映画感想文『緑の光線』
令和のイマドキ女子は情報に敏感だ。
インスタやBeRealで他のイマドキ女子の動向を知っては、自分との距離を常に測っている。また、同じハッシュタグで行動しないことが”異質な存在”という扱いを受ける同調圧力もある。
他人との比較がメンタルヘルスに良くないことなど誰しも耳にしているが、それだけで止められるほど人間はできていない。X以外のSNSをやっていない私ですら、周りの目を気にしたり、比較を全くせずには生きられない。
同調圧力や世間からの当たり前の押し付けに悩まされる、女性・デルフィーヌの葛藤を描いた作品が『緑の光線』である。
かなり昔の作品だが、古臭さを感じない。彼女が持つ悲劇のヒロイン思考、比較癖、情緒不安定さが現代社会の鏡のようだった。
「社交的になれ」という周りからの同調圧力に反発したい気持ちがある一方で、一人ぼっちの虚しさには耐えられない。そんな狭間で苦しみながら生きる女性。占いへの興味やゲン担ぎに必死になる様含め、ドキュメンタリー作品ではないかと疑うほど。
ハリウッド映画がハッピーエンドやバッドエンドなどの「結果」を見せるのに対して、フランス映画はある結果を引き起こすであろう「きっかけ」を見せるところで終わることが多い気がする(数作品しか見ていない身分で考察ごめんなさい)。
『緑の光線』も類に漏れず、デルフィーヌという等身大すぎる女性像を通して、人間の変わるきっかけがスクリーンに映し出されていた。
緑の光線が何なのかは、調べずに観てほしい。私もそうだったし、映画がちょうどいいタイミングで教えてくれる。
人間の脆く、移り変わりやすい心は美しい。そんなことに気付かされた作品でした。
