生成AIと声優の権利について
生成AIによる声の無断利用が問題になっている。声優の津田健次郎が先日、裁判を起こしたことでも話題になった。津田氏の声を模倣した動画がSNSで拡散され、投稿主は五〇万円程度の利益を得ていたらしい。
法務省が開いた検討会で、「財産や権利、アイデンティティが侵害されている」と声優たちは訴えた。彼らが恐れているのはこれらを奪われることである。
声優たちが守りたいものはなにか? そもそも権利とはなにか? 考えてみる。
・声優はどうやってお金を稼いでいるか
声優はなぜお金を稼げているか。そこには私有という概念と希少性が関わってくる。ブランドという言葉があらわすとおり、そのものの希少性が高ければ高いほど交換価値は高くなり、支払う貨幣も高くなる。無限に湧いてくる宝石に高いお金を支払う人間はいない。また、リソースをみんなで共有するのなら交換価値がそもそもないので、貨幣を必要としない。みんなで道具や食べ物を共有する場合、包丁やキャベツを買う必要がなくなってしまう。
声優は技術を磨く。演技の技術。トークの技術。外見をよくみせる技術。
これらに交換価値を付加し、貨幣と交換する。声優はアニメやゲームの収録に参加し、対価として賃金を獲得する。訓練を積んでいない素人に真似できることではない。
・資本主義の仕組み
私有と希少性が資本主義の根底であり、それらが格差を生み出してきた。一八世紀にイギリスで起きた囲い込み(エンクロージャー)が資本主義のはじまりであると主張する学者がいる。農民たちを資本の力で農地から追い出し、暴力的に土地を占有する。奪った農地で利潤の高い作物を育てたり、人に貸し出すことで地代を要求する。土地を利用するためには資本が必要となり、利用できる土地が希少であれば、借りるための賃料は引き上げられる。まさに私有と希少性の象徴となる出来事。希少性が高まればますます多くの利潤が生まれる。それを維持するには私有という概念が不可欠である。
リソースが集中するところには、さらにリソースが集中する。お金持ちの子どもはお金持ちになりやすい。教育に投資するリソースが膨大であれば、将来の賃金はそれだけ高くなる傾向がある。株や不動産など、投入するリソースが多ければ多いほど、リターンも大きくなる。それはなかば暴力的に他者から奪われる。社会のリソースは有限だからだ。お金を稼ぐとは社会のリソースを分け合う、もしくは奪いあうことに他ならない。金持ちは容易にお金を稼げるが、貧しい人が金持ちになるのは困難である。
・クリエイターと二次創作
二次創作と呼ばれるジャンルがある。すでにある作品を土台に、新たなシナリオを創出したり、新たなイラストを描いたりする。広義ではコスプレも二次創作かもしれない。そしてそれがビジネスになり、二次創作の作者がお金を稼ぐこともある。むろん、著作権上は問題ありなのだが、ぼくが知る限り黙認されているケースがほとんど。その理由はクリエイターにとって害にならないからだ。ファンが好きでやっていることだからと、多くの作者は目をつむっている。そこからオリジナルの作者に利潤の数パーセントでも売り上げが分配されるという話を、少なくともぼくは聞いたことがない。
同人誌の市場規模は、年間で八〇〇~九〇〇億円にものぼるようだ。二次創作はいまのところ社会から容認されているようにみえる。よい悪いの線引きは曖昧だ。オリジナル作者のイラストをそのまま利用するなど、ただの模倣は断罪されるようだが、手を加えれば容認される。過度なエロやグロは権利の侵害になるというが、境界線がどこに引かれるかはわからない。
クリエイター業界ではすでに二次創作が横行している。オリジナル作品の私有と希少性を脅かしている。それは必ずしもクリエイターの不利益を意味しないが、グレーゾーンでしぶしぶ黙認されている領域もある。
では声優の声を生成AIで模倣することと二次創作の違いはなんだろう?
二次創作が許容されている理由の一つは、二次創作であることを明記しているからだろう。あるいは明記してなくとも、二次創作であることが明らかな場合。であれば、声優の声を模倣したAI作品だと明記してあれば、権利の侵害だと断罪することは、いまの日本において現実的だろうか?
あるいは作品を守る”著作権”の侵害と、アイデンティティを守る”肖像権”の侵害は同列で語れないのかもしれない。二つの苦しみは同等ではないのかもしれない。
・クリエイターと生成AI
クリエイター業界はすでに生成AIに侵食されている。文学の新人賞受賞者が生成AIを利用していたと告白したケースもある。多くのYouTuberやイラストレーターがすでに生成AIを利用している。それで仕事を奪われている人間もいるだろう。
もっといえばホワイトカラーの多くがAIに仕事を奪われている。労働がAIによって置き換わりつつある。この状況で、声優の置き換えが免れるというのは難しいように思う。
・プナンに学ぶ
東南アジアのボルネオ島に住むプナン族。彼らは半農耕、半狩猟採集民族である。共同体で道具や子どもを共有する。たとえば「その腕時計ちょうだい」といえば、求められた側は腕時計を譲らねばならない。渋れば「あいつは自分勝手でケチなやつなんだ」と見なされ、人が離れていく。過度に孤立すれば、生きていくのが困難になる。
子どもは共同体内の別の大人の元で育つことがある。実の両親が大人になるまでめんどうを見るとは限らない。共同体で子育てをし、多くの大人に依存を分散する。仮にだらしない両親の元に生まれてしまったとしても、他の大人たちが包摂してくれる。必ずしも両親のみに頼る必要はない。
我々は私有と共有を適度に内包している必要がある。私有が過剰になれば格差が生まれる。格差が広がることで東京一局化が進み、貧しい人間は増え、結果的に子どもが減る。精神疾患や自殺者も増えるかもしれない。日本の自殺者の総数は減っているが、子どもや若者の自殺者は減っていない。格差が拡大し、競争が激化していることも理由の一つだろう。選ばれた資本家や権力者だけがリソースを占有する選民ファシズムへと移行する可能性もある。たとえばAI産業がAIの利用料を飛躍的に高めれば、我々のような庶民にアクセスすることは不可能になる。市民が権力者に蹂躙される未来が訪れるかもしれない。
逆に共有が過剰になれば、社会が均質になる。個性が弱まり、多様性が失せ、退屈な社会になる。資本家が新たな産業を生み出すのは難しくなるし、テクノロジーの進歩も遅れるかもしれない。個性的なゲームやアニメが創られる機会も減るかもしれない。
我々は適度に私有と共有を内包しなければならない。
・資本主義の限界
資本主義社会においては利潤の追求が正義とみなされる。過度な私有と希少性が礼賛される。お金を稼ぐ者が社会的な地位を獲得し、世間からも評価される。貧乏人は自己責任だと罵られる。しかし資本主義は限界を迎えつつある。環境破壊。少子化。精神疾患。自殺。低賃金の奴隷労働。どれだけ働いても幸福になれない社会。
生成AIは私有から共有への移行である。私有と共有の傾斜をなだらかにする。それは希少性を減退させ、貧困者や持たざる者たちにある種の可能性を見せる。もし過剰な私有を抑制する役割を担えるのならば、そこにはいくばくかの正しさがあるのかもしれない。
クリエイターの、あるいは声優の私有はどこまで認められるべきなのだろう?
・声優は仕事を失うか
声優の賃金が奪われる可能性はある。しかしそれはクリエイターにもいえるし、ありとあらゆる職業にもいえる。
もしも労働が奪われるなら、政府は再分配を強化しなければならない。過度な私有と希少性を抑制する社会主義的側面を強化した社会。生産はすでに過剰である。毎日大量の食べ物が捨てられ、大量の娯楽が消費されている。無駄な労働をせずとも生きていけるように。経済成長ばかりを追い求めぬように。すでに地球は限界を迎えつつある。声優のみならず、我々はある程度までは物質的快楽を手放さなければならないのかもしれない。
そして豊かな人生とは、過度な快楽を絶えず追い求めることではないということを知るべきだ。ほんとうの幸せは、これ以上の経済成長の先にはない。人間の根源的欲求を、資本主義が満たしてくれるとは限らない。
・生成AIからアイデンティティを守る
声優たちの懸念は「財産、権利、アイデンティティが侵害されている」というもの。財産は必要量あればいいことを先ほど述べた。飽くなき利潤追求は不要。適度な物質的豊かさがあればいい。それは過剰な消費を意味しない。豊かさとはなにか。豊かさを獲得するために、財産を手放さなければならないこともある。
権利はなにを指すかわからない。彼らはこれを明確にする必要があるかもしれない。あるいはぼくが調べきれていないだけか。
守らなければならないのはアイデンティティである。誇りである。心である。自分と同じ声で、身に覚えのない作品がつくられていたら、アイデンティティを侵害された恐怖をおぼえるのは当然。明確な模倣は規制する必要があるだろう。
しかし既存の声優を想起させないようなAIの利用は規制できないだろう。それは生成AIという津波に生身で抗うようなものだ。個人的には無駄だと思うし、特に合理性もないように思える。すでに多くのクリエイターがテリトリーを侵害されている。声優だけを特別に守るというのは難しいかもしれない。
さらにいえば、クリエイターの害になっていないうちは、すでに業界では二次創作が広く認められている。同人誌の即売会で、二次創作作品が売買されることもある。声優の二次創作だけが禁じられる理由はなんだろう。もしも模倣であることを明記したうえでの声の利用であるなら、それはゲームやアニメなどの二次創作と大きな差異がないのではないか。あるいは声優のみなさんは商業目的の利用を禁止したいのかもしれない。あるいは著作権の侵害と肖像館の侵害は区別するべきなのかもしれない。ぼくはこのあたりを明確に知りたい。
あるいは模倣であることを明記した上で声優の声を利用するなら、場合によってはその声優にとって利益になることもあるかもしれない。それが広告の役割を果たすかもしれないし、ファンがリスペクトをこめてやったことかもしれない。それをあえて否定しない声優もなかにはいるだろう。二次創作がクリエイターから黙認されている理由と同じだ。
ぼくの提案としては生成AIを利用した作品であれば利用した旨を明記すること。それを義務とする法律をつくること。ボイスにAIを利用しました、シナリオをAIに書かせました、など。そしてそれは既存の声優を想起させないものでなくてはならないだろう。その後は消費者の判断に任せる。市場原理に任せる。
おそらくではあるが、声優はそこまで危惧しなくてもよいのではないだろうか。シナリオ、ボイス、イラストなどがAIでつくられたと知って、いったいどれだけの人間がその作品に惹かれるだろう? 本物の人間の声でキャラがしゃべっていたほうが魅力的だと感じる人が大半なのではないだろうか?
未来についてはよくわからない。しかし単に生成AIを作品に利用してはならないという簡単な話でもないと個人的には考えている。
