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【対話形式】埼玉県郷土史6をわかりやすく! 埼玉と朝鮮のつながり

今回は、埼玉県郷土史第六章「朝鮮人の帰化」を現代語訳します。章の名前を見ていただければわかると思いますが、千熊長彦と同じ朝鮮を取り巻くものです。最後までお読みいただくと、埼玉はかなりヤマト王権・大和政権に貢献していた事が分かります。

■ 3行でわかる!この史料のポイント

・奈良時代になって朝鮮半島や唐との交流が盛んになり、百済人・新羅人・高麗人が武蔵国に次々と帰化してきた

・元正天皇の時代(716年頃)には高麗人をまとめて入間郡に住まわせ「高麗郡」を設置し、淳仁天皇の時代(758年頃)には北足立郡志木町付近に「新羅郡」を設置した

・帰化人の子孫は土着の民となって開拓や朝廷への出仕で活躍し、中には新羅語を研究させられ国家事業に貢献した者もいた


■ 対話わかる「朝鮮人の帰化と武蔵国」

後輩:日高市に「高麗」っていう地名があるの知ってますか?高麗神社とか、高麗川とか。

先輩:知ってる。実はあの地名、この章に出てくる話とまさに直結してるんだよ。

後輩:どういうことですか?

先輩:奈良時代になると、朝鮮半島とか唐との行き来がすごく盛んになって、日本に帰化する人がどっと増えたんだ。百済人、新羅人、高麗人――それぞれ別々の場所に住んでいたらしい。

後輩:武蔵国にも来たんですか?

先輩:うん。まず天武天皇の御代に百済人が最初に帰化してきて、その後は仏教が盛んになるのに伴って、僧侶なんかも帰化してくるようになる。

後輩:それで「高麗郡」の話につながるんですか?

先輩:そう、ここが一番のポイント。元正天皇の御代に、北足立郡の西部から入間郡の南部にかけて散らばって住んでいた高麗人を、入間郡に一箇所にまとめて住まわせたんだ。それで「高麗郡」が置かれた。

後輩:今の日高市周辺ってことですよね。じゃあ、集めて住まわせたから、今も地名として残ってるんだ。

先輩:そういうこと。しかもそれだけじゃなくて、次の淳仁天皇の御代には、北足立郡志木町付近――今の志木市とか新座市のあたりに、今度は「新羅郡」が置かれてる。

後輩:え、新座市の「新座」も……?

先輩:「新羅(しらぎ)」がなまって「新座(にいくら/にいざ)」になった、っていう説があるんだ。もし本当だとしたら、地名そのものが1200年以上前の帰化の歴史をそのまま今に伝えてることになる。

後輩:地名に歴史が刻まれてるって、なんかロマンありますね。それで、その人たちはどうなったんですか?

先輩:子孫はみんな土着の民になって、開拓事業をする者もいれば、朝廷に仕えて高い官職に就いた者もいたらしい。中には結構すごい話もあってさ。

後輩:すごい話?

先輩:孝謙天皇の時代、新羅を征伐する計画が立てられた時、武蔵国と美濃国からそれぞれ20人ずつ少年を選んで、新羅語を学ばせたんだって。

後輩:新羅語教育を武蔵国が担当してたってことですか?

先輩:うん。帰化人の子孫がたくさん住んでいた土地だったからこそ、そういう国家事業を任されたんだと思う。史料もこれを「帰化人たちが誇るべき功績」だって書いてるんだよね。

後輩:単に「昔、外国から人が来ました」で終わる話じゃなくて、その子孫たちが武蔵国の中でちゃんと役割を果たしていったんですね。

先輩:そう。しかも「高麗郡」も「新羅郡」も、単なる一時的な措置じゃなくて、地名として1000年以上残り続けてる。今の埼玉に住んでる僕らが、普段何気なく目にしてる地名の中に、こんな国際的な歴史が埋め込まれてるって考えると、ちょっと見方が変わるよね。

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