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高知の雪蹊寺

高知市長浜にある 雪蹊寺(せっけいじ) は、四国八十八箇所第33番札所で、臨済宗妙心寺派の格式ある禅寺です。以下主な見どころをご紹介します。

■基本情報とアクセス
山号:高福山、院号:幸福院、本尊:薬師如来。開基は弘法大師(空海)、創建は弘仁6年(815年)と伝わります。

もとは真言宗の「少林山高福寺」、鎌倉時代には運慶・湛慶が訪れ「慶運寺」と改称。

天正年間(1573–1593)に戦国大名・長宗我部元親が支援。臨済宗に改宗し、寺名も元親の法号「雪蹊恕三」から「雪蹊寺」に。

明治期の廃仏毀釈で一時廃寺に。後に復興し、境内には隣接して長宗我部元親の像や秦神社もあります。

住所:高知市長浜857‑3、参拝時間は7:00–17:00。車・バス利用可能。駐車場は普通車10台(有料)。

電話番号 088-837-2233

■見どころ・文化財
見どころ 説明
運慶・湛慶作仏像 運慶作の本尊薬師如来と日光・月光菩薩像、湛慶作の毘沙門天三尊・吉祥天・善膩師童子像など計16体が国の重要文化財。
宝物殿 昭和32年建立。これら重要文化財を収蔵し、定期的に公開。
南学発祥の道場 江戸初期、朱子学南学派の祖・天質和尚のもと、儒学者を多数輩出。
墓塔・塔/塔堂 長宗我部信親の墓や17代山本太玄、18代玄峰和尚の塔(太玄塔)。
馬頭観音堂・地蔵堂・稲荷祠 お遍路のみちびきとして馬頭観音、安産子安地蔵、正一位稲荷神など多彩な信仰対象。
歌詠み幽霊伝説 元親が月峰和尚を招聘した背景には、和尚による幽霊鎮魂の逸話があります。
眼鏡奉納の風習 平安な視力への感謝として、参拝者が眼鏡を奉納する習慣あり。

■周辺スポット・お役立ち情報
境内はそれほど広くなく、ゆったりと回れます。

隣接する秦神社には長宗我部元親坐像が祀られていて、戦国武将ファンにおすすめ。

桂浜や坂本龍馬像にも近く、観光ルートの一環として訪れるのに最適です。

■アドバイス&注意
仏像の拝観には予約が必要な場合があります 。

駐車場は有料(志納金)ですが、普通車10台分あります
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朱子学や戦国史、仏像、幽霊伝説など多様なテーマに触れられるのが魅力です。

雪蹊寺は歴史・美術・文化・信仰のすべてが凝縮されたユニークな寺。禅、仏像、学問、幽霊譚など、いろんな角度から楽しむことができます。

また、雪蹊寺と山本玄峰老師(1866–1961)の深いつながりは、とても感動的です。以下に整理しました

■出家のきっかけと雪蹊寺との縁
元々「芳吉」という俗名で、19歳ごろに眼病を発症し、ほぼ失明寸前に。

療癒を願って始めた四国遍路の 7度目、第33番札所・雪蹊寺の門前で倒れてしまいます。

そこで出会った当時の住職・ 山本太玄和尚 に救われ、しばらく寺の雑役(寺男)として過ごしたあと、26歳時に太玄和尚のもとで得度し、出家しました。

太玄和尚は、芳吉へこう励ましました:

「普通の坊さんにはなれんが、覚悟しだいで本物の坊さんになれる。人の目なんて襖一枚、心の目を開けば見えないものはない」

これが玄峰老師の禅の道の出発点でした。

■雪蹊寺での修行と師系の継承
その後、滋賀・京都・虎渓山など全国の名刹を修行して回り、

1903年(明治36年)、師・太玄和尚の遷化により、雪蹊寺18代住職に就任。当寺の再興に尽力しました。

■晩年の活躍と禅僧としての評価
雪蹊寺以外にも、静岡・三島の龍沢寺、名古屋・満州の妙心寺別院など多数の道場を復興し、修行僧の指導に当たって全国で活躍しました。

後に21代妙心寺派管長に就任し、戦後の象徴天皇制のあり方や玉音放送文言にも影響を与えるなど、昭和を代表する禅僧として知られます。

■雪蹊寺境内の「玄峰塔」などの記念碑
雪蹊寺境内には 太玄塔 と 玄峰塔 が並び建てられています。

太玄塔:18代住職・太玄和尚を記念

玄峰塔:19代住職・玄峰老師を記念

■まとめ
雪蹊寺は、山本玄峰老師という日本近代を代表する禅僧を生んだ寺院として、単なる札所以上の存在です。失明の危機から救われ、心の目を開いた青年が、その後全国規模で禅の再興に尽力し、日本の宗教文化に大きく貢献したというストーリーは、非常にドラマチックで心打たれます。雪蹊寺での出家と住職としての再興は、玄峰老師の一代の使命の始まりでした。

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