令和6年 新指定 国宝・重要文化財:1 /東京国立博物館
今年の3月15日、国宝6件・重要文化財36件の新指定が文科相へ答申された。じっさいの指定はもう少し後だが、答申されれば基本的にそのまま指定がおこなわれることになる。
毎年恒例となっているお披露目展では、東京国立博物館の本館2階・特別1室と特別2室、さらに1階を入って右の彫刻室(11室)を使って、新指定品の一部が展示されていた。
国宝6件に関しては、4件を出陳。
京都・大報恩寺(千本釈迦堂)の諸像からは定慶《准胝観音立像》(六観音のうち)と《地蔵菩薩立像》(いずれも鎌倉時代・貞応3年〈1224〉)が登場、彫刻室の最奥・須弥壇(風)の展示台に据えられていた。
とくに《准胝観音立像》は「眉目秀麗」といった表現が似つかわしい。あそこの宝物館はいつ来てもがらがらでじっくり拝見できたけれど、今後はそうもいかないか。
柄本佑……ではなく藤原道長と曽孫・師通(もろみち)が筆写、金峯山の経塚に埋納した《紺紙金字経》(平安時代・10~11世紀)は、奈良・吉野の金峯山寺、金峯神社所蔵のものがそれぞれ一括で指定。
このうち金峰山寺の道長筆106紙分、師通筆85紙分は、2015年に金峯山寺で新たに発見され、話題となったもの。
昨年の重文指定からあっという間のステップアップだが、それくらい大変な発見で、驚きはない。なにせ、あの道長の直筆であり、この発見によって、現存する数量が倍以上になったのだ。
このように、歴史的な新発見が文化財指定に結びつくケースがあれば、千本釈迦堂の諸像のように研究の進展や再評価が指定に反映される場合もある。
東博では2018年に特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」が開かれており、こういった展覧会が新発見・再評価の契機となることも少なくない。
なお、今回の答申では『和漢朗詠集』の古写本《雲紙本和漢朗詠集》(平安時代・11 世紀 皇居三の丸尚蔵館)が、重文指定のない状態から「飛び級」で国宝となっている(※本展には不出品)。
この「飛び級」は、三の丸尚蔵館が宮内庁から国立文化財機構に移管となって以降、しばしばみられる現象。三の丸尚蔵館に入っていた皇室ゆかりの品々は従来、文化財指定の対象外だったが、移管によりすべてが対象内に。数年をかけて、指定の網を広げている状況である。
《三重県宝塚一号墳出土埴輪》(古墳時代・5世紀 松阪市文化財センター)の《船形埴輪》は、個人的に最も楽しみにしていた作品。
刺身の舟盛りのようなこの船の埴輪は、全長140cm・最大高94cm・最大幅36cmという比類なき巨大作例で、全体のバランスはもちろん、ディテールの細工やコンディションが素晴らしくよい。間近で観察して、ため息しか出なかった。
所蔵先の松阪市文化財センターには「はにわ館」という愛称があり、《三重県宝塚一号墳出土埴輪》が常設展示されていると聞く。いつか現地を訪ねたいとずっと思っていたが、こうして埴輪のほうからドンブラコと、上野まで出張ってくれた。まさしく「渡りに船」。
さらに本展には、同じ古墳から出た “庭・防護壁つき一戸建て” の埴輪まで来てくれていた。ありがたき……
今秋には、東博で特別展「はにわ」を控えている。おそらくそちらでも再会を果たせるだろうけども、この船の埴輪は何度観てもよさそうだ。
※《三重県宝塚一号墳出土埴輪》に関しては、以下のページをご参照。 “庭・防護壁つき一戸建て” 埴輪の写真も。
新国宝・最後の1点は《多賀城碑》(奈良時代・天平宝字6年〈762〉 国)。
多賀城は、現在の宮城県に置かれた陸奥国の国府であり、朝廷の北の防衛拠点。その創建由来を記した石碑が《多賀城碑》である。運搬には適さないため、本展にはもちろん不出品。
今年は、多賀城が築かれてから1300年の節目。秋には多賀城址のそばに立つ東北歴史博物館で「多賀城1300年」の大展覧会が予定されており、仙台駅にも垂れ幕が掛かるなど、県を挙げて盛り上げの真っ最中だ。その後押しをするかのような、今回の国宝指定である。
このたびの指定では、多賀城やその関連遺跡群から出土した木簡や人面墨書土器などが、一括で新たに重文に加わった(多賀城市埋蔵文化財調査センター所蔵)。こちらは、本展会場でも拝見が叶った。
1300周年であることを踏まえると、ご祝儀的な大盤振る舞いの側面がちょっぴり見え隠れしてしまうけども、特別史跡(=遺跡の国宝)からの特異な出土品が県指定クラスで留まっていたのが、そもそも変な話だったか。
——以上、新たな国宝6件を、お披露目展の出品作品にからめてご紹介してきた。
次回は、お披露目展の必見作品を、筆者の独断と偏見によってご紹介したい。(つづく)

