【展覧会レポート】紫香楽と信楽 宮の造営と焼き物の歴史 /滋賀県立安土城考古博物館
信楽焼の窯があった「しがらき」、聖武天皇による短命の都・紫香楽宮の「しがらき」。違った形で歴史にその名を刻んでいる、ふたつの「しがらき」をつなぐ展示である。

聖武天皇が「大仏造立の詔」を出し、大仏の造営に着手したのは、近江の紫香楽宮であった。平城京を出て恭仁京、難波京と彷徨った聖武天皇が行き着き、わずか1年しか存続しなかった紫香楽宮。甲賀市の山中には「内裏野」といった地名や礎石が残り、大寺の遺構が発掘されている。ここが、大仏の置かれるはずだった「甲賀寺」の跡とみられている。
内裏野を含む丘陵地からは「黄瀬(きのせ)粘土」と呼ばれる良質な土が採取される。この粘土こそが信楽焼に使われる胎土であり、周辺には中世の古窯址が分布している。信楽焼特有の緋色は、黄瀬粘土の作用によるもの。瓦の製造や、銅を溶かす炉の築造にも好適だ……紫香楽宮も信楽焼も、時代は違えど、同じ土から生まれたのだ。
前半では紫香楽宮跡や内裏野廃寺に加え、銅の精錬に関わる鍛冶屋敷遺跡からの発掘品を展示。鍛冶屋敷遺跡出土の窯壁や巨大な梵鐘の原型などは、大仏造立との関連性は不明瞭なものの、位置や時代、規模や内容といい、そうとしか思えない興味深い遺物である。
後半は、信楽焼の出土品や伝世品。
鎌倉時代、常滑からの全面的な技術導入によって成立した信楽焼は、他の中世古窯と同じく「壺・甕・すり鉢」という3つの器種を主に製造するかたわら、室町期以降は侘び湯の美意識を反映しその需要に応える「蹲(うずくまる)」や「旅枕」といった花入、「鬼桶」に代表される水指のような茶道具を生産した。
こうして並べてみると、愛称ともいうべき俗称がついた、いわば「定番商品」がこれほど挙げられるあたりに、信楽焼が茶の湯において珍重・愛好されてきた歴史がよく反映されているなと感じる。
こういった茶道具とはまた異なる「用の美」をみせ、現代の古美術シーンにおいて非常に重要視されるのが、中世信楽の大壺である。滋賀県立陶芸の森所蔵の2点、とりわけ右の大壺に魅せられた。

本展には未出品であったが、信楽焼には茶碗や茶入も少量ながらある。現在、東京の根津美術館で開催中の「焼き締め陶」展では、最も著名な銘「水のこ」(同館蔵)がお出まし中だ。本展は、そのための予習にもなった。
紫香楽宮の跡地、そして信楽焼の古窯にも、いずれ行ってみたい。わたしの知る信楽は、陶芸の森があり、現代の作家が窯を構え、タヌキの置き物が林立する街。その数駅手前が、本展の舞台だ。そこには、はるか中世や古代の信楽を感じさせる土のにおいが、濃厚に漂っているに違いない。
展示は9月23日まで。

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ここまで来たら、登らずにはいられない安土山。信長の、あの安土城である。








