出来事に良い悪いはない、あるのは「どう受け取るか」だけ(26)
お子さんにお手伝いを頼み、食料品の袋を運んでもらおうとした二歩目で転んでしまい、床一面に食材が散らばり、卵が割れて汚れてしまったとする。その瞬間、「ああ、もう最悪だ…」「余計な仕事を増やしてくれた…」「やっぱり、頼むんじゃなかった…」という言葉が頭をよぎるだろう。あなたは、この出来事を瞬間的に「悪いこと」だと判断し、イライラしたり、がっかりしたりする。
しかし、ここで少し立ち止まって考えてみてほしい。今起きている客観的な「事実」は、ただ「食材が、袋の中から床の上へ移動した」ということだけだ。「最悪だ」「余計な仕事だ」というのは、その事実に対して、あなたが無意識に貼り付けた、あなた自身の「解釈」にすぎない。出来事そのものに良いも悪いもない。どんな「意味」を与えるかを決めているのは、常に、あなた自身なのだ。そして、あなた自身の「解釈」である以上、あなたはそれをいつでも選び直すことができる。
あなたは、最初の「最悪な出来事だ」という解釈を手放して、意識的に別の解釈を選ぶことができる。「そうか。これは、子どもに掃除の仕方を教える絶好の機会かもしれない」と。
この新しい「解釈」を選んだ瞬間、あなたの次にとるべき行動と心の状態は全く違うものに変わる。イライラしながらお子さんを責める代わりに、「わあ、床が汚れちゃったね!大丈夫、大丈夫。じゃあ、一緒にお掃除の練習をしようか」と、穏やかに声をかけることができる。
「親の仕事を増やした迷惑な出来事」が、「親子の共同作業と学びの機会」へと変わるのだ。お子さんも失敗を責められることなく、「失敗しても大丈夫なんだ」「こうやって片付ければいいんだ」という重要な学びを得られる。
子育てはハプニングの連続だ。そのたびに出来事を「悪いこと」だと解釈していては、心が疲弊してしまう。起きてしまった出来事をどう解釈し、どんな「意味」を与えるか。その選択の力は、常にあなた自身の手の中にあるのだ。
今日からできる小さな一歩
【子どもの失敗で、「最悪だ」と思ったら自問する】
お子さんが、何かをこぼしたり、壊したりした時、「最悪だ」と感じたら、一度心の中で、こう自問してみましょう。「この出来事から、親子で学べることは何だろう?」と。
「物を丁寧に扱うことを学ぶ機会」
「失敗しても正直に謝ることを学ぶ機会」
親の「イライラ」を、子どもの「学び」へと意識を切り替える練習です。
