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「撫子さんと学ぶ 会計事務所の仕事」閑話休題:令和8年度税制改正大綱

プロローグ 令和八年度・税制改正という名の、やたら長い午後

午後の能勢会計事務所。
会議室のブラインド越しに、やわらかな光が差し込み、プロジェクターの青白い光と混ざり合って、部屋の空気を少しだけ眠くしていた。

そのスクリーンに映し出されたタイトルを見て、俺はは思わず息をのむ。

――令和8年度 税制改正大綱の徹底解説

一瞬、言葉を失い、それから正直な感想がこぼれ落ちた。

「……タイトルからして、重たいですね」

隣で、みつ子さんが優雅に脚を組み直す。

「逃げ場はありませんわよ、雅之くん」

柔らかい声なのに、なぜか背筋が伸びる。

「“令和八年の税制改正”は、顧問先から必ず聞かれますもの。
知らない、では済まされませんわ」

(ですよね……)

俺は心の中でうなずいた。

すると前に立つ撫子さんが、ふっと微笑む。

「大丈夫よ」

いつも通り、落ち着いた声。

「今日は“制度を覚える研修”じゃないわ。
どう説明して、どう使ってもらうか。そこが分かるように話すから」

(……それなら、なんとかなるかもしれない)

俺は、気づかれないように小さく息を吐いた。


第一幕 全体像という名の地図

「じゃあ、まずは全体像を押さえましょう」

撫子さんがリモコンを押す。スライドが切り替わった。

「今日は、大きく五本柱よ」

  • 改正の背景と全体像

  • 個人所得課税

  • 法人課税

  • 資産形成・金融

  • 消費税・インボイス・納税環境

「個人も法人も資産も消費税も……」

俺は目を泳がせる。

「フルコースですね」

「ええ」

みつ子さんが涼しい顔で言った。

税理士総合力テストですわね。途中退席は不可でしてよ」

(逃げられないやつだ……)


第二幕

今回の改正、何がしたい?

「今回の税制改正を貫くキーワードは――」

撫子さんは、わざと少し間を置いた。

責任ある積極財政

「積極財政って……」

俺が手を挙げる。

「バラマキとは違うんですか?」

「違うわ」

撫子さんは首を横に振る。

「成長投資と物価高対策はやる。でも無制限にはやらない。
やる分だけ、説明責任も管理も重くする――そういう政治的メッセージね」

「要するに」

みつ子さんが、さらっと要約する。

選別して金を出す。出す代わりに、首も締める。そういうことですわ」

(表現が怖い……)

でも、不思議と一番しっくりきた。


第三幕

個人所得課税、最大の関心事――「178万円」

スライドが切り替わった瞬間、俺が身を乗り出す。

「来ました……“178万円”!」

「ええ」

みつ子さんがうなずく。

「“103万の次は178万”。なぜか皆さん、数字だけは完璧に覚えてますのよね」

みつ子さんの言葉に苦笑しながら、撫子さんは説明を続けた。

「まず大前提。令和8年分から、
**基礎控除と給与所得控除が“物価連動型”**になります」

基礎控除:58万円 → 62万円
給与所得控除(最低保障):65万円 → 69万円

「2年ごとに見直される可能性がある……」

俺は思わず溜息をつく。

「給与計算とか年末調整とか、地獄になりません?」

「ええ」

みつ子さんがうなずいた。

「業務は煩雑になりますけど、
“最低生活費の保障”という基礎控除の趣旨を考えれば、攻めた改正ですわ」


第四幕

178万円の正体と、期間限定の真実

「ただ、これだけでは178万円には届かないわ」

撫子さんが続ける。

「62万+69万で、131万円ですものね」

「だから――」

撫子さんは指を立てた。

基礎控除と給与所得控除の“特例”が加算されるの」

説明が続く。

「基礎控除は、所得489万円(給与665万円)までは42万円。
所得655万円(給与850万円)までは5万円が上乗せ」

「給与所得控除にも5万円が加算されますわ」

「なるほど……!」

俺が声を上げる。

「62+69+42+5で、178万円……!」

撫子さんは、少しだけ声を落とした。

「でもね。この178万円対応は恒久じゃない
令和8年・9年の時限措置よ」

「期間限定……」

「そう。ただし、令和10年以降も
所得132万円以下なら基礎控除37万円上乗せは確定で続くけど。
本則部分が引き上げられて178万円まで上がるのか、元に戻るのか注意しておかないといけないわね」

「だからこそ」

みつ子さんがきっぱり言う。

「顧問先には
『恒久措置』と『時限措置』
と、必ずセットで説明する必要がありますの」

撫子さんは、少しだけ話題を和らげるように続けた。

「あとね。私たちの顧問先に直接関係しそうなのは――住宅ローン控除かしら」

俺は顔を上げる。

「住宅ローン控除って、まだ続くんですね」

「ええ」

撫子さんは穏やかにうなずいた。

「子育て世帯への配慮が強くなっているし、最近のマンション価格の高騰もちゃんと織り込まれている。
その結果、既存住宅についても所得1,000万円以下っていう縛りはあるけど、床面積の要件も緩和されたの」

「なるほど……」

「生活に近いところを、ちゃんと見ている改正だと思うわ」

撫子さんはそう言って、少しだけ柔らかく微笑んだ。

「派手さはないけれど、**“現場で助かる改正”**って、こういうものなのよね」


第五幕

法人税――守られる中小、終わる優遇

「次は法人課税」撫子さんが続ける。
「まずは賃上げ税制ね」

スライドに、はっきりとした線が引かれる。

  • 大企業:令和8年3月末で廃止

  • 中堅企業:縮小後、令和9年3月末で廃止

  • 中小企業:令和8年度は維持

「中小だけ残るんですね」

「ええ」

みつ子さんが腕を組む。

「中小企業は、まだ賃上げが十分とは言えませんもの。
税制で後押しするのは、悪くない判断ですわ」

――少額減価償却資産は、40万円に引き上げ

「あと」

撫子さんが続ける。

少額減価償却資産が40万円に引き上げられたのも、物価高を反映した改正ね」

「上限が300万円というところは変わりませんけど、いい改正ですわ」

みつ子さんが満足そうに頷いた。


第六幕

資産形成――次元が変わる

「NISAは、完全に次元が変わりました」

撫子さんの声が引き締まる。

0歳から投資

「……赤ちゃん投資家」

俺は呆然とする。

「“教育と金融を一体で”ですわね」

みつ子さんが静かに言った。

「親の経済力で、将来の差が広がりかねませんわ」

「さらに、暗号資産ですわね」

「税率20%、3年繰越」

「総合課税じゃなくなる……!」

「ええ」

みつ子さんが不敵に笑う。

今まで黙ってた顧問先が、急に動き出しますわ


第七幕

相続対策に収益物件はもう使えない!?

「資産税で影響が大きそうなのは」

撫子さんが言う。

5年以内に取得した貸付用不動産は、相続税評価が使えなくなる点ね」

「評価額、上がりますよね」

「ええ」

みつ子さんが即答する。

「節税目的のアパート建築やタワマン投資を、止めたい意思が見えますわ」


第八幕

「そして免税事業者のインボイス特例よ。」

「正直な感想を言うと――」

撫子さんが肩をすくめる。

終わると思ったら、延びた

激変緩和は延長。ただし、段階的に縮小。

「会計ソフトの更新は、また必要ですね」

「ええ」

「あとは個人事業者だけだけど、2割特例が3割特例になって、2年間伸びたわ」
撫子さんが言葉を紡ぐ。

「“いきなり切らない”」

みつ子さんが締める。

「これが、今回の共通テーマですわね」

「それから――青色申告特別控除ね」

撫子さんが、少しだけ肩をすくめて続けた。

「とうとう、55万円控除は姿を消したわ」

「えっ……」

思わず声が漏れる。

「じゃあ、複式簿記で帳簿をつけていても、紙で申告したら――?」

「ええ」

撫子さんは、困ったように、でもどこか分かっていたという顔で微笑む。

「その場合は、10万円控除になってしまうの」

「うわ……それは、なかなか強烈ですね」

思わず顔をしかめると、撫子さんは人差し指を立てた。

「でもね。そんな“ムチ”だけじゃないわ」

その一言に、空気が少し変わる。

「ちゃんとアメも用意されているの」

「アメ……?」

「訂正や削除の履歴がきちんと残って、一定の検索要件も満たす、いわゆる**“特定電磁的記録”**の要件を満たせば――」

撫子さんは、さらりと言った。

「控除額は、75万円まで引き上げられるわ」

「……75万円」

思わず、数字を噛みしめる。

「それ、実務インパクト……相当大きいですね」

「ええ」

その横で、みつ子さんが静かに、でも意味深に笑った。

「ここまで来ると、もうはっきりしてますわね」

カップを置き、こちらを見る。

“デジタル化できるか、できないか”――
その差が、そのまま“有利・不利”になる時代ですわ」

その言葉が、じわりと胸に残る。

(もう、“紙で何とかなる”時代じゃないんだな……)

画面の向こうで、数字と制度が、確実に未来の形を変え始めていた。


エピローグ

税制改正を、使える知識に

最後のスライドが映る。

すべてが、現場に直結している。

三人の心の声が、静かに重なった。

――税制改正は、知っているだけじゃ足りない。
――どう使わせるかまでが、税理士の仕事。

スクリーンの光が消える。

午後の事務所に残ったのは、
静かな覚悟と、少しだけ重くなった責任だった。

おしまい


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