夢を見させて置くべきだらうか……」

(芥川龍之介『南京の基督』)

 この『南京の基督』が芥川の体験の反映であろうというのである。そのため『歯車』では気違いの娘に殺されるという強迫観念を大げさに描き、『或阿呆の一生』では、

 前の人力車に乗つてゐるのは或狂人の娘だつた。のみならず彼女の妹は嫉妬の為に自殺してゐた。
「もうどうにも仕かたはない。」
 彼はもうこの狂人の娘に、――動物的本能ばかり強い彼女に或憎悪を感じてゐた。

(芥川龍之介『或阿呆の一生』)

 と書き、

僕もあらゆる青年のやうにいろいろの夢を見たことがあつた。けれども今になつて見ると、畢竟気違ひの子だつたのであらう。僕は現在は僕自身には勿論、あらゆるものに嫌悪を感じてゐる。

芥川龍之介
 P.S. 僕は支那へ旅行するのを機会にやつと秀夫人の手を脱した。

(芥川龍之介『遺書』)

 遺書にまであれこれ書いたのは小穴隆一の指摘する通りの目くらましであろうとは思う。
 しかし私には芥川龍之介が実際に梅毒であるかないかという小説の背後の事実はどうでもいい

 だから仮に「黴毒」が「精神病」に直されていたとしても、何か得意げに作家の私生活を暴くようなことは書きたくない。ただし、作品として『河童』を読むにあたって、とりあえず「黴毒」と書いてみて、やっぱりやめておこう、まあ、精神病が無難か、と考えた芥川龍之介という作家の推敲のロジックには興味があるのだ。芥川龍之介という途轍もない作家はまず「黴毒」と書いてみた。このチョイスは間違いなく面白い。小説の背後の事実はどうでもいいが、同時にまたよく知られた作家のプレゼンスやアクティビティを作品に生かすこと自体は許されると考えるからだ。

 ここで「黴毒」と書いたら面白いだろうという行き過ぎたジョークは、アイデアとしては面白い。


 ただし読み直してみると、第二十三号が入院するのが精神病院であることと、上手くバランスが取れないことが分かる。ニーチェは活きて來る。しかし国木田独歩はと考えた時に字句を整理したものであろう。

 遺伝的義勇隊を募る!!!
健全なる男女の河童よ!!!
悪遺伝を撲滅するために
不健全なる男女の河童と結婚せよ

(芥川龍之介『河童』)

 芥川はやはり「精神病が遺伝する」というストーリーに拘りたかったのだ。それは私事ではなく作家の仕事だ。

 むしろ「黴毒」の文字を読み取りのできないほど塗りつぶさないところに芥川龍之介の茶目っ気が出ているのではなかろうか。


 今日は芥川の「が」の字だけ覚えて帰ってください。



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